すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

越後豪農の館、保坂邸へ

2016年06月06日 | 自然・旅

上越市内の旧地主屋敷の保坂邸は毎年、春と秋の3日間一般公開されており一度訪れたいと思いながら機会がなく、今日は昼近くになって車を走らせました。公開日の最後とあって多くの人たちで駐車場もいっぱい、中高年ばかりかと思いきや若い人たちもスマホ片手に見学です。

保坂邸は近世中期以降の県内屈指の豪農で、昭和19年の新潟県農政課の調査では総耕地面積は現在で換算すると200万坪ほどを有していたというから、上越地方では一番ではなかったでしょうか。戦後の農地解放で農地・資産のほとんどを失い、母屋・蔵・庭・池 等の一部残存している箇所の公開です。

お蔵の方も外から見ると開口部のカタチで蔵と判別ができる大きさで、二つ分が合わさっての珍しい土蔵造りです。お庭もきれいに手入れされ、建物の周辺の池には水連の花がぽつぽつと咲いており、お抹茶をいただき至福のひと時です。

保坂邸から東へ300メートルほど離れたところに旧小柳医院の環翠亭(かんすいてい)があり、ここは5年ぶりの公開です。江戸後期に米問屋として建てられ、戦後は個人の病院として開業し、老朽化をきっかけに今は商家のたたずまいに修復です。市内のお花のグループが旧家とマッチした野の花を風情豊かにあしらっています。

見学コースではない(?)台所のレンガ造りのかまどが目に留まり、今でも使えそうな立派なものでした。

保阪家の表玄関で迎賓館の役目をしていた怡顔亭(いがんてい)も含め、3箇所の見学にあっという間に時間が過ぎて、今日は森ゆうこ事務所へ立ち寄ることができません。紅葉の保坂邸もまた楽しみで、今度はゆっくりと余裕を持って訪れたいと思います。

越後上越 保坂邸 http://hosakatei.ehoh.net/guide.html  


日本の原風景、枝垂桜の咲く里へ

2016年04月18日 | 自然・旅

昨日曜日は大荒れの天候で糸魚川の瞬間最大風速は31.3メートルを記録し、植木鉢だけでなく私の身体も吹っ飛ばされそうな強風でした。そして九州地方を襲った直下型地震は時間の経過と共に犠牲者が増え、被害も拡大するその映像に胸が痛みます。気象庁は18日正午現在、震度1以上の地震が531回と発表で、夜9時近くには大分県竹田地方でも震度5強の地震で、広がる自然の脅威に成すすべもないことが伝わってきます。

今日は市内徳合地区の枝垂桜イベントで二胡の演奏があることで、上越の友人と合流し県道徳合仙納線を上りました。昨日の暴風で枝垂桜の花は吹っ飛んでしまったようですが、一年前とはまた違って集落の人たちの“おもてなし”への心遣いが至る所から伝わってきました。

毎年絵になる茅葺の「櫻の宿」の枝垂桜は枝先にほんの少しの花だけでしたが、家の中の吹き抜けの茶の間には見事な桜が飾られており、市内磯部小学校3年生の児童が課外授業でやって来て真剣に説明を聞き入っています。

昼食は予約をしておいた「徳合いっぷく処 彦右衛門」さんへ、古民家をリフォームして東京から数年前に移住したオーナー井出さんは陶芸教室のお仲間でもあり、山菜や地元の食材中心の昼御膳を美味しくいただきましたが写真を撮ることをすっかり忘れてしまいました。また駐車場の横の枝垂桜は集落の中でも一番高いようで滝のような美しさに、初めて訪れた友人らと日本の原風景に心和むひと時です。

昼食後は上越市の小川菜々さんによる二胡の演奏会で、築100年の徳合公民館で行われました。ここは旧徳合小学校で大正4年に建てられ、国民学校を経て昭和47年の廃校まで多くの子どもが巣立った所です。山あいの雪深い集落で古い建物を管理することは大変でしょうが、取り壊されて廃材となる運命を免れて桜の木と共に生き抜いているようです。今回の大地震で崩壊してしまった多くの建物や熊本城の石垣など、一日も早い復旧と復興を切に願う終日です。 


美術館や図書館で知る地域の文化度

2016年02月02日 | 自然・旅

今日も昨日と同じく雪がチラつく寒い日ですが積もる程にはならず、幹線道路の消雪パイプも小休止です。日曜日に訪れた南魚沼市への片道2時間半の車中は、NHK朝ドラ『あさが来た』ヒロインのモデルとなった片岡浅子ことや明治の歴史などで盛り上がりました。

