すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

神仏習合の「屋固め」とご詠歌と珈琲道

2014年11月30日 | 日々思うこと

昔は家の新築で大黒柱を立てるときの儀式を「屋固め」といい、今は新築のお祝いとして行われています。同じ新潟県でも地域によっては「渡座(わたませ)」とも言われるようで、8月に完成した隣地の娘夫婦のこだわりの家の「屋固め」が昨土曜日に行われました。

檀家寺のご住職が曹洞宗大本山総持寺へ行かれていることで、九州生まれのお若き副住職が来られました。我が家も同じ曹洞宗ですが寺が異なることでずい分と違うものだなあと興味深く見聞きしました。先ず新しい家の床の間に魔除けの剣と鏡が飾られ、神様を呼ぶというお経を唱えながらの“神仏習合儀式”です。めったに経験することのない「屋固め」に、親戚の人たちや孫たちもじっと目を凝らしてその様子を・・・。後半になって副住職は左手にハンドベルのような鈴を持ち(正しくは鈴鉦)、ご詠歌を澄んだ声で歌い上げるので驚きました。その歌詞が現代風なので不思議に思い、その後のお斎おとき)の席でご詠歌の内容を伺うと、南こうせつさんの作詞作曲ということでした。南こうせつさんは九州大分県の曹洞宗のお寺の生まれで、帰宅してから少しほろ酔い気分でネットに向かい、そのご詠歌「♪まごころに生きる」を聴くことができました。

日曜の朝、愛犬と海沿いの道を歩くと風が強かったこともあってか、いたる所にゴミが散乱です。この季節には珍しいタンポポの花の近くに「ほろよい」の空き缶のポイ捨てで、周辺のゴミと一緒に持って帰りましたが、タバコの吸殻と共にいつも後味が悪くなってしまう散歩道です。

後味といえば、今日は美味しいコーヒーに出会い幸せ気分です。ネットで何気なく開いたこだわりのコーヒーで注文を受けてからの焙煎で、北海道恵庭市から届いたその袋にハサミを入れると良い香りが漂ってきました。ドリップ1回分50円ほどで少しお高いかなあと思いながらの注文でしたが、こだわりの私としては今まで出会わなかった雑味のない味に驚きです。同封されていた「きゃろっと通信 珈琲道」を熟読すると、これまでの淹れ方への認識が変わり1杯50円で至福のときを味わっています。

ところで11月の終わりに、私の神仏習合への見方が少し変わりました。地球上の同じ民族同士の宗教戦争を悲しく想ってきましたが、今の日本は神仏習合なので大昔はともかくこれまで宗教上の対立で血を流すことがなかったことを再認識です。この神仏習合の日本人の“中途半端な曖昧さ”を時にはあまり快く受け止めていなかっただけに、今回の「屋固め」を機にして“中道”なることにも納得です。

早いもので明日から師走、衆院選挙でさらにあわただしくなりそうですが、こちらの方は中途半端ではいけません。先ずは棄権することなく投票に行きましょう。


政治の暴走と「キハ52」レンガ車庫へ

2014年11月27日 | 日々思うこと

今日は小春日和、孫の小学校が個別面談ということで午後1時過ぎに児童らは下校で、能生棚口の「えほん」での陶芸教室へ一緒に出かけることにしました。何度か挑戦している孫は慣れた手つきでお皿を作り始め、私は家に持ち帰っての集中作業です。帰りの車の中で孫は緊張していたのかスヤスヤ・・・、途中で糸魚川駅南口へ立ち寄ることにしました。一週間ほど前にレンガ車庫の足場が外され、三連アーチの中に大糸線糸魚川・南小谷間で走行していた車両「キハ52」が昨日、雨の中を一日がかりで無事に設置というので嬉しくなりました。12月14日(日)の北陸新幹線開業カウントダウンのお披露目イベントに向けて、駅周辺整備も急ピッチです。また長野県北部地震で大糸線の一部、南小谷~白馬間が不通になっていますが、こちらもイベントまで間に合うように復旧するとよいですね。

ところで12月2日公示の衆院選、野党の選挙準備が整わない今のうちなら自民党の勝算ありという安倍さんの思惑でしょうか、巷ではどの陣営も準備で大変のようです。アベノミクスの信を問うだけでなく、原発再稼動や集団的自衛権も重要な争点ですが、これらを争点にしないようなメディアの動きも気になる昨今で、国民も軽く見られたものではないでしょうか。

