壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (99) 師範を尋ねる②

2011年06月06日 20時08分51秒 | Weblog
 ――さて、“サンデー毎日(定年退職者)”の皆さん、何か「好きなこと」が見つかりましたか。俳句を「好き」になっていただけたなら、こんなにうれしいことはありません。

 俳句が好きになったら、つぎは俳句を楽しみましょう。
 俳句を楽しむには大きく分けて、二つの方法があります。一つは、俳句結社に入り、その主宰から指導を受ける方法。もう一つは、我流で、新聞や俳句雑誌に投句して、しこしこ楽しむ方法です。パソコンのある方は、ネット句会に参加されるのもいいでしょう。

 まずは、結社の選び方から。
 結社を選ぶということは、主宰を選ぶ、つまり、師範を尋ねるということです。その師範の選び方ですが、

    1.その主宰の句が大好きで、そのような句をぜひ作りたい。
    2.評論、随筆など、文章が非常にうまい主宰。
       ※文章が上手で、俳句が下手な俳人は、まず、おりません。
    3.自宅から一時間以内で行ける場所で、句会を開いている結社。

 を選んで入会すれば、大いに俳句を楽しめると思います。
 入会の上は、主宰に全幅の信頼を置き、徹底的に学んでください。「石の上にも三年」といわれるように、歯を食いしばってでも、三年間は辛抱することが大切です。

 我流で、しこしこ楽しむには、どうすればよいのでしょうか。
 答は簡単。自由に、勝手に、好きなように作ればよいのです。それで本当に楽しいなら、それはそれで結構なことです。
 ただ、句の良し悪しは、自分自身で判断できませんから、上達は望めません。もし、上達もしたいというなら、新聞や俳句雑誌に投句することです。
 選評欄を熟読し、“この先生”という方がおられたら、その先生の選だけを受けてください。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」と、いろいろな先生の選を受けられることは、少なくとも初心者のうちは禁物です。

 我流で、しこしこ俳句を楽しみたい方のために、俳句の作り方の根本をお教えしましょう。
 「俳句は、見たまま作ればよい」と、よく言われます。しかし、これは大きな間違いです。
 見たまま作るから、報告・説明になってしまうのです。
 俳句は、散文(記述文)ではなく、“詩”なのです。

 今から三十数年ほど前、岡本眸先生が、俳誌『朝』を創刊される以前のことです。
 個人的に通信添削を受けた最初にいただいたコメントを、今でも覚えています。

    「二句とも、報告に終っています。日常句の場合、自分の詩の世界を持つ
     ことが大切です」

 《自分の詩の世界》を持つとは、どういうことなのか、全くわかりませんでした。
 今でも、眸先生の真意のほどはよくわかりません。が、独自の感性で、独自の情感を伝えるための媒体として描くイメージ、と勝手に解釈しております。


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