すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

復興への道と「九条は国の宝」

2017年01月30日 | 日々思うこと

戦後日本を代表する評論家で「九条の会」の呼びかけ人でもあった加藤周一さん、28日夜のNHKETV特集 アンコール『加藤周一 その青春と戦争』を視聴です。加藤周一さんの「青春ノート」が公開され、日中戦争から太平洋戦争の時代の若き頃に社会の中で孤独を感じ、戦争協力に雪崩をうつ知識人に批判のまなざしを向けていたことを知りました。

昨29日の午後は会議が二つあり、先ずは「9条の会・糸魚川」の役員会です。会議の最後にご自宅をギリギリで延焼を免れたA代表から、メディアからは流れてこない悲痛な現状が伝わりました。市内で人が集まれば大火のことが話題になりますが、立場の違いでその思いも多様であることが時間の経過と共に伝わってきます。

会議を終えての夕方、本町通りを抜けるとガレキの山の向こうに黒姫山を見ることができます。山形県酒田市のような都市計画を描きにくい糸魚川市の現状、この試練を背負って長い道のりを進まねばならない被災者らの苦渋に胸が痛みます。

ところでトランプ大統領、メキシコ国境との壁に留まらず中東・アフリカ、7カ国の入国を禁止するという大統領令に驚くばかりです。自由と平和・平等を求めてきたアメリカの建国の理念や寛容さはどこへ行ってしまったのでしょうか。司法の場で憲法違反と判断されれば大統領令は無効のようですが、米国追従のアベ政権の危うさも感じてしまいます。

そして今日は大規模火災で所在が分からなくなっていた本町通り商店街の七福神の石像が焼け跡から見つかったというニュースです。これは地元商店街が20年余り前に制作した七福神の「寿老人」の石像で、「寿老人」だけが所在不明だっただけに、商店街では守り神として復興のシンボルとして大切にしていきたいとしています。

「憲法九条は国の宝だ」とも言い残した加藤周一さん、宝とも思わずに放棄し立憲主義をないがしろにする政権といい、加藤さんは再び同じ道を進もうとしている今日の日本の動きを嘆き憤っていることでしょう。


糸魚川大規模火災の検証と教訓

2017年01月28日 | 日々思うこと

糸魚川市で発生した大規模な火災を受けて昨日、国の検討会の初会合が開かれました。国が示している消防車の台数などの基準は主に人口をもとに決められていることから、 委員から強風の吹きやすさなど地域ごとのリスクを踏まえて、見直すべきだという意見が出されました。

さらに「強風下で消防活動戦術の在り方」について技術的に検討すべきだとも指摘され、座長を務める神戸大学室崎益輝名誉教授は「今回の大規模火災は糸魚川だけでなく、全国の多くの都市に共通する問題が含まれているため、一つ一つの課題を検証し教訓を発信していきたい」と話していました。また初会合に出席した糸魚川市の消防長は今後 消火栓や防火水槽などを増やすことや消火に用いる水を確保する方法などを検討すると明言です。

26日夜のNHK時論公論でも「糸魚川市 大規模火災の教訓」で、これまでに分かったてきたことを整理しながら、今後の火災対策を解説です。

ttp://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/259870.html 

遠くまで飛んでゆくのは鳥くらいだけで、“飛び火”や放射性物質の拡散はもうごめんです。近所の八久保郵便局の鳥の写真がまだ掲載されており、すべてが市内で撮ったというので驚きです。崖の上での子育ての様子や、水遊びをするカワセミなどの写真に目を見張りました。

深夜のNHKETV特集、アンコール『原発に一番近い病院 ある老医師の2000日』を視聴です。ネット上でも話題になっていた福島原発から22キロ離れた双葉郡広野町の高野病院院長の高野英男さん(81)の現役医師として診療を続けている2000日にスポットです。原発事故で原発周辺の病院が休止しているため、高野病院に救急車が殺到で、番組は昨年10月に放映でしたが、孤軍奮闘の高野医師はその2ヵ月後の12月に病院と隣接するご自宅の火災で亡くなられました。

原発事故で地域医療が崩壊する中、除染など復興作業に携わる“新たな住民”や、原発事故によって居場所を失った高齢者たち、あれから6年目になろうとしている今、政府はこの現状をどう捉えているのでしょうか。

