すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

日弁連「集団的自衛権。それは外国のために戦争をすること。」

2015年07月29日 | 日々思うこと

昨日は深夜に降った雨のため蒸し暑い中を、日曜日の講演会に来てくれた上越市の友人Fさんとの会食のため車を走らせました。「上越9条の会」だけでなく幅広い活動をこなし東京までも出かける友人は、「平山先生の講演は今まで聴いた中で一番素晴らしく、平易な言葉でとても分かりやすかった」と、主催者冥利に尽きる嬉しい感想でした。

また朝9時から参院特別委員会の様子をラジオで聴いていたそうで、私も孫のところへチョッと立ち寄ってからの帰途は、カーラジオで特別委員会の最後の5時15分頃まで耳を傾けながらの運転でした。安全保障関連法案について驚くことに、一番アベ首相に近い礒崎首相補佐官が「法的安定性は関係ない」と言い出すので、審議が参議院へ移っても理解に苦しむ答弁はさらに加速です。

写真は日本弁護士連合会の『集団的自衛権。それは外国のために戦争をすること。』と書かれた4つ折りパンフです。これは平山先生の講演会資料として配布され、裏面には「私たちは、法律家団体として、立憲主義を堅持する立場から、閣議決定により政府解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認することに反対します。」と縦書きにまとめられています。

右は友人Fさんお薦めの集英社新書で、6月に出版された澤地久枝さんの『14歳(フォーティーン)満州開拓村からの帰還』( 700円+税)です。帯には『満州での敗戦、難民生活と壮絶な引き揚げ体験。自身の「戦争」を、いますべて綴る。』と・・・。ネットで「えほん」の書棚と夏休み中に入院予定の友人J子さんへの“お見舞い”にと、3冊注文です。

そして法政大学の山口二郎教授は、「今の日本を見ていると、1930年代とよく似ており満州事変以降、報道の自由と学問の自由が政府によって抑えこまれていき、戦争を支持させるように世論が動員されてきた。昨今の歴史修正主義的な動きは、これと通底したものです」と述べています。さらにイギリスの作家ジョージ・オーウェルの著書『1984』の中で、権力の側は「戦争は平和である」、「自由は屈従である」、「無知は力である」と、新語法(ニュースピーク)を国民に刷り込んでいくと、全体主義支配のエッセンスをオーウェルは見抜いていたと指摘です。

平山知子先生も講演で、1930年代と似ている状況や、戦前の明治憲法下では主権者は神である天皇で、国民は民草・巨民・赤子、平等はなく人間らしく生きる権利もない、いのちは天皇に捧げるもので“軍国の母”を作り出してきたと・・・。さらに「戦争反対」など絶対に言わせない運動させない、治安維持法体制について詳細に語られ、今、安倍政権の下で再び戦争ができる国への急ピッチな動きを鋭く指摘されました。(続く)