明治36年生まれの後藤はつのさんの原画を観てからタクシーで「八海山泉ビレッジ」へ、ここは娘家族らと利用しているお気に入りの所で美味しいイタリアンランチを満喫です。昼食後は六日町駅へ、駅前の南魚沼市図書館〈えきまえ図書館 本の杜〉へ立ち寄りました。図書館は駅前のショッピングセンター「ララ」内に2014年6月にオープンし、全体面積の1/3が図書館で、以前からのテナントである食品を中心とした店舗、医院との複合で“文化、医療、食”という日常生活と一体となった地域施設です。

図書館全体がラグビーのボールのような楕円形になっており、南魚沼木材協会の越後杉がふんだんに使われている木の温もりがいっぱいです。開架図書10万冊でその後5年間で20万冊の計画、駅前で日曜日とあってか窓際のカーブに沿った閲覧席は大勢の人で埋め尽くされていました。

デザインコンセプトは“市民にとって身の丈にあった、親しみと誇りの持てる文化交流空間”ということで、大和町・六日町・塩沢町の3町合併時の市民要望で建設され、2014グッドデザイン賞を受賞したユニークな図書館です。駅前の立地を最大限に活かした図書館という枠に収まらない、新たな地域コミュニケーションの場として蘇っていることが伝わってきます。

3枚目の下の写真は公益財団法人日本デザイン振興会HPからお借りしました。

美術館や図書館は地域の文化度を表すともいわれますが、冬の悪天候でもいつも人が集まる六日町駅前の南魚沼市図書館や池田記念美術館、たまたまこの日の午後からは予報外れの好天になりました。そんな太陽が眩しい中で、当市とを重ねながら殺風景な糸魚川駅アルプス口の都市計画までも語り合う女4人の楽しい魚沼の旅でした。


“笑顔のスーパーレディー”後藤はつのさんの絵画展へ

2016年01月31日 | 自然・旅

正月3日付けで書き込んだ73歳から絵を描くことを始めた後藤はつのさん、その原画を一度観たいと思い続け睦月最後の日曜日、“3度目の正直”でやっと南魚沼市の池田記念美術館での『後藤はつの112歳の絵画展』へ出かけることができました。友人らとの日程がなかなか決まらず先週24日に出かける予定でしたが、あの暴風雪警報とあって一週間の延期です。

浦佐駅に近い池田記念美術館は日曜日とあってにぎわっており、ロビーの“風の又三郎”がいつものように出迎えてくれました。そして2階の展示室に入ると先ず、はつのさんが81歳で書かれた孫娘の七五三の晴れ姿を描いた『好い日』が目に入りました。色彩豊かな100号の油絵20点ほどの絵のテーマは「子どもの頃の思い出」で、明治から大正にかけての故郷・妙高山麓の風景を中心に日本人の心の中の原風景がどれも力強いタッチで描かれています。

「決して上手ではないの。心に浮かんだ光景を自由に書いているだけ」というはつのさん、96歳の作品『明治42年の遠足 苗名の滝』では文部大臣奨励賞を受賞です。

こちらはご実家の赤倉ワクイホテルが管理する『後藤はつのCollection』HPからお借りした写真で、ピンクのお洋服がトレードマークの103歳の時のはつのおばあちゃんです。(妙高高原メッセにて)

「何かを始めるのに遅すぎることはないわ。やるかやらないかね」といつも笑顔のはつのおばあちゃん、友人らと元気をいっぱいもらって真っ白くなった名峰八海山を見ながら、心豊かに北越急行ほくほく線で帰途に着きました。


紅葉の小谷村へ

2014年10月13日 | 自然・旅

土曜日の報告会を終えて一段落の昨日、隣接する長野県小谷村まで出かけました。昨年も訪れた“小谷ぼろ織りの会”からご案内があり、会場のおたり名産館では木織りの色合いや手織りの感触を生かした素朴な作品に見とれました。一つの素材を最後まで無駄なく使う再生の技術、裂き織りの伝統工芸を私も挑戦してみたいと思いながらの歳月です。

