牧師室だより 2011年9月11日 平塚バプテスト教会信仰告白(試案) 聖書 ②
(信仰告白・聖書)私たちは、聖書は神の霊感を受けて書かれ、イエス・キリストによるすべての人間の救いを啓示するものであり、私たちの信仰生活の唯一の規範である、と信じます。
先週の「聖書」の解説の続き。
「神の霊感を受けて書かれ」とは、決して、聖書を書いた人たちが神がかりになったとか、聖書が神の御筆先(天理教・大本教などで、神の詞を教主が書いたという文書)であるとか、を意味しません。むしろ聖書はさめた自覚と意図を持った人間が、明確な目的のために書いたのです。しかし、その聖書の告げている内容はあらゆる人間意識を超えています。
神が人間を愛し、人間のための神となり、イエス・キリストにおいて罪人は救われるということは、人間が信じ、語り、書き記す以前に、神ご自身が告げ知らせ、神ご自身が確証されることです。それはちょうどキリストの誕生を知らせたのが人間ではなく天使であり、空(から)の墓の前で復活を告げたのがほかならぬ天使であった、というのと同じです。キリストを本当に証しできるのは、神ご自身であります。
したがって聖書がキリストを証しているのが真であるなら、聖書は神の力によって書かれたという以外に言いようがありません。そのことを「聖書は、神の霊感を受けて書かれた」(Ⅱテモテ3:15-17)という表現で示しています。この神の自己証言によって、聖書は成立するのです。
「信仰生活の唯一の規範」の「規範」とは尺度、基準の意味ですが、それに無理やり合わせるというより、尺度、基準に照らして自分の信仰生活を吟味すること、今の自分の生活とどんな関係があるのか、神は自分に何を語りかけておられるのかを考えることがきわめて大切です。聖書はいわば神からの愛の手紙です。その愛のメッセージを聞くことが求められているのです。
「聖書」の項目の解説は以上です。やはり難しい?大切な心構えは求めて聖書を読み、愛のメッセージを聞き取り、受け取ること。聖書の御言葉は心の糧。信仰生活には欠かせない糧です。