以前にも書き込んだ「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会から、集団的自衛権の行使容認に反対の一点で選挙協力を呼びかけるメールが届きました。ネット署名の宛先は解散前の衆議院国政政党で、何もしないで嘆いていてばかりでは政治はますます暴走です。

写真は昨日、雨上がりの姫川大橋から見た近郊の山々で、放射冷却でしょうか信号待ちで撮りました。そして一年前のブログでは「秘密保護法、衆院で強行採決!」、翌27日には「民主主義の土台を壊す、権力の暴走!」と書き込んでいました。4年ほど前まで走っていた「キハ52」ですが、政治の暴走の方は早く止めねばと痛感する一日の終わりです。


地震と原発と新宇宙基本計画の問題点

2014年11月25日 | 日々思うこと

政府の地震調査委員会は22日夜の長野県北部の地震は、糸魚川静岡構造線上の神城(かみしろ)断層が動いたとする見解を発表しました。昨朝の被災地は初霜に見舞われ、時間の経過とともにその被害の大きさが伝わってきます。震源地が近い当市と隣接する小谷村の知人から、村内の一部地域の被害が大きかったことが伝わって、これから雪の季節を向かえるだけに案じられます。またお電話やコメントでの“お見舞い”にお礼申し上げます。

いつ起こるか予知できない地震の怖さはいうまでもなく、原子力発電所が止まっていても核燃料が存在しているだけに、地震に怯えながら経済優先と便利さに浸る暮らし方を考えてしまいます。原子力発電所に近い自治体の市民不安も大きく、昨24日に柏崎市で「脱原発アクションin柏崎刈羽」が開催されました。講演会の講師が京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏とあって大勢の聴衆で会場が埋めつくされたそうです。当ブログ右下のブックマークの「私日記 のびる」さんや「みえこ@ざっくばらん」さんの書き込みを読んで、やはり私も無理をしても出かけるべきであったと悔やみました。

ところで24日深夜のNHK、時事公論「宇宙開発はどこへ向かう?~新・宇宙基本計画~」に興味深く耳を傾けました。現在の宇宙基本計画は民主党政権時にほぼできあがっており、「憲法の平和主義の理念」に基づき世界平和と人類の福祉の向上に貢献することを目的とすることが明示されていました。ところが2年足らずで安倍政権はこれを見直し、安全保障最優先にかじを切ったことを土屋解説委員は指摘していました。これは安倍首相の諮問機関「宇宙政策委員会」が非公開で作業を進め、8日に新宇宙計画案が発表されパブリックコメントが募られ、先日21日に締め切られました。前回策定のパブコメ期間は3週間で今回は2週間と短く、平和主義や防災の文言も消え「宇宙安全保障の確保」を最重点課題とし、軍事面での日米同盟の強化が図られており、今まであまり関心がなかっただけに驚きました。

今日は午後から雨の中を近くの叔母の家へ、産直の低農薬栽培のフジリンゴが入荷したので持参すると、玄関先のドウダンツツジがいつになく色鮮やかで横の山茶花も満開でした。

このところ雲のない夜に空を見上げることが多く、次の30日の日曜日には小惑星探査機「はやぶさ2」の打ち上げが予定されています。NHK時事公論から、新たな宇宙基本計画では直ぐに経済的利益につながらない基礎科学は二の次のようで、安全保障と産業重視の軍事に傾斜する安倍政権の危うさが伝わってきました。科学技術立国の日本が存在感を示してきた宇宙探査や科学研究、最近では「はやぶさ」や若田光一さんのISS(国際宇宙ステーション)での活躍は多くの子どもたちに夢を与えたことでしょう。秘密保持を盾に平和目的の研究成果まで非公開とされる懸念の中で、科学研究は本来、成果を公開し評価しあうことで進歩するものではと思う冷たい雨の終日です。


晴天の上京から長野県北部地震の大きな揺れ!