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その後はもう一つ用事を済ませてから、また戻っておたり名産館のお蕎麦屋に入ると混雑で座席もままなりません。となれば帰り道の国道148号から少し山間の蕎麦屋「蛍」(昨年7月29日書き込み)まで行くことにしました。ところがここも例の「とめば」だけでなく、道沿いも車でいっぱいの大繁盛です。三連休ということで混んでいても不思議ではないのですが、それにしても「蛍」の知名度の高さに驚きながら、さらに4キロほど山奥の秘湯として知られる小谷温泉奥の湯まで車を走らせました。山道をクネクネしながら標高1000メートルの「雨飾荘」にやっと到着で、雨飾山の紅葉も見ごろで他県ナンバーの車の多さに目を見張りながら、やっと美味しいお蕎麦を・・・。

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ここから車で10分程の所には、市内の「そば処泉家」さんが時どき書き込んでいる鎌池とブナ林があるのですが、今日の目的とはかなり外れているのでまたの機会にすることにして帰途に着きました。途中の道の駅
小谷も三連休で大勢の人たちで大混雑です。

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そんなことで今日は、市内の「第9回街なかコレクション」は台風が来る前にと、午後から小雨の中をアバウトにと出かけました。“糸魚川旧家の着物展”では本町通りの中村平安堂さんの豪華な花嫁衣裳に見とれながら、庶民の暮らしの中のぼろ織りと重ねる三連休最後の日です。


 


思い出の牧村明願寺へ

2014年07月08日 | 自然・旅

台風前の静けさなのか、梅雨明けのような晴天の中を上越市牧区(旧牧村)原の明願寺へと車を走らせました。昨年1月にご住職池永文雄先生の訃報を奥様からの電話で知りながら、その後なかなかお参りに行けず、上越の「ウーマンカレッジ出会いの会」の仲間と日程を調整してやっと伺うことができました。

牧村明願寺といえば上越市のHPにも取り上げられているお寺で、前の池永隆勝ご住職が全国初の有線放送の施設をつくり、1937年(S12)にこの地からラジオ放送の送信を開始され、テレビが普及される1968年(S43)まで続けられました。また寺の山門は、映画「ふみ子の海」でのロケ地にもなり高田盲学校の入口に設定して撮影が行われました。

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私が初めて池永文雄先生とお会いしたのは20年余り前で、大阪で教員をされて寺を継ぐために牧村に戻られ、「第一回 
原の小寄り 」を催されたときでした。当時、青海町に在住していた歌人の柳川月さんら友人らを軽自動車に乗せて寺を訪れました。人が集まる寄りから「原の小寄り」とされ、第一回目は児童文学作家の杉みき子先生の確か「本を読まない人間は戦争を起こす」 という講演と、今井正監督の映画「橋のない川」が上映されたことを昨日のことのように思い出します。そして小寄りも終わり、夜遅くに山道を運転して帰りましたが、今思うとこれが“怖いもの知らず”そのものです。

久しぶりの明願寺のお御堂は昔のままで蓮如さん自筆の書や、2000年の「原の小寄り」に合わせて、吉永小百合さんから届いた色紙などが目に留まりました。坊守りでもある奥様の信子さんとしばしの語らいで、時間があっという間に過ぎて整備された県道301号を帰途に着きました。

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写真は友人らと昼食をした「牧ふるさと村 自然と憩いの森」です。庄屋さんの大きな茅葺屋根の家を移築し敷地周辺は桜の木々で、手打ち蕎麦も美味しかったのでまた訪れてみたい観光スポットの一つになりました。


“母の日”の黒姫高原

2014年05月11日 | 自然・旅

今日は“母の日”、上娘から「どこか行きたいところはある?」ということで新緑の黒姫高原を所望・・・、孫のパパは会社の旅行なので4人で出かけることになりました。雲一つない青空の中を北陸道から上信越道へと車を走らせると、残雪の妙高・火打山が新緑に映えて心が洗われる思いです。

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信濃町 I Cで降りて、少し早めの昼食をお気に入りのキッチン・カフェ「茶房主(さぼうず)」のテラスで済ませてから、黒姫童話館へと向かいました。昨年6月、建築の友いちようさんのブログの影響もあって、骨折後に杖をつきながら
下の娘と初めて訪れた黒姫高原、孫たちは今日が初めてとあって大喜びです。

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黒姫童話館は予想していたほどの賑わいはなく、のんびりと松谷みよ子常設展示室の横の「本と
人形の部屋」で孫たちは絵本や紙芝居を楽しみました。私も時間が止まっているような静かなひと時を、松谷みよ子著「私とアンネフランク」(偕成社)を手にしました。しばらくしてから隣接する「いわさきちひろ山荘」へ、ちひろの思い出がいっぱい詰まったアトリエで、ここでは
未完となった遺作「赤い蝋燭と人魚」(童心社)も描いたそうです。


