すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

69年目の夏の終わりに、詩「平和の申し子たちへ!」

2014年08月31日 | 日々思うこと

【平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう】

                    なかにし礼

二0一四年七月一日火曜日

集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき

たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた

圧殺されたのである

こんな憲法違反にたいして
最高裁はなんの文句も言わない
かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍々(まがまが)しい
暗黒時代へともどっていく

そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう
ああ、若き友たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回りはじめたら最後
君もその中に巻き込まれる

いやがおうでも巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか

国のため? 大義のため?
そんなもののために
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか

若き友たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争にむいてないからだ
世界史上類例のない
六十九年間も平和がつづいた

理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ

平和ぼけ? なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ

人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者(ひきょうもの)? そうかもしれない

しかし俺は平和が好きなんだ

それのどこが悪い?
弱くあることも
勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば

なにか清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか
怖(おそ)れるものはなにもない

愛する平和の申し子たちよ
この世に生まれ出た時
君は命の歓喜の産声をあげた
君の命よりも大切なものはない
生き抜かなければならない
死んではならない
が 殺してもいけない

だから今こそ!
もっともか弱きものとして
産声をあげる赤児のように
泣きながら抵抗を始めよう
泣きながら抵抗をしつづけるのだ
泣くことを一生やめてはならない

平和のために!
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

集団的自衛権行使容認が閣議決定された1日、毎日新聞の依頼で作家・作詩家のなかにし礼さん(75)が書いた詩「平和の申し子たちへ!」が7月10日夕刊で掲載されました。終戦後、満州からの引き揚げ途中に何度も命の危険にさらされたというなかにし礼さん、「特定秘密保護法を先につくって、次は集団的自衛権。『戦争だから』と自由に発言できない時代はすぐそこです」と・・・。

私はなかにし礼さんの詩を知り、どうしても69年目の夏の終わりのこのページに書き残しておかねばと思いました。動画サイトでもご本人の朗読を視聴することができます。

https://www.youtube.com/watch?v=SBSxENND8E8

なかにし礼 オフィシャルサイト

http://www.nakanishi-rei.com/news.html

 


北陸新幹線開業の期待と不安と・・・

2014年08月29日 | 日々思うこと

今日から孫の小学校は給食のスタートで、下校時までは私の自由時間とあって市内のあちこちへと出かけました。北陸新幹線開業日がJR西日本・東日本から3月14日と発表され、糸魚川駅停車は14往復ということで巷は期待と不安で持ちきりです。

北陸新幹線東京金沢間の最速型「かがやき」は、当駅だけでなく上越妙高駅も素通りとあって「裏切られた」の思いの人たちも多いようですね。でも「金沢富山の県庁所在地と同等は最初からムリ・・・」、「市や議会の関係者らは
今までJR機関へ要望に出向く以外にどんな活動をしてきたのか」、「在来線が不便になる方が心配・・・」
などの声も聞こえてきます。2014829

市内各通りの北陸新幹線開業の暖簾が気になっていましたが、「負担金もあり、店のショーウインドーの妨げに・・・」などと足並みがなかなか揃わない課題が伝わってきます。金融機関3店が暖簾を下げている本町通りが一番多いのですが、白馬通りへ行くと空き店舗が多いため閑散としています。新幹線開業を目前にして、駅前だけでなく街なかの空き店舗対策も見えないまま春を迎えるのは残念で、誰もが下車したくなるような街づくりに向けてもう少し汗をかかねばならないのかもしれません。

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お昼近くに
友人宅を久しぶりに訪れると、垣根に鮮やかな深紅の朝顔が咲いていました。集団的自衛権や原発、市議会のことなどで話しは尽きませんが、その後は能生まで車を走らせました。暑かった8月も残りわずかで秋はもうそこに・・・、今月中に書きとめておきたいことがいっぱいで、明後日に書き込もうと思います。


夏休み最後の日

2014年08月27日 | 日々思うこと

このところ日本列島は局地的な大雨で被害も続出し、県内の農作物にも影響は出ており収穫を前にしたお米も案じられます。写真は昨日の昼頃の頚城の山々で、この後は麓までガスですっぽりと被われてしまいました。

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そして今日は気温も下がって半袖では肌寒いほどで、夏休み最後とあって朝から孫の工作のお付き合いです。ふと両親が働いている子どもたちはどうしているのかなあと、安倍政権の“今さら”とも言うべき女性の社会進出政策や女性管理職アップとを重ねてしまいました。

夕方には根知の方でプリントした小豆島八十八ヶ所の数十枚の写真を見せてもらいましたが、高性能なデジカメなのでとてもよく撮れていました。丸4日間の巡礼で他のお遍路さんとは一度も会わなかったというので驚きましたが、
猛暑の時期には誰も歩かないようです。また子ども用の白衣がなく、お寺の奥様が特別に配慮してくださったそうで、八十八札所のご宝印をいただくこの白衣は洗ってはいけないようで、も
う一度着用しての記録写真です。

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ところで地方メディアで気になることは、大盛況だった日曜日の
「なくそテ 原発柏崎大集会」の扱いで、高校野球と重なったことで仕方がないのでしょうが軽く小さいものでした。当日参加できなかった私は、多くのお知り合いが参加されブログで詳しく書き込んでいるのでそちらを拝読です。ところが全国学力テストの結果といえば、余りにも大きく文科省の思い通りの競争主義をあおる報道には首を傾げてしまう夏休み最後の日です。