2014年11月23日 | 日々思うこと

金曜日は全国的によい天気で、月刊「食べもの通信」編集の家庭栄養研究会運営委員会で上京です。このところ月一回ペースの上京ですが、変わり行く季節の風景もまた楽しみの一つです。東京駅から会場の千代田区九段生涯学習館までの交通手段は地下鉄が便利ですが、青空の中をJR水道橋駅から九段まで歩くことにしました。靖国通りの地下鉄九段下駅傍の生涯学習館の近くに九段会館があり、旧称は軍人会館といわれて二・二六事件で戒厳司令部が置かれた施設でした。太平洋戦争後は財団法人日本遺族会に無償貸与され、結婚式や各種講演、会議などに使用されてきましたが、2011年の東日本大震災の天井崩落事故で同年4月付けで営業停止となっていました。 

写真はWikipediaからお借りした九段会館の全景で、この5月の国会で老朽化のため取り壊されることが決まり、跡地には新しいビルが建てられる計画です。皇居や日本武道館が近いことで、さらなる活用があることでしょうが、戦前の古き建物が取り壊されることに時代の流れを感じ悲しげに見えてしまいます。

土曜日も朝から天気に恵まれ庭に出てみると、昨年のシクラメンの鉢から小さな花が一つだけ咲いていました。シクラメンを翌年も咲かせるには花が終わると“お礼肥え”をし、球根の株が腐らないよう夏越しをしていますが、たくさんの花を咲かせることは難しいものです。昼過ぎからはサッカー練習から帰った孫たちと一緒に青海きらら図書館へと出かけ、夕方には上越から娘家族が泊りがけでやって来てにぎやかな夜です。

ところが10時過ぎにグラグラと大きな横揺れで、家族でビックリです。震源地が長野県北部で震度6弱、糸魚川市が震度5弱という大きな揺れで、当市と隣接する小谷村や白馬村の被害が伝わってきました。また孫たちのパパが昨日から上京し、最終の新幹線で越後湯沢駅から金沢行きの特急はくたか号に乗車し、直江津駅の手前で自動停止により足止め状態です。そんなことで上の娘は連絡の取り合いなどで大変で、特急はくたか号は頚城駅まで戻って、代行バスで糸魚川駅へ向かうことになりました。定刻では10時半過ぎに到着ですが深夜2時半過ぎに帰宅したようで、大人たちは熟睡できない夜を過ごしました。私も前日には同じ最終の新幹線で帰宅していただけに、今回は日帰りしてよかったと・・・、そして予知できない地震は本当に怖いものだと痛感です。

地震から一夜明けての日曜日、昨夜書き込み済みのブログもそのままで昼頃にやっとパソコンに向かうと、遠くからの“ご心配メール”がたくさん届いています。当地は大きな被害やケガ人もなくホッとしております。ご心配をおかけしましたこと、お礼申し上げます。


「お金やモノでは感動は得られない」という寡黙の人、高倉健さんと・・・

2014年11月20日 | 日々思うこと

先ず、18日付けのブログが深夜に書き込んだので19日になっており、TV番組などでおかしいと思った方も多いようですね。ところで18日夜のTBS番組に出演の安倍首相、12月10日施行の特定秘密保護法について「工作員やテロリスト、スパイが相手で、国民は全く関係ない」と言っていたので驚きました。さらに「例えば(表現の自由が侵害されて)映画が作れなくなったら、私はすぐ首相を辞めてもいい。報道が抑圧される例があったら、私は辞める」と・・・、翌日には共同通信でこのことが報じられ各方面に波紋を投げております。

自信満々の“開き直り”首相ですが、慶応大学経済学部金子勝教授は「アベ逃げ切り解散」とし、「もし安倍政権が継続した場合、雇用流動化政策や社会保障切り捨て政策が実行されて格差が拡大し、集団的自衛権の法整備が進み、秘密保護法をバックにしたメディアへの圧力が強まり、東電救済と福島切り捨てが進み、原発再稼働推進が公然と行われます。棄権は許されない」とつぶやいていました。

今朝は久しぶりに穏やかな天気で、布団や洗濯物をいっぱい干している家が目立ちましたが、昼過ぎからは曇り空で青空も一時です。近くの誰もいない児童遊園地から望む能生鉾ヶ岳(1316m)は、黒姫山よりも白くなっていました。

今夜のNHKクローズアップ現代は「“人を想(おも)う”~映画俳優・高倉健さん~」 でした。83歳で人生を閉じた高倉健さんは大好きな俳優の一人で、若かりし頃の仁侠映画はともかく後年の映画には特に魅了されてきました。2005年、中国の改革開放後の初の日本映画「単騎 千里を走る」は、中国の巨匠チャン・イーモウ監督と監督が尊敬して止まない高倉健さんとの夢のコラボレーションが実現した感動の映画で、上越の映画館まで出かけたことを思い出します。不器用だけど誠実に生きる主人公は寡黙な健さんそのものでもあったように、多くの人に愛された国民的スターでもありました。