また昨日の糸魚川市の気温は13度を超える県内最高で、家の周りの雪はすっかり消えて少しずつ春に近づいているようですが油断大敵・・・、インフルエンザも広がっており、どなた様もお気をつけてお過ごしくださいますよう。


原発事故を語り継ぐ“希望の牧場”の牛たち

2017年01月26日 | 地震・原発

今日は朝から抜けるような青空で、道路もガリガリで油断すると足を滑らすテカテカ状態です。こんな快晴の日は家に閉じこもっていてはもったいない程で、予定通りにお昼近くに上越市へ・・・。新潟焼山も真っ白で、山頂ドームにはかすかに噴煙を見ることができます。

日本海も静かで、進行方向に見える米山の稜線もくっきりです。帰途に着く夕方頃には、真っ赤な太陽が一段と大きく見えて空も茜色で、車を止めてシャッターを押したいと思いながら、あっという間に日本海に沈んでしまいました。

新潟市の元教職員の人たちが『福島被災地からの報告』講演会を計画しています。警戒区域で生き残った牛たちと牧場主の西沢正巳さん、私も昨年10月に浪江町の“希望の牧場”を訪れ、原発事故を語り継ぐ牛たちに感動しました。お近くの方は是非ともお出かけくださいますよう。

ところで米国トランプ大統領の就任式後の驚くべき“米国第一”言動に、日本のメディアはこぞって連日取り上げています。ところが福島第一原発事故から6年になるというのに、未だに避難している9万人近くの人たちや拡散された放射性物質などは忘れ去られているようです。収束どころか汚染が拡大する中で、原発再稼働へと突き進むアベ政権に東京五輪が開催できるのかと首を傾げてしまうこの頃です。


糸魚川市の“消防力”と“若者力”と

2017年01月24日 | 日々思うこと

このところメディアは糸魚川大火を詳細に伝えており、本日の夕方6時過ぎのBSNローカルTVでは、シリーズ4回目として“消防力”を取り上げています。市消防本部には全国平均を上回る消防車6台と職員数90人を備えていることや、出火から1時間30分を経過して市から上越市への応援要請で、県内各市へは2時間30分後であったことなど、広域応援や初期消火の課題を詳しく伝えています。

そういえば去る18日の夕方のテレビ朝日系UX局では、火災当時の消火栓や防火水槽が機能していたかなどその位置を示しながら、市当局がまだ調査中という点にまで踏み込んでの報道でした。これらは周辺住民への丁寧な取材を重ねた上での報道で、私もこの一ヶ月あまり“消せなかった炎”を市民がよく見ていたことが友人知人らからも伝わっています。

巷ではもう終わったことで消防力不足など、あまり追求しない方がよいという声もあるようですが、惨禍を繰り返さないために教訓とした検証が必要かと受け止めいます。また“災害に強いまち”へも、木造の建物や雁木(がんぎ)など、風情のある街と火災に強い街をどう両立させるか、専門家に任せるだけでない議論の必要があるのではと考えています。

今日も昨日と同様、強い冬型の気圧配置で氷点下の寒さで道路もバリバリです。こんな日はできるだけ外出を避けることにし、コタツに入って裂き織りに初挑戦です。昔から好奇心旺盛なことで、興味のあることには首を突っ込んで来ましたが、裂き織りは観賞だけの未知の世界です。

先ず、機織りの道具がないとできないと思い込んでいたのですが、ダンボールを15センチ角にして太目のタコ糸を縦糸にしてみました。横糸は数年前に染めた藍染めの風呂敷が色あせてきたので、2センチ幅に裂いて織ってみましたが思ったよりも簡単にコースターの完成です。

ところで20日付けの糸魚川タイムスでは、この4月改選の市議会を“なり手不足 顕在化”と取り上げています。現在は定数20に1人欠ける19人で、このうち60代以上が15人で、若手は40代1人で50代が3人です。特に今回の大規模火災では議会調査特別委員会を設置する様子もなく、事の大きさを会議録が残らない全員協議会で済まそうとする世代交代のない市議会には呆れるばかりで、このままでよいはずはありません。

“災害に強いまちづくり”も市や専門家任せでなく、次世代を担う若い人たちがどんな街にしたいのか積極的に関わり、市議会を未知の世界と思わずに挑戦してほしいものです。新しい糸魚川へ今こそ“若者力”が求められており、縦糸と横糸を織り成す裂き織りのように“がんばろう糸魚川!!、がんばろう若者!!”の思いの昨今です。


