壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (95)心地修行①

2011年06月01日 20時26分10秒 | Weblog
        ――どんなに素質才能があり、深くその道に達した上手であっても、
         根本的な心地修行をいい加減にしては、至極の境地に達しがたい
         ものである。何としても和歌連歌の道を至高なものと思い、執念
         一筋の人だけが、この道にとって必要不可欠の大切な人たちなの
         である。
          「昔から、和歌連歌の道を、簡単浅薄なものと思っている者で、
         世に名声を得た者は一人もいない」
          と、言われている。

          道因入道は、八十歳になるまで、秀歌を詠むことを念願して、住吉
         神社に毎月参詣した、ということである。

          登蓮法師は、ますほの薄を探し求めようとして、雨の夜の明ける
         のも待ちきれず、蓑傘を借りて、難波江の渡の辺まで出かけようと
         するのを、人々は、
          「気ぜわしいことよ。雨が上がり、夜の明けるのをお待ちなさい」
          と、言ったところ、
          「人の命は、はかないもの。どうして明日を待っていられようか」
          と言って、出かけてしまったという。

          源頼実は、
           「秀歌一首詠ませていただけたなら、命は差し上げます」
          と、数年間も住吉明神に祈願した、ということである。

          知恵第一の人と言われた、あの聡明な舎利弗にしても、信心から
         仏道に帰依し、悟入したという。

          悉達太子は、国王の位を捨て、独り山深くお入りになった。そして
         ついに、われわれ凡夫の生死流転する三界を指導する仏菩薩にな
         られて、諸法実相の法界を明るく照らされた。

          十大弟子の一人である迦葉尊者が、鶏足山に入定されたのも、
         衆生済度のため弥勒菩薩に仏法を伝えることの難しさを嘆かれた
         からであるという。 (『ささめごと』心地修行)


      亡己利他無名に生きて更衣     季 己