壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (101) 師は一人

2011年06月08日 20時56分38秒 | Weblog
        ――和歌の合点は、些細なことまで判詞を添えて、歌の良し悪しを
         明らかにしようとします。
          連歌の合点は、どうあるべきでしょうか。

        ――連歌の合点は、和歌と少しも変わるものではない。
          墨で合点を引く際に、句の趣旨や表現のはっきりしない部分に
         は、必ず判詞を添え、作者と点者が、理解鑑賞について互いに
         納得しあう必要がある。理解できない句、根拠、筋の通らない
         ことなどを、そのままにして問いたださないならば、点を取って
         も合点しても、何の効果があろうか。
          和歌の合点には、どれほど小さなことでも判詞を添えて、疑問
         や不審を払拭するように努めるのである。
          連歌には、この程度のことさえ、論じ究めることは少ない。何
         とも情けないことである。
          だから、合点を乞うには、作者が最も尊重し、信頼している一人
         に限るべきである。
          決してそれ以外の人に、合点を求めるものではない、と和歌の
         道では思われている。 (『ささめごと』連歌の点)


 ――合点は、和歌などを批評するとき、判者が、その良し悪しを句の右肩に、点・丸・鉤(カギ=かぎかっこ)などの“しるし”を付けることをいいます。

 いつの世の人も、他人と競うことを好む人が多いようです。
 勝ち組、負け組といって、なぜ二つに分けねばならないのでしょう。わたし自身は、この「勝ち組、負け組」という言葉は、大嫌いです。「負けるが勝ち」ということわざがあるように、人生においては、勝ち組も負け組もないと思います。
 「ありがとう」と周囲の人に感謝しながら、最期を迎えられたら最高とも……。

 連歌合を好む心理は、他と優劣を競いたくてしようがない気持があるからかも知れません。それはひいては、絶えず自己を検討し、向上を望む精神が、根底にあるからだと思います。
 他人の句の趣旨もはっきりしないまま、合点をして、ただ単に、自分の好みを表明するだけではまったく無意味です。自他共に、句において表現しようとする気持をはっきりと見とどけて、お互いの思いのままに、納得のゆくまで批評してこそ、合点の意義はあるというものです。これを「合点がゆく」といいます。

 俳句の場合も、優れた作品にだけ評点を与え、そうでないものに批評を加えないというようでは、向上は望めません。
 俳句の選を乞う場合も、心敬のいうように、「自分が最も尊重し、信頼している一人に限る」ということは、大切なことです。ゆめゆめ一つの句を、複数の人に選を乞うてはいけません。選者の力量を試していることと同じで、非常に無礼なことです。


      神宮の杜かはせみとわが咳と     季 己