――どんなに素質才能があり、深くその道に達した上手であっても、
根本的な心地修行をいい加減にしては、至極の境地に達しがたい
ものである。何としても和歌連歌の道を至高なものと思い、執念
一筋の人だけが、この道にとって必要不可欠の大切な人たちなの
である。
「昔から、和歌連歌の道を、簡単浅薄なものと思っている者で、
世に名声を得た者は一人もいない」
と、言われている。
道因入道は、八十歳になるまで、秀歌を詠むことを念願して、住吉
神社に毎月参詣した、ということである。
登蓮法師は、ますほの薄を探し求めようとして、雨の夜の明ける
のも待ちきれず、蓑傘を借りて、難波江の渡の辺まで出かけようと
するのを、人々は、
「気ぜわしいことよ。雨が上がり、夜の明けるのをお待ちなさい」
と、言ったところ、
「人の命は、はかないもの。どうして明日を待っていられようか」
と言って、出かけてしまったという。
源頼実は、
「秀歌一首詠ませていただけたなら、命は差し上げます」
と、数年間も住吉明神に祈願した、ということである。
知恵第一の人と言われた、あの聡明な舎利弗にしても、信心から
仏道に帰依し、悟入したという。
悉達太子は、国王の位を捨て、独り山深くお入りになった。そして
ついに、われわれ凡夫の生死流転する三界を指導する仏菩薩にな
られて、諸法実相の法界を明るく照らされた。
十大弟子の一人である迦葉尊者が、鶏足山に入定されたのも、
衆生済度のため弥勒菩薩に仏法を伝えることの難しさを嘆かれた
からであるという。 (『ささめごと』心地修行)
亡己利他無名に生きて更衣 季 己
根本的な心地修行をいい加減にしては、至極の境地に達しがたい
ものである。何としても和歌連歌の道を至高なものと思い、執念
一筋の人だけが、この道にとって必要不可欠の大切な人たちなの
である。
「昔から、和歌連歌の道を、簡単浅薄なものと思っている者で、
世に名声を得た者は一人もいない」
と、言われている。
道因入道は、八十歳になるまで、秀歌を詠むことを念願して、住吉
神社に毎月参詣した、ということである。
登蓮法師は、ますほの薄を探し求めようとして、雨の夜の明ける
のも待ちきれず、蓑傘を借りて、難波江の渡の辺まで出かけようと
するのを、人々は、
「気ぜわしいことよ。雨が上がり、夜の明けるのをお待ちなさい」
と、言ったところ、
「人の命は、はかないもの。どうして明日を待っていられようか」
と言って、出かけてしまったという。
源頼実は、
「秀歌一首詠ませていただけたなら、命は差し上げます」
と、数年間も住吉明神に祈願した、ということである。
知恵第一の人と言われた、あの聡明な舎利弗にしても、信心から
仏道に帰依し、悟入したという。
悉達太子は、国王の位を捨て、独り山深くお入りになった。そして
ついに、われわれ凡夫の生死流転する三界を指導する仏菩薩にな
られて、諸法実相の法界を明るく照らされた。
十大弟子の一人である迦葉尊者が、鶏足山に入定されたのも、
衆生済度のため弥勒菩薩に仏法を伝えることの難しさを嘆かれた
からであるという。 (『ささめごと』心地修行)
亡己利他無名に生きて更衣 季 己