政治家の多くは、事あるごとに「命をかけて」とか「死を覚悟で」とか軽い口調で話をすることがあるが、一昨日亡くなった翁長雄志知事は、正に命をかけて政治信念を貫いた政治家と言えるだろう。
治り難いと言われている膵臓がんに冒され、抗がん剤治療により頭髪が抜け、瘦せ細った姿を大衆の前に見せたのが、5月の沖縄返還記念集会の時だったかと思う。
7月28日には、沖縄県庁で記者会見を開き、仲井眞弘多前知事による辺野古埋め立ての承認を正式に取り消すことを、弱弱しい声だがはっきりと言明した。
多分、この時には、医師から外出は自粛するよう警告されていたのではないかと推察するが、翁長氏は、医師や周辺の人を説得し、病気の進行を覚悟で記者会見に臨んだのだろう。
正に、自身の命を賭して、辺野古埋め立ての進捗を拒んだのだろう。
元自民党議員であった翁長氏が、保守も革新もなく、沖縄のために「オール沖縄」として、辺野古埋め立て反対を指導したのは、命がけだったと思う。
活動の過程で、上京する度に、安倍晋三政権から疎まれ、時には、首相官邸から門前払いの屈辱も受けた。
本人も言っていたが、安倍政権は、沖縄よりも、アメリカの方を向き、いったいどこの政府かと感じたこともあったようだ。
政府の沖縄に対する予算も、前知事時代より大幅に減らされるという意地悪もされた。兵糧攻めにあって、辺野古反対勢力にひびが入る事態にもなった。
2月に行われた名護市長選挙では、盟友の稲嶺市長が自民党推薦の渡具知氏に大差で敗れた。正に、翁長知事にとっては、厳しい情勢になっている中で、苦悩の連続だったろう。
自らも病魔に襲われながら、最後まで、自らの意思を貫き通した翁長知事こそ、正に命がけの政治を全うした真の政治家だったと思う。「関連:8月9日」
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