“消せなかった炎”の糸魚川大火から一ヶ月

2017年01月22日 | 日々思うこと

大火から一ヶ月の日曜日、小雨の中でガレキ撤去作業や“思い出さがし”を現場で手伝うボランティアの姿が見られます。メディア各局は燃え広がるあの日の“消せなかった炎”の脅威と、その後の復興の様子を伝えています。

当初の全半焼は144棟から147棟になり、およそ200人が被災し自然災害以外では初めの「被災者生活再建支援法」が適用されました。これにより国などから最大400万円が支給されることになり、市役所では今日から支援金受け取りに必要な「り災証明書」の発行が始まりました。

本町通りの北越銀行の焼け焦げた建物周囲には足場がかけられ、外壁などの補修が始まりました。街なかでは一方通行や進入禁止の個所が多く、ガレキの撤去が手付かずの所が目立ちます。

そんな今日は開催が危ぶまれていた第16回の“荒波あんこう祭り”が10時から行われました。鮟鱇(あんこう)は吊るし切りにされ、主催者によると用意された1300食の鮟鱇(あんこう)汁は昼時にはすでに完売で、多くの人たちで賑わう街なかでした。

夜9時からはNHKスペシャル『MEGA CRISIS 巨大危機第4集 地震大火災があなたを襲う』を視聴です。次の巨大地震で想定を超える“地震大火災”が日本を襲うという最悪のシナリオで、番組の中で何度か糸魚川大火のことが取り上げられていました。 

時計の針を戻すことができず、糸魚川もこれから起こりえることを想定し、“災害に強いまちづくり”が求められていることを痛感する“消せなかった炎”の大火から一ヶ月の寒い夜です。


自民党憲法草案の問題性と首相の施政方針演説

2017年01月20日 | 日々思うこと

昨19日、「憲法を守る糸魚川共同センター」ではいつもスタンディングですが学習会に切り替えました。講師は上越市在住の9条の会呼びかけ人でもある作新学院大学人間文化学部元教授の片岡 豊さんで、演題は『自民党憲法草案の問題性』安倍「壊憲」政権の実態をお話しいただきました。

片岡さんは先ず糸魚川大規模火災のお見舞いから、阪神淡路大震災や東日本大震災の復興では地域の人たちが望む復興がなされておらず、大企業のカネ儲けになっている事例にふれました。昨年10月、私も福島県浪江町を訪れて原発事故による復興のあり方などに首を傾げていただけに納得です。

(写真は上越の娘の家の洗面所のアメモネです)

本題の自民党憲法草案の問題性では、2017年のアベ首相の年頭の諸発言の解説で、①近代立憲主義の否定 ②<個人>の尊重から<公(国家)>優先・主権在民の否定 ③平和国家から戦争国家へ ④基本的人権の抑制 ⑤経済活動(新自由主義経済)の優先、この5点で「新たな国づくりを本格的に始動する」アベ内閣を厳しく指摘です。

講師のお話はアベ首相のパフォーマンスを入れながらの迫力で、資料を基に難しい問題を分かりやすく、所定の時間はあっという間に過ぎてゆきました。この日は上越から、えちごトキめき鉄道の応援フリー切符で「上越 9条の会」の友人たちも参加され、学習会終了後には火災現場を案内です。

その後は早めの夕食を駅近くのお店でご一緒し、改札口まで見送ってから帰宅すると、神奈川の少し年上の従兄妹の訃報が届きました。故郷の糸魚川を離れてトヨタ自動車の企業戦士としてがんばり続け、政治談議も交わした従兄妹でしたが限りある命を痛感です。

そして今日は大寒、一年で一番寒いだけに日中の気温も1度ですが、風がないのでそれほど寒さを感じません。また今日から通常国会のスタートで、午後2時からNHKでアベ首相の施政方針演説に耳を傾けました。「新しい政治・・・」を繰り返し、30分余りで外出です。

注目の憲法改正の部分は夜のニュースで聴きましたが、「憲法論議を進めようではありませんか」と呼びかける首相の言葉巧みな演説です。さて、どれだけの人が自民党憲法草案の問題と「壊憲」政権を見抜くことができるのかと、支持率上昇と合わせて考え込む一日の終わりです。  