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2時を過ぎた頃に外へ出て、孫たちは童話館前の高原の斜面を走り回り、私は妙高山の新潟県側との残雪の違いを撮り続けました。そして癒しと和みの黒姫高原を後に、夕方近くに上越市で下の娘と合流で日増しに成長する小さな孫にみんなが笑顔です。思えば二人の娘がまだ小学生の頃に、ちひろの原画にふれたくて東京のちひろ美術館を何度か訪れたことがありました。その娘たちも今はそれぞれが母親になり、そして今日は楽しい“母の日”を過ごせたことに感謝です。


枝垂れ桜でおもてなしの山里、徳合集落へ

2014年04月27日 | 自然・旅

今日は上越市との境で国道から1.5キロほど山間の徳合集落の古民家で、ギターとニ胡の演奏会があるというので友人と出かけました。会場は築130年程の古民家の彦右衛門さんというお宅で、「枝垂れ櫻の里を世界一にする会」主催です。20年前から育てた枝垂れ桜が花を咲かせ、国交省の日本風景街道にも指定されている集落で、地元の人たちが総参加(?)でのおもてなしです。

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3年前に空き家だった古民家を買い取り、東京から移り住んでいる ご夫婦は、昔は土間と馬屋だった場所に床を張り素敵なリビングとキッチンにリフォームです。演奏の始まる前に私は家の中をキョロキョロ・・・、欅の太い骨組みの間取りに亡き父の生家を重ねました。またリフォーム工事の状況をアルバム4冊にして<大工1名で工事に1年半、まだ未完成>と書かれて、現在に至るまでの様子が詳細にまとめられていました。


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ギターと二胡のコラボ演奏が終わってから美味しいコーヒーをいただき、帰り際にご亭主に「どちらの大工さんですか?」とたずねると「それは私です」と言われるのでビックリです。そんなことでその後はリフォームのことで話しが弾み、大工仕事だけでなく塗装から家具、配管設備まですべてご自分で手がけたというので“素人”がここまで取り組めることにしばし驚きでした。そして「この地を選んだのは?」と伺うと、インターネットで調べて海に近い山里という条件に当てはまったからとのことで、よくぞ選んでくださったと嬉しくなりました。


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集落をぐるっと歩くと20年前に各家に配られた枝垂れ桜の苗木は、今ではどこの家でも大きく成長し、咲き誇る深紅のミツバツツジとともに
多くの人々を誘い和ませ、ホッとする原風景の山里になっていました。

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そして会長さんの家は「櫻の宿」と名前が付いて、今では珍しい茅葺の屋根で、何年か前に滋賀県の方からトラック2台の茅を運んで葺いたそうです。写真の玄関先の枝垂れ桜はもう葉桜でしたが、裏の方の桜は満開で訪れる人たちをおもてなしでした。

※一昨日に書き込んだ能生谷の枝垂れ桜は、その大きさから比較して樹齢20数年ではなく40年位かもしれません。
 


樹齢千年の滝桜に逢いました!

2014年04月23日 | 自然・旅

昨日は長年の思いがかなって、みちのくの小さな城下町三春の満開の滝桜に逢うことが出来ました。早朝6時前に家を出て北陸道から磐越道に入り、途中で何度も休憩をとり午後1時過ぎにやっと福島県三春町に到着です。小高い山の上に千年も生き続けているというエドヒガン系の紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)、今では国の天然記念物の指定を受け日本三大桜に数えられ、その威風堂々の姿は大勢の人を惹きつけていました。

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平日というのに何十台もの観光バスで、1万人もの人たちが押し寄せている光景にも驚きでしたが、とにかく滝桜の周りには大勢の人でシャッターを切るのも一苦労・・・。桜の花の美しさは枝ぶりともいわれますが、ぐるっと角度を変えて見ればその枝ぶりの見事さ伝わって、滝に例えられていることを実感です。


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また三春の滝桜へは高速道の整備やインターネットの普及もあって、全国から大勢の人たちがやって来て、そのために根元が踏まれて硬くなってきたことで何年か前に遊歩道ができました。平成になって毎年、堆肥による土壌改良や冬の雪にも耐えられるよう枝先は太い丸太で支えられ、古枝剪定の足場かけなどその管理の大変さも伝わってきます。そして今年喜寿を迎える友人と、元気でまた滝桜に逢いに来ようねと、楽しい感謝感激の一日でした。


