ひんやりした風が吹いてきた。連日の暑さにはなりそうもない。こういう日にこそ草刈をしよう、ということで草刈を始めた。
伸び放題の草々を、手当たりしだい引っこ抜く。面倒になり、鎌を持ち出して雑草を刈る。そういえば、昭和天皇は、雑草という草はない、とおっしゃっていたとか。
腰を伸ばし、一息入れたとき、思いもかけぬものを見つけた。空蝉だ。まだ生きているかのような姿勢で、蝉の抜け殻が取り付いている。
透き通ったセルロイドのような艶のある茶褐色の抜け殻。こんな小さな穴から、よくも抜け出したものだと、しばらく感心して見つめてしまった。
蝉の幼虫は、種類によって二、三年から十年以上もの長い間、土の中にいて蛹となる。その蛹が、いよいよ土を出て木に這いのぼり、背中から割れて固い殻を脱ぎ、見る見る翅を伸ばして空中に飛び立つ。
長い長い期間を地中に過ごした蝉は、地上に出て、わずか一週間から十日で生殖を終えて死んでしまう。
その短い生涯を、ジージー・ミンミン・シャーシャー・カナカナ・オーシーツクと、命の限り情熱を燃やして、華やかに鳴き通す。蝉のはかなくも哀れな生涯である。
その鳴き声の華やかさ賑やかさ自体が、病葉の裏に残ってじっと動かぬ空蝉の形に籠められているような気がする。
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭 蕉
「やがて」は、すぐに、たちまちの意。「けしき」は、様子の意。
「力いっぱい生気に満ちて鳴きつづけているこの蝉の声を耳にしていると、これがたちまち死んでゆくものだとはとうてい思えそうもない」といったところか。
この句には、「無常迅速」という前書きがある。たしかに、鳴きしきる蝉にはこういう感じがあって、それが「無常迅速」という観念に結びつくのは、必然であろう。
「無常迅速」は、おそらく、この句が成ったあとでつけられた前書きで、最初から「無常迅速」を詠もうとして詠んだものではなかろう。もっとも、このころ、しきりに無常迅速の思いを持っていたことは、(元禄三年)七月十七日付、牧童宛書簡に「無常迅速の暇もござ候はば、……諸善諸悪皆生涯の事のみ」などと見えることからもうかがえるから、それが下地になっていることはいうまでもない。
この句の初案は、「けしきも」であったらしい。たった助詞一語のちがいであるが、「けしきは」のほうがずっと強くなる。
蝉の、あのしきりに鳴きたてる声を心に置くと、やはり「は」のほうがよい。
とくに俳句の初心者は、「も」を使いたがる傾向があるが、「も」を使うときは「は」ではどうかと、心して使いたいものである。
動かざる石の地蔵と空蝉と 季 己
伸び放題の草々を、手当たりしだい引っこ抜く。面倒になり、鎌を持ち出して雑草を刈る。そういえば、昭和天皇は、雑草という草はない、とおっしゃっていたとか。
腰を伸ばし、一息入れたとき、思いもかけぬものを見つけた。空蝉だ。まだ生きているかのような姿勢で、蝉の抜け殻が取り付いている。
透き通ったセルロイドのような艶のある茶褐色の抜け殻。こんな小さな穴から、よくも抜け出したものだと、しばらく感心して見つめてしまった。
蝉の幼虫は、種類によって二、三年から十年以上もの長い間、土の中にいて蛹となる。その蛹が、いよいよ土を出て木に這いのぼり、背中から割れて固い殻を脱ぎ、見る見る翅を伸ばして空中に飛び立つ。
長い長い期間を地中に過ごした蝉は、地上に出て、わずか一週間から十日で生殖を終えて死んでしまう。
その短い生涯を、ジージー・ミンミン・シャーシャー・カナカナ・オーシーツクと、命の限り情熱を燃やして、華やかに鳴き通す。蝉のはかなくも哀れな生涯である。
その鳴き声の華やかさ賑やかさ自体が、病葉の裏に残ってじっと動かぬ空蝉の形に籠められているような気がする。
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭 蕉
「やがて」は、すぐに、たちまちの意。「けしき」は、様子の意。
「力いっぱい生気に満ちて鳴きつづけているこの蝉の声を耳にしていると、これがたちまち死んでゆくものだとはとうてい思えそうもない」といったところか。
この句には、「無常迅速」という前書きがある。たしかに、鳴きしきる蝉にはこういう感じがあって、それが「無常迅速」という観念に結びつくのは、必然であろう。
「無常迅速」は、おそらく、この句が成ったあとでつけられた前書きで、最初から「無常迅速」を詠もうとして詠んだものではなかろう。もっとも、このころ、しきりに無常迅速の思いを持っていたことは、(元禄三年)七月十七日付、牧童宛書簡に「無常迅速の暇もござ候はば、……諸善諸悪皆生涯の事のみ」などと見えることからもうかがえるから、それが下地になっていることはいうまでもない。
この句の初案は、「けしきも」であったらしい。たった助詞一語のちがいであるが、「けしきは」のほうがずっと強くなる。
蝉の、あのしきりに鳴きたてる声を心に置くと、やはり「は」のほうがよい。
とくに俳句の初心者は、「も」を使いたがる傾向があるが、「も」を使うときは「は」ではどうかと、心して使いたいものである。
動かざる石の地蔵と空蝉と 季 己