まるで戦時下、繰り返してはならないこと

2017年01月18日 | 日々思うこと

今朝は氷点下の寒さで、9時前に青空の中を上越市へ・・・、頚城連山からフォッサマグナを挟んで黒姫山も一面の銀世界に輝いています。日本海には雲があるものの波は静かで、上越市へ入ると青い海の向こうに米山のきれいな稜線と、手前には中部電力火力発電所が見え、有間川の信号待ちで撮りました。

今日の上越の目的は孫の子守りで、3時には帰途に着き4時過ぎに糸魚川へ入って、社会福祉協議会(ビーチホールまがたま)へ寄って「がんばろう糸魚川!」ステッカーを・・・。帰宅して早速、車の後ろにも貼りましたがなかなかいい感じです。

夕方、ローカルニュースに耳を傾けると、陸上自衛隊は3月上旬から中旬に米海兵隊との共同訓練で、上越市と妙高市にまたがる関山演習場と群馬県の相馬原演習場で米軍輸送機オスプレイが参加する方向という驚くべき発表です。オスプレイは昨年12月に名護市沿岸で大破する事故を起こしていながらも、両演習場に飛来し隊員の輸送訓練ということですが、米国追随のアベ政権に怒り心頭です。

また今月20日に召集される通常国会で、自民党が議員立法で「家庭教育支援法案」を提出する予定で、核家族化など家族をめぐる環境変化での公的支援のためというが、とんでもない法案です。この支援法案から戦時下体制の社会が見えて、今や戦争準備は共謀罪だけでないことが伝わってきます。

戦時中の1942年、国民を戦争に総動員するための「戦時家庭教育指導要綱」が発令され、家庭は常に“国家活動の源泉”として子どもの健全育成を親に要求し、“相互扶助”という名目で「隣組制度」がつくられました。国家が求める教育が徹底されているかを見張り合ったあの時代へと戻ろうとしていることに、国民はもっと敏感であらねばなりません。

そして空爆を受けたような糸魚川大規模火災からもうすぐ一ヶ月、晴天でガレキ撤去作業も進んでいますが、人は悪夢の光景を容易に忘れられるものでないことも伝わります。戦争は自然災害ではなく人間が起こすもので、まだ止められることを痛感する昨今です。


がんばろう糸魚川!!ステッカー販売開始

2017年01月17日 | 日々思うこと

がんばろう糸魚川プロジェクトのステッカーの販売開始です。1枚500円 サイズ:200×70(耐水、屋外使用可)ですので、車や店舗の窓などにも貼り付け可能です。

販売利益の全額を「糸魚川市災害義援金」に寄付するシステムです。各キャラクターの使用許可もそれぞれ(糸魚川市役所、糸魚川市観光協会、糸魚川南蛮1エビプロジェクトなど)いただいております。ご協力、よろしくお願いいたします。以下、プロジェクトからの転送です。

がんばろう糸魚川プロジェクト ステッカー 1/18 販売開始!

大変お待たせしておりましたステッカーの販売。。。
1月18日(水) より糸魚川市内の各取扱販売所にて販売します。
1枚500円(販売利益の全額を「糸魚川市災害義援金」に寄付)

現状では、糸魚川市内の販売所でしか購入できません。

【ステッカー 取扱販売所】
 ・糸魚川市役所 ジオパーク推進室(糸魚川市一の宮1-2-5)
 ・フォッサマグナミュージアム(糸魚川市一ノ宮1313)
 ・糸魚川市社会福祉協議会(糸魚川市寺町4-3-1)
 ・セブンイレブン・キヨスクJR糸魚川駅店(糸魚川市大町1−7−55)
 ・いまいスポーツ(糸魚川市東寺町3-11-2)
 ・小林デンキ(糸魚川市本町6-5)

※現状では糸魚川市内のみの販売となります。通信販売は実施いたしません。市外、県外の方は、『糸魚川へお越しいただき』ご購入いただくか、友人や知人を介して入手頂ければ幸いです。(すずきの方でも、県内外のご希望の方に郵送します)


「平和は願うだけでなく、みんなで作ってゆくもの」

2017年01月16日 | 日々思うこと

小正月も過ぎて、早や店頭ではバレンタイン商戦たけなわですが、年暮れの糸魚川大火で正月気分に欠ける日が続きました。隣りの孫たちは昨日、青海ジュニアスクールスキー教室で、長野県栂池高原スキー場でエンジョイです。冬将軍の到来で、市内のシーサイドバレースキー場も一気に1メートル70センチの積雪です。

