壺中日月

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「俳句は心敬」 (105) 究極の歌人

2011年06月17日 22時25分31秒 | Weblog
        ――どれほど道の奥義をきわめた人でも、身分が低く、世間的に
         名の知られていない場合は、誰も問題にする者がなく、未熟で
         まったく問題にならない人でも、うまく時の勢いに乗り、歴と
         した家を継いでいる場合は、世間の人は無条件で尊重している
         ように見えます。こんなことがあってもよいのでしょうか。

        ――尭は賢王であったが、その子は凡愚であったとか。舜は賢王
         であったが、その父は偏屈・愚鈍であった。
          家は、家として続いているだけでは本当の家ではない。家名
         や、家業を継ぐからこそ本当の道の家なのである。人も、その
         道の家の人だからといって、その道の人とは言えない。その道
         を熟知していてこそ、道の人である。
          真の人間こそ、真の道を広めることが出来るのだ。書物が人
         を広めるのではない。
          黄帝は、牧童の言葉さえも信じたという。北条時頼は、農夫
         の諫言にもしたがったという。
          君子は、下の者に問うことを恥じない。だから、人倫の道を
         知る。
          太公望は、世を隠れ、浜辺で釣りをしていたが、文王に見出
         されて、国王の師となった。
          吉備の右大臣(真備)は、卑官の左衛門尉国勝の子であった
         が、大臣という高位に上った。
          無間地獄に堕ちた身も環境も、すべて、その人の過去の行な
         いに対する、釈迦仏の判断一つである。仏の真身もその環境も、
         凡愚が悟りを開こうと一念発起する心以上の何ものでもない。
                        (『ささめごと』真の歌仙と生涯の修行)


 ――いかにその道に熟達した専門家でも、身分が卑しく世間に名の知れていない人は、誰からも相手にされない。反対に、どんなに未熟放埒な人でも、うまく時流に乗り、しかも家業を継いでいるような場合には、これを無条件で尊重する。これが中世を通じての一般的な傾向でした。
 けれども、鎌倉末期あたりから、伝統和歌の分野においてさえ、二条・冷泉の名家が、地下(じげ)の歌人に圧倒されるようになり、一方では、実力の前には、家重代の観念も次第に揺らぎはじめるようになったのです。

 この傾向は、連歌のような新興の文学ではさらにはなはだしく、実力のある連歌の好士はすべて地下の出身でしたが、彼らの世間的な地位はきわめて低いものでした。
 世間の評判になった歌会や連歌会は、公家・武家などの貴族階級が主催したものが主であり、地下の連歌師たちはその席に連なっても、貴族の座興の取持ちをするぐらいでした。
 地下の連歌師で、名実ともに一天下の師表となりえたのは、宗祇をもって始まりとしますが、心敬のころには少なくとも、文芸の好士たちの間には、家より人を尊重する思想が、すでに確乎として芽生えてきていたものと思えます。

 ところでこの段は、質問に次いで説明がありません。「尭は賢王であったが、その子は凡愚であったとか」以下、すべて古人の言行を列挙するにとどまっています。しかし、その一節一節は、連句のように連なり、全体的に見て一つのまとまった所論を構成しています。

 尭や舜のような賢王にしても、その体得した境地は、自分一個のもので、その親や子とは別のものです。
 歌道家、茶道家などと家が重んぜられるのは、立派な人物が継いでゆくところに意義があり、中心になるのはあくまで人なのです。
 歌道などという道は、尊重されなければなりませんが、道そのものに力があるのではなく、人がそれを体得することによってはじめて道たり得るのです。
 だから、「道ある人」こそ尊重すべきで、その人の前には王侯貴族といえども、その権勢を屈して、虚心に教えを受けなければならないはずのものなのです。

 結論として心敬は、「無間地獄に堕ちた身も環境も……」と説いています。つまり、
    「一途な思いを、歌を詠ずることを通して、より集中する。そしてその集中に
     よって、その他一切の雑念をはらって一心に近づくことが出来る。この一心
     に至り得てはじめて、その境位のあらわれとして理想の和歌が生まれる。
     その瞬間は、まさに仏の境地である」
 というのです。

 稽古を超えた修行を重ねて、初めて到達可能な「清浄」な境地こそが、和歌・連歌の眼目なのです。言い換えれば仏こそが究極の歌人なのです。文芸作品における芸術としての高さを、宗教的な高さに求めてやまなかった心敬の姿勢がうかがえます。
 お互い、仏のような清浄な心で、作品を生みだしたいものです。


      そのことに気づきし後の花石榴     季 己