「お金やモノでは感動は得られない。人を想うこと以上に美しいものはない」と語っていた高倉健さん、 11月も残り10日となり私も人生の残り時間を考える昨今です。国会もいよいよ明日で衆院解散、師走に向かって日本中が駆け足になることでしょう。「映画が作れなくなったら、私はすぐ首相を辞めてもいい」と軽く言う安倍さん、消費税増税だけが争点にならないよう、しっかりと注視してゆかねばならない大事な選挙でもあります。


基地に「NO!」の沖縄と立憲主義に背く安倍政権

2014年11月18日 | 日々思うこと

朝から木枯らしの中を上越市まで出かけ、先ずは友人とスローライフビレッジで合流です。昼食はごはん処大戸屋で広島産のカキフライ定食を、ご飯を少なめにすると10円引きで雑穀を注文・・・、残飯になって捨てられることを考えると前もって客の希望を聞くのは賢明です。友人とは沖縄知事選のことや川内原発再稼動など、しばしの“おしゃべり”です。また昨夜の報道ステーションの古館キャスターは沖縄現地から中継で、当選した翁長氏との対談は生中継で国土のわずか0.6%の沖縄に74%の米軍基地があることを強調し、NHKニュース9との報道の差を感じた番組のことなどで話題が盛り上がりました。

週末土曜日に下の孫と動物パンを焼こうと合意したものの途中で計画が変更し、夕方には兄と二人で根小屋の方へお泊りです。そんなことでホームベーカリーで一次発酵したパン生地を私一人で焼き上げることになったのですが、客のご飯の量を前もって聞くお店や、県民が基地に「NO!」と突きつけた沖縄と重ねました。選挙での民意を反映できない政治のあり方と、菅官房長官の「辺野古移設を粛々と進め、計画方針に変更がない」という政府見解に誰のための安全保障なのかと憤りを感じてしまいました。

写真はいわさきちひろさんのカレンダーで作ったバックです。娘たちがまだ小さかった頃はピアノの楽譜の台紙などに活用していましたが、近年は断舎離とはいっても処分できないカレンダーの絵はどんどん溜まる一方で、2枚一組で手提げの紙袋などを作っています。お月さまの絵の方はカレンダーを二重にして孫へのプレゼントで、何かの役に立つと勝手に思い込んでいます。今日も上越の友人に差し上げると「忙しいのによくやるわね」と・・・、打てば響きあう喜んでもらえる友がいるということは幸せなことですね。

そして今夜のTBSのNEWS23では安倍首相がスタジオ出演で、解散・総選挙についてアベノミクスが道半ばで経済政策を心に響かない“立て板に水”の如く強調です。膳場キャスターと岸井アンカーから選挙の争点が、集団的自衛権や秘密保護法、沖縄基地問題と原発再稼動など他にもあると示されるとトーンダウンです。雑誌サライ12月号でも日本国憲法は「国民が国家権力制限するための規範(なすべき決まり)。国家は憲法によって授権されたことしか、してはいけない」と明記していますが、閣議決定だけで憲法解釈を変え立憲主義に背き国民をだまし続ける言葉巧みな安倍首相の危うさが伝わってくる番組でした。


沖縄知事選と止まったままの断捨離と・・・

2014年11月16日 | 日々思うこと

今朝の散歩で須沢海岸沿いから望む黒姫山は中腹辺りまで雪が降りて、写真右奥の犬が岳や白鳥山はもっと白くなっていました。日本海の波もテトラポットに打ち付ける度に、しぶきが愛犬と私の顔にもかかりました。

昼過ぎに市内のイベントへと出かけ、帰り道に青海総合文化会館で明日まで開催の「児童・生徒図工美術作品展」へと急ぎました。市内の小中学生の図工や美術の授業などで制作した選ばれた力作の中から、孫の「いきもののせかい」という絵を見つけ、想像力の成長ぶりに目を細める“ばばバカ”のひと時です。その後は久しぶりにきらら図書館へ・・・、雑誌コーナーではサライ12月号が目に留まりチョッと嬉しくなりました。

夕方には市職員Yさんのお通夜へ・・・、数少ない女性管理職の一人で真面目で頑張り屋さんの彼女は2年前から青海事務所の所長を務めていました。今年春に体調を崩され、早過ぎる人生の閉じ方に驚くばかりです。浄土真宗のご住職は「人は生まれたときから死へ・・・」、そしてYさんの死は「無念で言葉がありません」と話され、深い悲しみのお別れでした。

