壺中日月

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「俳句は心敬」 (102) 高士の風格①

2011年06月11日 20時40分22秒 | Weblog
        ――風雅の道に、並々ならぬ情熱を注いでいる人の中には、
         俗世間を避けて隠れ棲み、悠々自適の暮らしをし、世間的
         な会席には一切かかわらず、世間に名の知られていない人
         がいるそうです。
          そして、むしろそういう人たちの方が、名声を得ている人よ
         りもすぐれた人物が多いといわれておりますが、本当でしょ
         うか。

        ――先達が語っておった。いかにもそのような高士の中に、
         真の歌人はいるものであると。

          並外れた賢人には友人はいない。清い水には魚が住まな
         いように。
          許由は、箕山に隠れ棲み、峰の痩せた老松の下に、空し
         い松風の音を聞いて、人間の浅ましい野望の夢を覚ました
         という。
          顔淵は、一箪一瓢(いったんいっぴょう)の貧しい暮らしを
         し、民草の中に埋もれて、一生を過ごしたという。
          介子推は、晋王の招きを断り、とうとう山を下りなかっ
         たので焼き殺されてしまった。しかし、後世、その命日を
         「寒食の日」として、その日は火を使わなくなったという。
          西行上人は、乞食にひとしい修行者であったが、のちの
         和歌隆盛の世では、その名声が輝きわたった。
          鴨長明の方丈の庵の跡には、その業績を慕って、後鳥羽
         院が二度までも御幸をなさったということだ。
          在家の長者・維摩居士の樹下の方丈に、文殊菩薩がやって
         きて、般若の空観による不可思議な解脱の法や、一切万法を、
         ことごとく不二の一法に帰する法を受け、敬拝なさったという。

          真の歌仙と言われる人には、自分の利益とか、人を感化し
         ようとする気持はみじんもない。それは、仏が維摩居士をして、
         大乗経の玄妙な理を、説き明かされたようなものである。

          百戦百勝したとしても、侮辱に対してたった一度でも堪え
         忍んだ態度にはおよばず、万言万答したとしても、ただ一つ
         の沈黙にはおよばない。
          経巻を手にすることはなくても、つねに心の中で経を唱え、
         声に出すことはなくとも、多くの経典を暗誦する。
          君子は、人倫の退廃を憂い、小人は、貧しさを憂う。

          このような人は、真如の正しい理性と判断を持ち、詩歌の
         風雅の美に遊ぶことができるという。また、魅力的な歌仙を
         非難し、軽蔑する連中が世間に多くいる。これは外道の畜生
         というべきことである。

          不死の霊薬である甘露でさえも、飲む人によっては毒薬に
         もなる。
          神力でさえも、宿業因縁の引き起こす力にはおよばないと
         いう。
          鷹は賢い鳥ではあるが、烏にはアホーアホーと笑われると
         いう。
          仏陀の説教をも、多くの慢心・増長した人たちは、馬鹿に
         して、筵を巻き、その場を立ち去ったという。

          ひたすら放埒な行為を第一にして、いい加減で軽薄な作者
         が、世間には多い。俗世の執着心を捨てた歌人の中に、紛
         れ込んでいる輩もいる。
          そうした人たちは、露骨に評判を得ようとして宣伝する偽善
         者にも劣って、良心の受ける不安や恐怖は大きいものであろ
         うといわれる。
          また、道に執心うすい連中は、上面だけの数寄や嗜みの姿
         勢は見せるが、心底からの執心のない者が、諸々の分野に
         見受けられる。ことに仏道修行の者のうちに多いという。
          そのような連中は、表現・技巧だけのことで、胸のうちは浅
         薄で稚拙さがはっきりしている、などといっている。

          蛇は、頭の一寸を見れば、その大小はわかり、人は、一言を
         聞けば、その賢愚を知ることが出来るという。
          仁者とは、必ず勇気のある人であるが、勇敢な人が必ずしも
         仁慈の心があるとは限らない。 (『ささめごと』幽栖閑居の好士)


      胸のうち吐き鉄線の白き花     季 己