壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

蝶の形見

2011年06月10日 22時38分14秒 | Weblog
          杜国に贈る
        白罌粟に羽もぐ蝶の形見かな     芭 蕉

 蝶の離れるとき白罌粟(しらげし)が、はらりと散ったのであろう。それを「蝶が羽をもぐ」ととっさに感じとったのだ。そして、自分を蝶に、杜国(とこく)を白罌粟に見立て、とらえた袖もちぎれんばかりの、離れがたい気持を、「羽もぐ」と表出したものと思う。
 蝶が羽をもぐのは、白罌粟に対してする形見だと見ているのであるが、技巧が勝ちすぎているようである。
 貞門・談林を通じて行なわれた「見立」の手法が、変貌してゆく線上の作といえる。

 「杜国」は、名古屋の人。坪井庄兵衛。米穀商。貞享二年八月、尾張藩に罪を得て、伊良湖岬に近い保美の里に身を隠した。名古屋の連衆中では年少であり、才気もすぐれていたので、芭蕉に非常に愛された。
 芭蕉は、貞享四年(1687)の『笈の小文』の旅では、保美の里に杜国を訪い、杜国に万菊丸と名乗らせ、吉野へも伴った。元禄三年没、三十余歳。『嵯峨日記』には、夢に杜国を見たという文がある。

 季語は「白罌粟」で夏。比喩的な使い方である。

    「白罌粟に遊んだ蝶が羽をもぐのは、白罌粟との別れを惜しんで、せめてもの
     形見として、自分の羽を残してゆくのである」


      立葵つぎつぎ副作用もまた     季 己