夜8時過ぎ、沖縄知事選で翁長雄志(おなが・たけし)氏の当確のニュースです。宜野湾市の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設が最大の争点となっただけに、自民推薦の現職の仲井真氏を約10万票の大差をつけての初当選です。安倍政権により憲法と民主主義が岐路に立たされている中での朗報です。

“一日一生”喜怒哀楽このところお悔やみが続くことで私も身の回りの整理整頓をせねばと思っていたところ、一年前の今日のブログ「断捨離と古箪笥」では、娘から「この頃、おかあさんの断捨離、止まっているね」と言われていることを書き込んでいました。まだ人生の時間はいっぱいあると思いながら、この一年止まったままの断捨離で、もっと真剣にと思う終日です。


松野純孝さんの訃報と雑誌サライ「日本国憲法」特集

2014年11月14日 | 日々思うこと

木々の葉が落ちると冬の到来で植物たちもいよいよ冬の準備に入ると思っていましたが、実は彼らはすでに寒い冬への準備が完了したと同時に葉を落とし、春に向けて待っているそうです。よく見ると来春芽吹くための新芽がすでに準備されており、このことを私に教えてくださったのが上越教育大学元学長の松野純孝さんでした。10数年前、母を亡くして悲しんでいた私に上越市旧牧村の明願寺で、人の命のつながりを木々の芽を例えてお話くださったことをいつも思い出します。

去る11日に松野純孝さんが95歳で亡くなったことを知りました。上越教育大学学長2期目の選挙に挑戦し、1票差で敗れた平成5年の頃から頻繁にお話しを聴く機会が増えました。親鸞研究の第一人者の松野純孝さんは一度も威張ることなく、優しいお人柄で多くの人たちから親しまれてきました。講演などで親鸞やその妻、恵信尼(えしんに)を語るその表情がいまも目に浮かびます。心よりご冥福を申し上げます。

昨夜からの冷え込みで、今朝の黒姫の山頂辺りは薄っすらと白くなって、頚城の山々もここまで雪が降りていよいよ冬到来です。写真は午後3時頃で、雨飾の山頂はガスでぼんやり・・・、「goo一年前の記事」では黒姫山の麓まで真っ白になったことを書き込んでいました。

先日、建築の友「いちよう」さんのブログで、雑誌サライ12月号が「日本国憲法」特集であることを知りました。雑誌サライは小学館発行の中高年の男性専門誌で、「サライ」とはペルシャ語で「宿」の意味だそうですが、これまで購入したことがありません。創刊25周年記念特集で日本国憲法全文がとじ込み、さらに来年の「万葉集の風景」特製カレンダーが付録とあって迷わず注文です。本誌を手にすると表紙には「平和を願い理想を謳う、ニッポン復興の礎」と、そして「最高法規には、何が書かれているのか、103条の条文に込められた憲法の“英知”を探る」の編集内容で「さすが小学館!」です。昨年には全国のセブンイレブンに「日本国憲法」を500円という価格で置いたりと、その意気込みが伝わってくる良識の出版社です。

 

ちなみに「いちよう」さんは、当「日々雑感」で日本憲法を読まなくてはと思っていたそうで、「思いのほか短い憲法だった。たった103条!仕事関連の建築基準法は106条だが、第5条の2とか付記、付則が加えられ、施行令や施行規則が付き、赤本は7㎝の厚さに達する。・・・大過なく過ごして来て、憲法を読むのが遅すぎた。」と書き込んでいました。男性諸君もサライ12月号を手にとってみませんか、「おでん東西」特集もおいしそうでしたよ。(税込み 800円)


一気に衆院解散総選挙の流れ!?

