壺中日月

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「俳句は心敬」 (98) 師範を尋ねる①

2011年06月05日 22時28分05秒 | Weblog
        ――和歌の道には、歌合(うたあわせ)といって、作者の名を
         隠してその座でいろいろ批判し合うことがあるので、わずか
         な欠点までわかり、自覚することが出来ます。
          連歌には、そのようなことはないのでしょうか。

        ――ほんとうに連歌の道には、まだ、そのような心づかいがない
         ためか、どんな初心者、下手な人でも、その時の気分や自分の
         好みに合うものだけを、良い句であると決め込んでしまうので、
         邪道に陥ってゆくのである。

          最近、初めて連歌を、歌合の作法に少しも違わず、句を左右
         につがわせ、その場でさまざまに批判しあって、勝負を決める
         ことがしばしば行なわれているとか。
          才能のある立派な方々が、連歌合を研究し、もてはやしたな
         ら、連歌の道を高めるよすがにもなるのではなかろうか。

          どんなに小さな道にも、師範を尋ねて学ぶのがならいである
         のに、連歌の道に限って、近頃になって自分自身で独り合点
         するようになってからは、まったく邪道に偏し軽率なものになっ
         たと言うことだ。 (『ささめごと』 連歌合 )


 ――歌人たちを左右二組に分け、その詠んだ和歌を左右一首ずつ出して合わせ、一番ごとに判者が批評・優劣を判定し、優劣の数によって勝負を決する遊戯を「歌合」といいます。
 歌合は、平安初期のころから、宮廷・貴族の間に流行しましたが、その方式にはいくつかあったようです。
 ここで心敬が述べている歌合は、「褒貶(ほうへん)歌合」といって、左右に分かれた人々が、互いに自分たちの歌人の歌を褒(ほ)めたり、相手の歌を貶(けな)したりして勝負を争うことのようです。
 現存している連歌合の作品で、最も古いと考えられものとして、救済と周阿の「百番連歌合」をあげることが出来ます。
 この「百番連歌合」は、二条良基が合点をして、優劣を判じたものです。
 応仁二年六月、関東下向中の心敬は、この連歌合を見て感服のあまり、自分でも救済・周阿と互して、同じ前句に付句を付けて、旅のつれづれの慰めにしたということです。
 当時、田舎暮らしをしていた心敬にとっては、相手とするに足る練達の士を得ることは困難であり、自分の作品の優劣を批判してくれるような人物は、なおさらのこと、求めることが出来なかったのです。
 そういうわけで、心敬の最も尊敬する先達である救済と、その弟子周阿の連歌合を見ては、そのまま黙っておれず、自分自身もその中に加わって、それらの先達の句と、自分の句との間に、胸中ひそかに優劣を判じていたに違いありません。
 
 心敬の作品の中には、自作を選んで、連歌合を試みたものも残っていて、心敬が、連歌合のような批判力と鑑賞力とを要する営みに、いかに強い関心を持っていたかを察することが出来ます。


      黴びてゐし結城紬の名刺入れ     季 己