壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (97) 晩 学

2011年06月04日 21時04分01秒 | Weblog
        ――「歌・連歌の巧みな連中は、晩学の人に多い」などと言って、
         若いうちの修業を捨て置く人がいます。そういうことは、正しい
         ことなのでしょうか。

        ――歌・連歌の道は、まったく暮らし向きの心配がなく、心にゆと
         りのある人のもてあそぶものであるから、人生の半ば過ぎから、
         理想的な修業や思慮分別の出てくる道なのである。
          たしかに、老後になってからの数寄こそ、心に目指すところの、
         まことの我が歌・句が出来るものなのである。

          家隆卿は、五十歳のころから、特に名声が高くなった歌仙と聞
         いている。

          越(ねいえつ)は、四十歳になって学問を始め、儒学の道の
         奥義まで悟ったという。

          孔子も「四十にして惑わず」と言う。

          宗史は、七十歳で学んで、師匠からの伝授の域にまで達した。

          論語には、朝に人として守るべき正しい道を聞いたら、その夕
         べに死んでも本望である、といっている。 (『ささめごと』晩学)


 ――平安朝以来の数世紀にわたる古典的教養が、その作者の円熟した心境と渾然一体となって、その人柄のうちから滲み出てくるようなものを尊んだのが、中世の文学だと思います。
 真の作品を生み出すには、非常に長い、全人的修業を必要としたのです。
 そういう修業は、仏道修行と同じで、すべてを投げ捨てねばならず、それは普通の社会人にとっては、不可能なことでした。一通り世間的な勤めを果たし、俗務から解放される年齢になってはじめて可能なことでした。
 「人生の半ば過ぎから、理想的な修業が出来、老後になってはじめて、まことの我が歌・句が出来る」というのは、そうした事情によることが多かったのです。

 家隆卿が大器晩成の人であった話などは、新古今時代には珍しいことでした。しかし、心敬の時代になると、心敬にしても宗祇にしても、名をなすようになったのは晩年で、それが普通の状態であったのです。

 越は中国・戦国時代の人で、農耕に堪えず、学問に志し、人が眠っている時も刻苦勉励して、人の三十年を十五年間に果たして、周の威王の師となり、儒学を講じたということです。


 四年ほど前から団塊の世代に入り、大量の退職者が生まれています。
 「退職したら、毎日が日曜日。さて何をして毎日を過ごそう」と、おっしゃる方が大勢いらっしゃることと思います。そういう“サンデー毎日”の方に、ぜひ、おすすめしたいのが俳句です。
 昨今、“脳トレ”と称して、音読、書写、絵手紙、ぬり絵、簡単な計算の本等々が、バカ売れしているそうですが、俳句は、そのような本は必要ありません。鉛筆一本と紙一枚あればOKです。
 でも、季語を知るために「歳時記」は必要ですね。しかし、これも買う必要はありません。お近くの図書館でいろいろ見比べて、気に入ったものを借りてくればよいのです。

 「歳時記」は、どこから読んでもかまいません。今でしたら夏の項を読むのがいいでしょう。
 まず、解説の部分を大きな声で、最低3回は読みましょう。つぎに例句も声に出して、5回以上読んでください。
 心にひびいた、あるいは何となくいいな、と思った句に出合ったなら、それを声に出しながら5回、紙に書いてください。紙はチラシの裏や、カレンダーの裏で結構です。出来ればそれらを短冊のように切り、短冊一枚に一句を、大きく丁寧に書くのがよいと思います。
 これらのトレーニングをしばらく続け、「楽しい」と感じられるようになったら、本格的に俳句を学び、俳句を詠まれるよう切望します。
 俳句の一歩、実作については、また後日……。


      落し文拾ひ独りを楽しむか     季 己