2014年11月12日 | 日々思うこと

今国会の焦点となっていた労働者派遣法改正案は弱者きり捨てで、格差社会をさらに拡大することは言うまでもありません。与党はこの改正案の成立を本日、野党の反対を押し切って審議を強行するのは得策ではないと事実上の断念です。この背景には来週にも衆議院を解散する公算が大きく、同改正案が審議未了・廃案となる可能性が高まったことを受け、安倍首相の判断のようです。

今日は糸魚川駅まで、上京するためのJR切符の購入に出かけました。橋上駅舎から見下ろすアルプス口の工事はかなり進んでいますが、駅周辺のJR無料駐車場はいつも満杯で困っています。私が住んでいる所は駅から数キロ離れた姫川左岸で駅周辺の街なかは右岸ですから、毎日のように1級河川の姫川を渡っています。これまでの仕事柄、できるだけ市内の同じ道を通らないようにと意識し、国道姫川大橋や県道姫川橋を通ってきました。

 

今日は国道寺島交差点の傍にある種類不明の話題の柑橘の前を通ると、数日前にはなかった白い札が下がっているので車を止めて近寄ってみました。柑橘の説明かと思いきや、発泡スチロールに「わたしをとらないで」と書いてあるのでビックリです。毎年この季節に楽しんでいただけに、黙って取って(盗んで)いく人がいるなんて悲しい気持ちになりました。「花泥棒は泥棒にならない」と言われるものの、持ち主は思い余ってこれを下げたのでしょうね。

 

そして姫川河川敷の真ん中辺りには何台かの重機が入っており、おそらく川の流れを変えて堤防の工事が行われるのかもしれません。写真は県道姫川橋から山側、北陸新幹線の方向を撮りました。夜は北西の風が強くなって気温も低くなり、荒れ模様の天気が続くこれからの土木工事は大変です。またこの季節の解散総選挙ともなれば関係者だけでなく有権者も大変・・・、早ければ12月14日投票というニュースに驚く終日です。


4度目の冬、東日本大震災から3年8ヶ月

2014年11月11日 | 日々思うこと

暦の上では立冬、漬物用の大根が干される光景が目に留まります。自家製たくあん漬は年々珍しくなって、我が家でも母が亡くなってから遠ざかってしまいました。今朝の愛犬との散歩でご近所の家の前を通ると、畑のたわわに実をつけた温州ミカンは一段と色づき、軒先には干し柿も吊るされて冬への準備が伝わってきます。(この後、大根は雨に当たらぬようにと車庫の軒下へ・・・)

ところで先日のお通夜の人に伝わらない言葉も空しいものですが、安倍首相や閣僚の言葉が伝わっても国民と遊離し過ぎることで理解に苦しむことはもう珍しくありません。東京電力もしかりですが、福島第一原発の汚染水浄化をめぐり、国、県の関係者からALPS(多核種除去設備)の性能向上とトラブル防止を求める声が相次いでいます。一日に汚染水は数百トンずつ発生している一方、処理が追い付かず、東電が目標としている平成26年度内の浄化完了が危ぶまれております。

それでも「状況はコントロールされている」と平然と国際社会で発言する安倍首相、その支持率(NHK調査)が44%とあまり下がらないのは、だまされていることに気がつかない国民性だからでしょうか、それともウソを許してしまう寛容性なのでしょうか、理解に苦しみ悲しくなってしまいます。

東日本大震災から3年8ヶ月が経過し、アベノミクスの中で少しづつ忘れられているように思えてなりません。4度目の冬を向かえる被災地から本日、「東北まぐ」MLが届きました。宮城県登米市の仮設住宅の軒先に吊るされた干し柿の写真が添付されていたのでお借りしました。また今日は隣りの畑から掘り上げてあった水仙の球根をやっと鉢に植えました。明日から天気は下り坂の冷え込みのようで、黒姫山にも初冠雪があるかもしれません。スノータイヤにはまだ少し早いけど、ガーデニングなど冬への備えをしっかりと行わねばなりません。皆さまも風邪などを引かぬように、どうぞお気をつけください。


人それぞれの“生病老死”

2014年11月09日 | 日々思うこと

7日金曜日の朝は友人のお連れ合いの訃報に驚き、夕方6時からのお通夜へと急ぎました。ついこの間までお元気だった方だけに会場に入りきれない弔問者の驚きは大きく、残されたご家族の悲しみの深さが伝わってきました。お通夜での浄土真宗ご住職のお話しは広いロビーまでは届かず、よく聞き取れないのですがお釈迦様の「人間みな生まれた時から愚かである」という言葉が何度か繰り返されていました。

また人は生まれたその時から死に向かっていると“生病老死”のことを話されているのですが、どんな立派なお話も聞く人たちにしっかり届かないということは残念なことと受け止めました。そんな意味でも去る1日の法要の時の若きご住職、親鸞さんの「正信偈」(しょうしんげ)をご自分の体験と合わせて分かりやすく語っていたことが印象に残ります。そして東の空の雲の中から上ってきたまんまるのお月様はとても悲しげに見えてしまう夜でした。