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そんなことで「桜を未来に」と呼びかける日比谷花壇のHP「ソメイヨシノの寿命60年説は本当か?」で、“寿命は環境がつくる”に納得です。
http://sakura.hibiyakadan.com/page.jsp?id=4808545

ところで孫たちが先日の上棟式の餅まきは初めてと書き込んでから、ふと3年ほど前に根知谷のTチャンの新築でも経験しており、法被姿の孫が地元のタイムス紙に掲載されていたことをすっかり忘れていました。さらに2012年10月12日に上根知保育所の改築工事でも餅まきが行われ、私も出かけたことを書き込んでいました。 我が記憶とはいい加減なもの・・・、もう一度訪れたいと思ってもなかなか行けない所が多いだけに“記録は記憶”と写真を貼り付ける春本番の毎日です。


村上の鮭と町屋再生プロジェクト

2014年03月21日 | 自然・旅

今日はお彼岸の中日というのに小雪もチラチラ・・・、“寒の戻り”の寒さです。故小野健さんのことで巷でも話題がいっぱいで「登山家としての功績があまりにも大きかったので、議員経歴は省略?」という声も聞かれました。また昨日、午前放課の小学生の孫も帰宅するなり「小野健さんが亡くなったことを先生が言っていたよ」と・・・。

その孫と一緒に昨日は能生谷「えほん」での今年初めての陶芸教室に参加しました。孫の“マシンガントーク”は私ゆずりのDNAのようでいつも楽しい会話が続きますが、私とまったく異なることがゴーヤや鮭の皮を平気で食べることです。先日も食卓で焼き鮭の皮を外している私に「こんなにおいしいものはないよ」と、むしゃむしゃ・・・。鮭といえば先日訪れた村上、味匠「喜っ川」の鮭の皮せんべいが有名ですが、お人形や
国の登録文化財の江戸時代の建物
に夢中でお土産にすることをすっかり忘れてしまいました。

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そして「喜っ川」の専務吉川真嗣さんは、12年前の「黒塀プロジェクト」の仕掛け人で国交省認定の観光カリスマです。
私も以前から関心を寄せていたのが、行政に頼らない市民による町づくり「町屋の外観再生プロジェクト」事業です。蘇った昔の町並みも人の情熱がなければ果たせなかったことで、パンフレットの再生前の写真と比べながらその数の多さに目を見張りました。

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そんなことでバスツアーの限られた時間の中ではとても回りきれないことを実感で、 鮭の皮せんべいのこともあり今度は孫たちと一緒に行けたらいいなあと
思う三連休です。


城下町村上、町屋の人形さま巡りの“おもてなし”

2014年03月18日 | 自然・旅

今日は念願だった県北の城下町村上の、町屋人形さま巡りに出かけました。今回初めてなので旅行社のバスツアーに申し込み、早朝7時に糸魚川を出発です。

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江戸から平成までの人形4千体を75軒の町屋で展示で、城下町ならではその参加数の多さに驚きました。写真は北限の御茶所「九重園」の人形で、お殿様からいただいたと伝えられる家宝の大名行列では、それぞれの個性ある表情に目を細めました。またこれらを丁寧に説明してくださる10代目女性社長の“おもてなし”の熱き心に感心です。


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次に天井の梁から
千匹の塩鮭が吊るされている味匠「喜っ川」は、築130年の典型的な町屋(登録有形文化財)で、奥座敷に飾りきれない人形が囲炉裏端や階段にまで置かれてそれは見事で、ここでも“おもてなし”に感心です。ところでご一緒したM子さんから、私が人形さまの説明よりも建物に興味を注いでいることを指摘されましたが、正直のところ町屋の空間は古き時代にタイムスリップしたようなひと時でした。次に行く時は
もう少ししっかりとリサーチして、できればツアーではなくノンビリと出かけたいなあと思う楽しい日帰りの旅でした。

また今日は、地元の登山家の小野健さん(81)の訃報で、車窓からの越後の山々に熱き健さんを偲びました。企業城下町の旧青海町議会では私が初当選のH3年から1期4年間ご一緒でしたが、明日の夜はお別れに出かけます。


日本海と信濃路と・・・

2013年10月21日 | 自然・旅

今日の黒姫山は朝からすっぽりと雲に隠れて海の方が明るく、西の勝山方面に少し青空が見える程度です。その日本海の海面が光のせいなのでしょうか、乳白色のミルク色のようでした。

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長野県北部の天気が晴れマークなので、国道148号を白馬村まで車を走らせました。片道50キロ余りの所々は工事中の片側通行のため約1時間半・・・、白馬連峰は残念ながら雲の中でした。昼食はオリンピック道路沿いのお蕎麦屋さんで十割蕎麦を・・・、八方尾根のゲレンデは今がきれいな紅葉です。