女性週刊誌『女性自身』1月17日・24日 合併号、2017年の主役「誓いの書き初め」より、吉永小百合さんをピックアップしました。



「『平和』は待っていてはだめで、みんなで願って、祈って、さらに声を出していかないといけない。そうでないと手に入れることができないと思っています。ですから、朗読会やコンサートでも『観客の方たちもみんな一緒に声を出して、平和をつくっていきましょう』と・・・。

30年も前から、平和への祈りを胸に原爆詩の朗読を続けている吉永小百合さん、有言実行の言葉は力強く私たちを励ましてくれ、今年もその活動に懸ける強い思いを優しい筆使いで綴っています。

人は誰もが平和を願いながら人任せでは守り切れるものではなく、米国のトランプ次期大統領といい差別が差別を生み分断が分断・・・、そして対立を生む構図では世界の恒久平和は程遠いことでしょう。

ところで父の大事にしていた黄梅の鉢は何年か前に枯らしてしまい、同級生のMさんからの株分けであったことをすっかり忘れていた“健忘症”の書き込みでした。平和も与えられるものでないことを忘れずにと思う寒い一日の終わりです。


この冬一番の寒気とスヌーピー

2017年01月14日 | 日々思うこと

今朝は天気予報通りの白の世界です、とは言っても海沿いの我が家は昨夜からの強風でわずかの積雪で、上越や魚沼地方から大雪の様子が伝わってきます。庭を見ると燈篭の端っこがスヌーピーの顔のようになって雪が作った珍しい光景です。

夕方近くに見ると雪が少し多くなってもスヌーピーは同じなので、雪吹雪の縁側の戸を開けてまた撮りました。下の写真は七草の頃のもので、父が大事にしていた黄梅(おうばい)の鉢で、夏以降の管理不行き届きで花芽がなくあきらめていたら数個の可憐な花をつけています。

ところで昨日はこの寒気が来る前にと、市内のあちこちで用事を済ませたり被災者の情報キャッチを行いました。昔からの知り合いはお店も住まいも全焼し、糸魚川の地を離れ息子さんの所へ行くことにしたというので言葉がありません。70才を過ぎた人に「もう一度、糸魚川でがんばって」とは言えない悲しい現実に直面です。

そんなこともあって今までは大した雪も降らず暖かだったことで、この冬一番の寒気が身にしみて、今日は外出を避けてじ~っと家にこもる一日です。ガレキの撤去作業も午前中で中断で、明日も厳しい寒さの予報ですが、どなた様もご自愛くださいますよう。


大火から3週間、がんばろう糸魚川!!

2017年01月12日 | 日々思うこと

悪夢の大火から3週間の昨日、アベ首相は午前10時過ぎの新幹線で糸魚川入りです。何ごとも“百聞は一見にしかず”で、首相が大規模火災に見舞われた被災現場を視察することで地元では大歓迎ムードです。

アベ首相は「できることはすべてやる」と力強い言葉でしたが、折りしもこの日は東日本大震災から5年10ヶ月目とあって、当時の福島に向けられたのも同じ言葉ではなかったと思いを巡らしました。また国と県と市が一体となって「糸魚川復興まちづくり推進協議会」を立ち上げる運びとなり、被災者の生活再建はもとより復旧復興への大きな力となり進んでゆくことでしょう。

民間レベルでの支援の輪も広がって、「がんばろう糸魚川プロジェクト」の絵本寄贈作戦もその一つです。https://www.facebook.com/Forward.to.the.Future.ITOIGAWA/?fref=ts

また上越の知人Kさんが7日に被災現場を訪れ、えちごトキめき鉄道の「復興応援フリーきっぷ」を利用していたことを知りました。(同鉄道の全区間・妙高高原駅~直江津駅~市振駅/往復大人1000円・3月31日まで)

また今日の10時過ぎ、柏崎市の池田千賀子県議から電話が入り、「いま糸魚川へ来ているので」と言うことでしたが、あいにくと上越市へ出かける予定でしたのでお会いできずに残念でした。県女性議員の会からのお付き合いで、市議から県議へ今は会長を引き受けていただき、きめ細かで幅広い活動をされているお一人です。

そして私は寒風の中を上越市へ・・・、先ずは寺町の福祉交流プラザへ、ここはいろんな支援センターがあることでいつも活気がある施設です。所用を済ませて夕方4時過ぎに帰途に着く頃は気温1度の寒さで、大荒れの日本海を横目に家路へと急ぎました。