秋も深まり、姫川右岸の堤防沿いの桜並木は黒姫山東面をバックに「来年も咲きますよ」と準備をしているかのようで、また次の花芽へとつなげる自然の営みが伝わってきます。

8日土曜日の昼過ぎには東京から弟家族がやって来ました。「野を越え山を越えて・・・」は亡き母の口癖でしたが、おめでたき帰省とあってお祝いの夕食会は総勢12人のにぎやかさです。ここで一番元気なのは勿論孫たちで、特に生を受けてまだ1年数ヶ月のパワーに圧倒される楽しいひと時でした。また一番の高齢は私で次に弟と続き、お互い隣り同士で亡き両親を語りながらお金がすべてのものさしになってしまった社会を憂いました。

9日日曜日朝は義妹のアクシデントで、市内の総合病院の緊急外来へ・・・。人生ほんとうに何があるか“一寸先は闇”ですね。そして人は生まれる時は予期できても、その生涯を終える時は未定・・・、人それぞれの“生病老死”を感じるあわただしい週末でした。 


“威風堂々”あのレンガ車庫と・・・

2014年11月06日 | 日々思うこと

昨日はかかりつけの歯科医院へ定期的なメンテナンスへ・・・、帰り道に糸魚川駅アルプス口のレンガ車庫の組み立て工事現場へ立ち寄ってみましたが、昼休み中とあって現場はひっそりです。駅構内に君臨していたあの“威風堂々”のレンガ車庫は来年3月の北陸新幹線開業のために取り壊され、その一部分が保存されていました。一部でも活用されるということは市史に残る素晴らしいことで、すでに棟部分が組み立てられており目を凝らしました。足場が取り外される頃にまた立ち寄ってみようと思います。

隣りの孫たちの家の道路に面した駐車スペースに沿って細長く花壇を設けましたが、引越しをしてからなかなか手付かずで気になっていました。帰宅してからやっとバラの苗木とローズマリーの植え付けです。バラは四季咲きの「バイランド」という中輪房の花で、多くの人たちを末永く楽しませてくれるようにと願いながらの作業です。

この週末に東京の弟家族が帰省するので、日頃が日頃だけに外仕事に続いて家の中の片付けなどに追われていますが、6日は上越市三和区まで車を走らせました。能生作品展で「音&土(ねんど)工房」の高橋てつお先生の作品をお借りしていたので返却です。市内あちこちに立ち寄ってから帰途に着きましたが、午前中には晴れてブルーの日本海は夕方には鉛色になって雨が降ってきました。

頚城連山が白くなる頃には市内の各川では鮭の遡上が始まり、橋の上から見ている人たちもチラホラです。この鮭の姿をカメラに収めるなんて至難の業ですが、6日付け『ぼくのまちのこと~青海・糸魚川・能生』ブログでは「執念」のタイトルでスゴイ写真がアップされていました。藍染の青色の川の中で鮭が上半身(?)むき出しで、レプリカではと思うほどの圧巻です。来秋の市展入賞に間違いなしで、まさに“スゴワザ”の撮る人の「執念」の写真です。http://nishizawa.cocolog-nifty.com/omi/


望郷の星オリオンと「文化の日」

2014年11月04日 | 日々思うこと

三連休最後の昨日は「文化の日」、新憲法の精神に基づき1948年(昭和23)に制定され、“自由と平和を愛し、文化をすすめる”国民の祝日に定められました。朝から曇り空で、九州電力川内原発再稼動の動きに気が重く、文化とは命を大切にすることではと民意が反映されない政治のあり方に憲法25条を重ねてしまいます。

午後4時まで開催の能生作品展の後片付けもあって、今にも雨が降り出しそうな中を会場へと向かいました。賑わう人の中で偶然にも村山カズさんとバッタリ・・・、7月にご自宅へ伺って以来で積もるお話がいっぱいです。極寒のシベリア抑留ではオリオンは望郷の星であり、また帰還後、お二人で散歩する時にオリオンを見ながら当時を語っていたことなど、そしてこの短歌は夫常雄さんが亡くなってから詠んだ句で、最近何とかという賞を受賞したそうです。ほんとうに仲の良いご夫婦で、話すこともできない最後の筆談では「平和を守れ」だけでなく「憲法を守れ」など数々の言葉を書き残して逝ったことを知りました。ふと若くして「お国のため」とシベリアの地で亡くなった私の叔父(父の弟)もオリオンを見ていたのかなあと・・・。

