平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

日本最初のクリスマス諸説

2009-12-21 11:53:26 | 牧師室だより

牧師室だより 2009年12月20日 日本最初のクリスマス諸説

 日本最初の米国総領事タウンゼント・ハリスの日記が残されている。以下は1856(安政3)年、第13代将軍徳川家定に謁見する前日の日記の一節である。「待降節(アドベント)の第二主日である。私は祈祷書日課全部を声を出して読んだ。これはこの国において英語の聖書が読まれ、アメリカ聖公会の礼拝が初めて行われた日である。私はこのことを思って万感こもごもに至るを禁じ得ない」。宣教師ではなく、一信徒ハリスの胸に禁じ得なかった万感こそ日本伝道の原動力となったのである。
 
 もっともこの2週間あと、ハリスは一人寂しくクリスマスを祝うこととなる。しかも下田の玉泉寺というお寺で。「今日ぞ楽しきクリスマスの祝節なり。幸福なるかな、祖国にありてこの喜びの日の祝辞を交わす人々は。あわれ、余は病み、かつ一人寂しく、この牢獄のごとき所にて起居す」。

 幕府の厳重な監視下にある玉泉寺で、独りきりで祖国のクリスマスに思いを馳せながら祝ったのが、日本で最初の降誕祭であったといわれている。しかし、他説もある。それはさらにさかのぼること300年前。天文20年(1551)7月、フランシスコ・サビエルが山口で布教を始め、9月には大分へ移って行くが、サビエルが去ったあとも山口では他の司祭による布教活動がつづき、翌年、天文21年(1552)山口で、日本最初のクリスマスが祝われた。

 フロイスが著した「日本史」の第一部八章にははっきりと、山口において日本で初めて降誕祭の祝いが催されたと書かれてある。そのことは当時の弥蘇会士日本通信にのっている。曰く、「1552年の降誕祭の日に弥撤(ミサ)を歌い、良い声ではないけれどキリシタンの人たちはこれを聞いておおいに喜んだ。その日は一晩じゅう基督一代記を語り、6回弥撤(ミサ)を行い、これを行う理由を説明した」と(参考文献:「山口県史史料編中世1」)。

 それから450年、日本各地でクリスマスをみんなで盛大に祝うことができる。それはザビエルたち宣教師やハリスの独りきりのクリスマスがあってのこと。覚えておきたい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