夜のニュース番組では各局とも、米国トランプ次期大統領の当選後初の会見がメーンです。お金持ちしか残れない米国大統領選挙もさることながら、このトランプ次期大統領のメディアへの偏見がひどく、特にCNNへの攻撃に対し、都合が悪くなると言い訳したり逃げたりで何処かの首相によく似ていることが伝わってくる凍える寒さの終日です。


「文明とは電灯のつくことでもない、戦争しないこと」

2017年01月10日 | 日々思うこと

新しい年になって早や10日、隣りの孫たちは冬休みが終わって今日から3学期です。朝から青空が見えるものの風は冷たく、こんな日のガレキの撤去作業も大変ではと思いながら近くの金融機関へ出かけました。

偶然、同じ地域にいながら数年ぶりにOさんに会い、「スズキさ~ん」と突然ハグをするので行員の人たちの視線が注がれ、チョッと戸惑ってしまいました。ネアカのOさん、別れ際には「がんばってねえ、応援しているよ」と言うので、「??」チョッと考え込んでしまいました。

次に少し離れた八久保郵便局へ行くと、ここでも同じ地域のSさんの酉年にぴったりの写真展です。確か昨年にも催され、その枚数の多さもさることながら動く被写体(飛ぶ鳥たち)をこんなにきれいに撮り続けていることに感心仕切りです。 

ところで昨日の午後は、新年初めての「憲法を守る糸魚川共同センター」の拡大役員会があり、政治の動向やメディアが伝えないこと、今後の活動方針などを話し合いました。“平和こそすべて”、そんな中で藤井日達上人の「文明とは・・・」という心にストンと落ちる言葉と出会いました。

明日は雪マークの大荒れで、最高気温3度という予報の糸魚川です。厳しい寒さの中で、ボランティアの皆さんにとっても大変な作業になることでしょうが、くれぐれもお身体に気をつけて・・・。


糸魚川大火、休日返上のガレキ撤去

2017年01月08日 | 日々思うこと

昨日は松の内にと青空の中、能生地域への新年の挨拶回りに出かけました。先ずは“糸魚川かに裁判”で米山知事が弁護士の時からのご縁のかにや横丁の盛紋丸さんへ立ち寄りました。例年この時期のマリンドリームのかに売り場の他店は休業中で、お隣の宝寿丸さんと2軒だけとあって、N女性社長も大忙しです。

次の知り合いのお宅では少し長話しになってしまい、棚口地区の郷の茶店「えほん」へと急ぎました。県道246号沿いには雪はなく、山あいに近づくと里山はほんの少しの積雪です。「えほん」での先客が友人だったので、しばらくおしゃべりをしていると地域のカメラマンでJAカレンダーでもおなじみの小笠原 力さんが入ってきました。

小笠原さんは最近、写真集(非売品)を出されたそうですが、話題は写真のことよりも大火のことが中心です。この2週間余り、多くの人に出会ってお話しをすると被災された人たちの様ざまな事情が伝わってきますが、知り合いのYさんと同級生と言うことで避難先を聞くことができました。

帰途、姫川桜つつみへ回ってみると、日没前の頚城の山々がきれいです。手前の田んぼには雪がなくとも、活火山の新潟焼山(2400メートル)はかなり白くなっています。

今日は昨日とは違っての悪天候で、本町通りのおおせ元おもちゃやさんには、休日返上の重機と地域ボランティアの大勢の人たちの姿です。また三連休とあってか、カメラ持参の人たちの多さにも驚きです。そば処泉家さんは5日付けブログで●出発点で、お店を再開する気持ちを綴っていました。「がんばれ泉家さん!がんばれ糸魚川!」です。

地域たすけあいボランティアセンター作成の「ガレキ撤去の前でも、後でも大切なものを探すことができます。」と明記されたチラシができ、立ち寄ったお店にも置いてありました。先日書き込んだ衣類などの物資の受け入れは中断でも、現場でのお手伝いは募集中です。問合せ(運営主体:市社会福祉協議会・お困りごと相談専用 080-5799-5981)


戦争も核兵器もない世界を

2017年01月06日 | 地震・原発

大火から2週間が過ぎた被災地では、所有者の同意が得られたところからガレキの撤去作業が始まりました。先ず重機でガレキの金属類を分別しながら3月末をめどに、姫川河川敷の仮置き場に運搬されるそうで雪がないのが何よりです。