いま戦争を知らない若者(?)の間でも右傾化の傾向が強くなって、靖国神社賛美などは珍しくないようです。戦争体験者が年々少なくなって直接お話しを聞くこともなく、また近代史をしっかりと学ぶ機会もないので無理からぬことかもしれませんが、さらに「愛国心」を押し付けられたらと考えると背筋が凍てつく思いの「文化の日」です。

水彩画家外山康雄さんの野の花カレンダーも残すところ2枚となって、11月は紫式部(クマツヅラ科)が描かれています。今日は昨日とは打って変わって青空が広がるよい天気でした。下の写真は海岸から数キロ山間の今井地区から撮った頚城の山々で、焼山ドームも日増しに白くなっていることが分かります。

ところで冬は一年中で一番星空がきれいな季節で、冷たく澄み切った空気が星をいっそう きらびやかに見せてくれ、その中でもひときわ目立つのがオリオン座だそうです。今度から小まめに南の空も見ることにしようと夜空を眺めると、7日の満月にはまだ少し欠けているきれいなお月さまを東の空に見ることができました。世界中の人が同じ星や月を見ているなんて今さらながら感動で、報復の連鎖を断ち切ることが求められていることを痛感です。明日は全国的に晴れの予報で、外仕事が捗りそうです。


新鮮な「正信偈」と心洗われる一日

2014年11月01日 | 日々思うこと

今年も残り2ヶ月となった11月の初め、土曜日は親戚の33回忌の法要に出かけました。昨年の左足骨折もあって正座が苦手になり、お経が長くなることを想定してある物を持参です。ところが驚いたことに座敷の畳の上には来客分の椅子が配置されており、何でもお寺から借用したとのことで正座をすることなく一安心です。浄土真宗のご住職が読み上げるお経は正しくはお経ではなく、親鸞聖人が書かれた七文字を一句とした「正信偈」(しょうしんげ)と言われるもので、事前に配布された冊子を見ながらご住職に合わせての約1時間半でした。

終わりにご住職は「正信偈」のその一部を語られました。それは「無明」(むみょう)と「貪愛 瞋憎」(とんない しんぞう)という言葉で、先ず「貪愛」とは「貪欲」(とんよく)とも言われ、しがみつく愛着・欲望で、しがみつくべきでないものにしがみついてしまい、それは無知によって起こる心の動きということです。次に「瞋憎」は怒り憎む心で、自分の思い通りにならないときに起こり、これも無知によって起こるということです。最後に「無明」という言葉を語られ、これは真実に暗く、真実を知見〈ちけん〉する智慧〈ちえ〉の明るさが欠けている状態で根元的な無知ということだそうです。悪いことを悪いと思っている人と悪いとも思わず行っている人の例を挙げ、悪いことと思っていない人は反省もなく、また同じことを繰り返すと・・・、ここで私は安倍首相のことを重ねました。

そんなことで我が家とは宗派が違うことで、「正信偈」の初めて聴く“解説”に新鮮さを感じ心洗われるひと時でした。その後は会場を移してのお斎おとき)で、33回忌というおめでたきことで親戚同士のそのルーツを和気あいあいと語りました。また若きご住職とは「9条の会」などでもご一緒で、私は「無明」という言葉と安倍首相を重ねたことを伝えると、戦争への道へ進もうとしていることに危惧し、我々もしっかりとやっていかなければと、嬉しい言葉が返ってきました。

 

3時頃にお斎を終えて急いで着替えてから、能生生涯学習センターでの作品展へと車を走らせました。「えほん」での陶芸教室の一年間の作品の陳列で、お仲間数人が集まりました。飾りつけを済ませホッと一息・・・、同じ部屋の短歌グループの短冊の中に、故村山常雄さんの妻カズさんの一句がありました。

「オリオンは望郷の星を病む夫の まどろみて言うシベリアを言う」

また、相馬御風創刊「木かげ」の冊子がたくさん置かれて、ご自由にどうぞとあったので何冊かをいただき、御風さんの流れをくむ短歌「木かげ」の輪が全国各地に広がっていることが伝わってきました。そして「無明」政権の中で、「平和を守れ」と言われた村山常雄さんや、親鸞さんが残された数々の言葉を思いながら心洗われる一日でした。