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強靭な台風27号が日本列島に近づいており26号と同じ進路のようで、伊豆大島に限らず暴風雨や土砂災害に備えた充分な注意が必要です。嵐の前の静けさの中を、朝に海を見てから信濃路へ・・・、ジオ(地球)を体感する贅沢な一日でした。また一昨日の「ジオパーク大会」について各方面に波紋を投げかけたようですが、後日まとめて書き込みたいと思います。


小谷村から安曇野ちひろ美術館へ

2013年09月01日 | 自然・旅

早いもので今日から長月9月で、朝から地元小学校の資源回収(廃品回収)で上の娘は忙しそうです。9時半頃に集積場の公民館から戻って、今どきの“山と海のPTA”ご時勢を熱く語っていました。

 

ところで私はまだ新生児の孫のサポートに追われる毎日ですが、週末にはパパが上越から泊まりがけで来てくれるので少し開放され自由時間が増えます。そんな昨日の午後は信濃路へ・・・、国道148号を長野県へと急ぎました。先ずは小谷村の伊折地区に昨年度から計画されていた宿泊型の農家レストラン「ゆきわり草」への視察で、あいにくと閉まっていましたが地区の人たちが建物の中を案内してくれました。

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昨年訪れたときは失礼ながら手のつけようがないほどの古い茅葺の築150年程の空き家でしたが、農林水産省の農山村交流補助金で見違えるようになり、この5月に地元の農業生産組合の人たちの運営でオープンです。次にS村議のご自宅へ寄って「食べもの通信」を届け、松川村の安曇野ちひろ美術館へと急ぎました。


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ここは1997年に開館してから何度か訪れていますが、今回は夕暮れの雨が降り出しそうな時間帯で、『ちひろになれる!7つの法則~技法徹底解剖』イベント展をゆっくっりと見て回りました。

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ちひろのその絵は、やわらかな色彩と確かなデッサン力で子どもをテーマに描き続け、なにげなく描かれているように見えますが実はさまざまな技法や工夫が隠されていることが伝わってきました。

そしてこの美術館はちひろのご子息、松本猛さんの設計ですが木の温もりいっぱいで三角屋根の空間をうまく活かしており、いつ訪れてもほっとする建物です。(写真は多目的ギャラリー)
6時の閉館までいわさきちひろを堪能し、暗くなった大雨が降りしきる国道を走り、8時頃に無事到着です。もうすぐ一ヶ月になる孫の寝顔と、ちひろの絵とが重なる終日でした。

PS:今日は根知山寺の「延年おててこ舞」ですが、上の孫たち2人は根知から須沢へ住民票を移したことで今年から参加をしていません。初めての“鏡の舞”から3年続けて舞った小学一年生の孫にとっては忘れない思い出のようで、保護者としても楽しませてもらいました。


癒しの小谷村へ

2013年07月29日 | 自然・旅

6月に杖をつきながら出かけた黒姫高原(長野県信濃町)は、糸魚川市からそれほど遠い距離ではないのですが、黒姫童話館など初めて訪れた素敵な癒しの高原でした。

糸魚川市と隣接する長野県小谷村も一年を通して時どき出かけている大好きな所で、先日27日(土)に下の娘夫婦と日本百名山の雨飾山の南面に位置する小谷村の蕎麦屋「蛍」まで出かけました、と言うより連れて行ってもらいました。

 

私はこの日が初めてで、車から降りて写真の奥の古い民家(築120年?)を改造したお店の入り口がさて何処なのか、合わせて斜面の所々の「とめば」の標識の意味もよく分からず、角度を変えてやっと「パーキング」と理解する“蛍光灯”の有様です。 

 

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話しにはいろいろと聞いていた蕎麦屋「蛍」は想像していた通りで、ランプが印象的な小ぎれいなお店で、先ずは持ち前の好奇心で家の中をキョロキョロと・・・。
古い建物は3メートルの大雪にも耐えられる程の立派な柱や梁で、囲炉裏のある板の間の奥にはお座敷と床の間があってフツーの農家ではない模様です。

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目的のお蕎麦は石臼で挽かれた評判通りの美味しさで、3人で天ぷらと焼きナスも一緒にいただきました。また帰り際に入荷したばかりという小谷名産「栃の蜂蜜」を求めるなど、心身ともに満たされる癒しの小谷村でした。