絶頂の城たのもしき若葉かな 蕪 村
「絶頂」という漢語の使用の、斬新さにまず驚かされる。当時の詩歌にあっては、「いただき」が普通であったろう。これは一時(いっとき)の好事的思いつきではない。その証拠に、「絶頂」は、日常語と化した今日においても、この句中にあって十分の働きを維持している。
「絶頂」という語には、仰ぎ見る程に高い感じがあり、何よりもたくましい若葉の気勢と一致している。
季語は「若葉」で夏。
「全山若葉のかたまりに埋もれた頂上に、白い石垣を根深く沈めて城砦が
一つ、百万の大軍でも何でも来たれ、と八方を睥睨している。いかにも
盛んな心丈夫な景観である」
當麻寺に當麻曼荼羅すずしかり 季 己
「絶頂」という漢語の使用の、斬新さにまず驚かされる。当時の詩歌にあっては、「いただき」が普通であったろう。これは一時(いっとき)の好事的思いつきではない。その証拠に、「絶頂」は、日常語と化した今日においても、この句中にあって十分の働きを維持している。
「絶頂」という語には、仰ぎ見る程に高い感じがあり、何よりもたくましい若葉の気勢と一致している。
季語は「若葉」で夏。
「全山若葉のかたまりに埋もれた頂上に、白い石垣を根深く沈めて城砦が
一つ、百万の大軍でも何でも来たれ、と八方を睥睨している。いかにも
盛んな心丈夫な景観である」
當麻寺に當麻曼荼羅すずしかり 季 己