昨日、78回目の広島原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)が行われ、松井一実市長は平和宣言で、各国の為政者に対し、「核による威嚇を直ちに停止し、信頼関係に基づく安全保障体制の構築へ一歩を」と強く求めた。
さらに、世界中の指導者は、核抑止論は破綻していると直視し、「具体的な取り組みを早急に始める必要がある」として、「核抑止論からの脱却を促す重要性」を訴えた。
しかし、核抑止論が完全に破たんしていることを認めると、逆に言えば核の使用はやむを得ないことにならないかが心配だ。
確かに、ロシアはウクライナ侵略に戦術核の使用をほのめかし威嚇していることは事実だ。しかし、実際に広島、長崎への原爆投下以後、初めて核を使用した場合、ロシアはその時から欧米による核の反撃を受ける立場になる。
そんな死活問題をロシア国民は認めるだろうか。プーチン大統領は、ウクライナ侵略は特別軍事作戦だとして国内には戦争とは言っていない。
従って、国内的には核を使用する国民的合意は為されていない。そんな段階で一気に核の使用を行うことは、いかにプーチン大統領主導の強権国家と言えども国民は認めないだろう。
核抑止力をロシア自体が自認していると思われるのは、ウクライナ侵略は、ロシアがウクライナから核装備を引き上げたことによって実行された。
つまり、ウクライナにソ連時代からの核装備が置かれていれば、ロシアは侵攻できなかった可能性がある。それだけ核抑止力を認めている証左だ。
一方、ウクライナ侵攻後、ロシアはベラルーシに核装備を持ち込んだ。ウクライナから核装備を撤去させたことと逆の処置だ。
これはベラルーシのルカシェンコ大統領から要請された可能性がある。ベラルーシへの核装置持ち込みは、ウクライナへの威嚇と同時に、西側に対する核抑止の目的のためだろう。
ロシアのプーチン大統領やその周辺が思考不能に陥らない限り、核抑止は機能する可能性が高い。
実際に、世界には核兵器が2万数千発あり、それを実際に使えば世界は滅びる。
世界で唯一被爆した日本に取っては、全面的核禁止が最大の目的だが、それが達成する間は、現実的には、総ての核保有国で核抑止論を厳守することが生き延びる道であることを肝に命じなければならない。「関連:8月6日」
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