おろし置く笈に地震なつ野かな 蕪 村
この句「オロシオク オイニナイフル ナツノカナ」と読む。
この句の別案らしいものに、「笈の身に地震(ジシン)しり行く夏野かな」がある。これだと、主人公が地震を感じたというだけで、ことは大半、意識内の現象として閉ざされてしまっている。
掲句は、「人」からきれいに離れて、「物」に中心点が移されている。具体的な物の「笈」を点出し、それを外界の夏野のまっただ中へ据えることによって、すべては悠久広大な自然の力に任せられている。そのためにかえって、小さくはかない人間の自然の力に対する驚きの情も、ひとしお鮮明になっている。
静の中へ突如として動を呼び起こして、その結果、夏野の閑かさとその奥底にひそむたくましい活力とを、あわせて強く意識させているのである。
地震は、ひたすらに恐怖すべき忌まわしいものと考えられ、いわんや、「詩の素材」として採り入れることなど、人々の夢想だにもしなかったところであろう。
蕪村は、あらゆる現象を、現象そのものとして生活し享受する近代の生活者と、共通な素質を多分に所有していたのであろう。
この句は、内容にふさわしい荘重な形式を備えていて、
おろしおくおひになゐふるなつのかな
のように、「お」の音と「な」の音とが、整然と打ち重ねられている。
季語は「なつ野」で夏。
「果てしもない夏野は、ただきらきらと輝き、物音ひとつしない。ふと、何か
の気配のようなものが感じられた瞬間、背から下ろして傍らの地面に据え
てあった笈が、かすかながらも明らかに震動するのが認められた。大地
のどこからか起こった地震が、今この夏野を通り過ぎてゆくのである」
浄土風来る中尊寺蓮ひらき 季 己
この句「オロシオク オイニナイフル ナツノカナ」と読む。
この句の別案らしいものに、「笈の身に地震(ジシン)しり行く夏野かな」がある。これだと、主人公が地震を感じたというだけで、ことは大半、意識内の現象として閉ざされてしまっている。
掲句は、「人」からきれいに離れて、「物」に中心点が移されている。具体的な物の「笈」を点出し、それを外界の夏野のまっただ中へ据えることによって、すべては悠久広大な自然の力に任せられている。そのためにかえって、小さくはかない人間の自然の力に対する驚きの情も、ひとしお鮮明になっている。
静の中へ突如として動を呼び起こして、その結果、夏野の閑かさとその奥底にひそむたくましい活力とを、あわせて強く意識させているのである。
地震は、ひたすらに恐怖すべき忌まわしいものと考えられ、いわんや、「詩の素材」として採り入れることなど、人々の夢想だにもしなかったところであろう。
蕪村は、あらゆる現象を、現象そのものとして生活し享受する近代の生活者と、共通な素質を多分に所有していたのであろう。
この句は、内容にふさわしい荘重な形式を備えていて、
おろしおくおひになゐふるなつのかな
のように、「お」の音と「な」の音とが、整然と打ち重ねられている。
季語は「なつ野」で夏。
「果てしもない夏野は、ただきらきらと輝き、物音ひとつしない。ふと、何か
の気配のようなものが感じられた瞬間、背から下ろして傍らの地面に据え
てあった笈が、かすかながらも明らかに震動するのが認められた。大地
のどこからか起こった地震が、今この夏野を通り過ぎてゆくのである」
浄土風来る中尊寺蓮ひらき 季 己