寒空の中を市内あちこちへ出かけ、糸魚川地域振興局へ所用で立ち寄りました。入り口で泉田前知事の“置き土産”の新品種「新之助」の紅白の垂れ幕が目に留まりました。

ところで昨日、鳥インフルエンザ問題で延期となっていた米山知事と東京電力の数土(すど)会長ら幹部との初会談が県庁で行われました。前日4日の定例会見で米山知事は、これまで泉田前知事からの検証(事故原因)作業を行ってきた県技術委員会とは別に、新たに「健康被害の検証」と「避難計画の検証」を加えた総合的な組織として3つの機関を新設すると明言していただけに、この日の東電との会談を注目です。

米山知事は「県民の命と暮らしが守られない現状において原発再稼働は認められない」と、昨年10月の知事選で掲げた方針を直接伝えました。3年半前の広瀬社長は、この日と同じ場所での泉田前知事との会談で、福島第1原発のメルトダウン隠しなどについて「東電はウソをつく会社なのか」などと厳しい追及を受けていたことを思い出し、福島と同じ災禍を繰り返えしてはならないことを再認識です。

また昨日は市役所各課で用事を済ませてから、庁舎1階の市民ホールでの恒例のカレンダー配布の方を覗いてみました。今年は行われていないのではと思っており、家にあるカレンダーを持参しなかったのですが、会場にはかなりの量が集まってたくさん残っており、その中から偶然、高校生平和カレンダーを見つけました。

昨夏、国連軍縮会議に新潟県代表で参加した当市の高校3生の渡辺未鳩さんもアップされている15ヶ月カレンダーで、毎月「戦争も核兵器もない世界を」が掲げられている長崎新聞社発行のものです。そんなことで核の平和利用などはありえず、原発から発生する核のゴミ問題はどうするのかと、知事と東電幹部との会談を重ねてしまいました。

次にお隣り市民会館のボランティアセンターへ立ち寄りました。被災者への支援物資が全国各地から届いていますが、衣類全般は十分な数量が確保できており、受け入れを中断ということで支援の難しさが伝わる一日です。(被災者支援情報やボランティアなどについては、糸魚川市HPで詳細に掲載)


大火から再建始動の糸魚川

2017年01月04日 | 日々思うこと

雪のない正月3日の昨日の午後、焼け野原となった本町通りを通って郵便局まで出かけました。2日にアップした加賀の井酒造さんの無傷(?)の看板が気になって、この目で確認したいこともあり現場を通ると、アマチュアと思しき人たちが道路に三脚を立てての写真撮りです。いい写真を撮りたいと寒空の中を遠くからやって来たのでしょうか、地元の人ではなさそうです。

この看板は蔵元の西側の第四銀行寄りの庇の下に設置されていたことが、28日付けの写真で思い出し、改めて加賀藩参勤交代と加賀の井酒造(小林家)との関わりを読み取ることができるのでもう一度貼り付けました。

実は加賀の井酒造さんへは私が20代の頃、市内の建設会社に勤めていた時にご縁があって何度も訪れていただけに悲しさが深まります。お隣りの泉家さんからも当時、会社への出前で先代が自転車でお蕎麦を届けてくださり、近年には孫たちとよく出かけていました。お座敷の古い柱時計も棚に飾ってあったたくさんの蕎麦猪口も、みんな燃えてしまったことが現実とは思えず胸が痛くなります。

裏の銀行の駐車場は時どき利用していましたが、欅や針葉樹などの何本かの焼け焦げた大きな木が痛々しく感じます。土蔵の屋根と木造トラスがすべて焼け落ちて、石造りの壁面と煙突だけが残って災の大きさが伝わります。

今日は冷たい雨の中での仕事始めで、米田市長は職員を前に「災害に強い元気な街に・・・」と新年の決意です。ガレキ処理への個人負担が限りなくゼロになったことで、撤去作業が本格的に進んでゆくことでしょう。当初は対象が木造だけとされていただけに、銀行を挟んでの交差点のRC3階建ての住居兼用の知り合いの歯科医院も、家屋構造に関係なく支援されることでホッとしました。今月23日から横町の元歯科医院で再院する運びで、被災された方々は生活再建へがんばっています。

明日は寒の入りで糸魚川駅北大火から2週間、がんばっている老舗和菓子店の紅久さんへ寄ってから、危機一髪で被災を免れた知人宅へ・・・、その後は市役所へ義援金を届けるなど私も始動の新年です。