小豆島八十八ヶ所の旅気分

2014年08月25日 | 日々思うこと

昨日の高校野球準決勝、日本文理は残念ながら決勝戦には進めませんでしたが、目標を持ってここまで頑張ってきた選手らに“熱い夏をありがとうです。


孫が小豆島八十八ヶ所霊場巡りから昨夜無事帰宅したことで、今日は朝から
“マシンガントーク”での報告が続きました。初めてということもあって先ず、山陽新幹線からフェリーに乗って島に渡ったことや、毎日お昼には美味しいうどんを食べたことなど、餞別もあげなかったのに私へのお土産は黄色いキャップのオリーブハンドクリークでした。

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実は今まで四国八十八ヶ所の霊場(お寺)をまわるお遍路のことを詳しく知らなかったのですが、孫が出発した火曜日の夜に偶然にもNHKEテレ、趣味Do楽の番組で「はじめての四国遍路旅」“第3回空海伝説をたどる”
を見ました。今年は弘法大師によるご開創から1200年の記念の年ということで、信仰と観光の四国は大勢の人で賑わっているそうです。孫の根知のじじばばも、これまで何回か四国お遍路の旅をしていますが、須沢地域の何組かのご夫婦も出かけており、Eテレでも取り上げるなど中高年には打ってつけの旅のようですね。

そして孫たちが訪れた小豆島にも四国とはまた別の八十八ヶ所があることを知りました。大人でも丸4日間で回るのは大変だったそうで、炎天下でのお遍路を頑張って終了した孫は真っ黒に日焼けし、写真右の「結願(けちがん)の證」をいただいて帰りました。そんなことで興味も湧いてきて少しお遍路さんの旅気分です。


物々交換と蓮の花と新潟日報コラム

2014年08月23日 | 日々思うこと

昨日の昼頃にはバケツをひっくり返したような突然の雨で、洗濯物を取り込んだり隣りの家の窓を閉めたりして、能生棚口地区の「えほん」へと急ぎました。2ヶ月ぶりの陶芸教室で、今回は作陶をせずコーヒーをいただいて帰ることにしました。徳合地区の専業農家のHさんとは春の枝垂桜以来で、パンナという品種のメロンを2個いただき恐縮です。帰り道にTさんのお宅へ立ち寄りメロン1個をおすそ分けをすると、おやきの具に使う等級外の越の丸ナス3個をいただく嬉しい物々交換です。

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高校野球準々決勝第4試合は日本文理の勝利でベスト4へ・・・、どこのチームの球児たちも無心でプロ野球にない爽やかさが伝わってきます。爽やかといえば一昨日の上越市で高田公園周辺を通ったので、お堀に咲く一面の蓮の花を撮りました。清楚で
品のよい蓮の花をこんなにたくさん見たのは初めてです。


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今日は二十四節気の「処暑」で、暑さが和らぐ頃といわれていますが蒸し暑い残暑日です。広島市を襲った土砂災害は4日目になり、地域が拡大し被害と犠牲者も多くなり心が痛みます。

昨日の新潟日報コラムは、「天は片手で恵みを与え、もう一方の手で災いをもたらす。・・・・・計り知れない自然の力に対し、人間はどこまで謙虚になれるか。自問しなければならない場面は自然災害に限らない。南アルプスを長大トンネルで貫くリニア新幹線、ジュゴンやサンゴの海を埋め立てる辺野古の基地、大量の地下水が流れる土地に建てられていた福島原発…」と・・・。
そして本日のコラムは、ゴルフの大きなカップと憲法というルールを解釈だけで変えたことを重ね、パットが決まりにくいならカップを広げればいいという発想と集団的自衛権行使に道を開く手法を痛快に批判です。
http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/nipposho/


逆転ホームラン!日本文理ベスト8へ

2014年08月21日 | 日々思うこと

今日の全国高校野球第1試合は日本文理対富山商業で、このために甲子園へバスが出るなど市内は盛り上がっています。テレビで途中まで観戦し、その後は上越へ出かけたのでカーラジオで・・・。9回裏もうこれまでかと思っていたら新井選手(糸魚川中出身)の逆転2ランホームランで思わず運転中に拍手です。新井選手のご家族を知るだけに喜びも倍増で、最後まであきらめない闘志に万感の拍手です。

上越市で所用を済ませてセブンイレブンへ、氷が足りないと話題の1
杯ごとに挽きたてドリップのアイスコーヒーなどを求めると、レジの前に「日本文理おめでとう!」が貼ってありました。日本文理のバッテリーも直江津中学校出身とあっては当然で、明日の試合も悔いのないように思いっきり頑張ってほしいと熱くなっています。

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毎年夏になると畑で栽培のちりめん紫蘇で作っていた紫蘇ジュース、今年からはもう縁がないと思っていたら根知の方から赤紫蘇をいただいたのでお盆が一段落してから作りました。先ず葉っぱをきれいに洗ってホウロウ鍋に水とクエン酸を入れて煮出すと真っ赤なきれいな色に変身です。これが疲労回復にもなり
孫の大好物で「男山」の純米酒の空瓶などに入れて保存です。そして瓶のラベル「根知 男山」の文字もお気に入りで、洗う時にいつもはがさずそのままです。

そんなことで今夏はこの瓶2本だけでしたが今朝の散歩中、ご近所の畑で秋大根の種まき準備でちりめん紫蘇を処分しようとしていたのでいただき「ラッキー! 」、残暑もあって疲れた一日でしたがいいこともいっぱい・・・、紫蘇ジュースを飲んで明日もまたガンバロウ!


福島原発と自然災害と戦争の記録

2014年08月20日 | 日々思うこと

東京電力は昨日の原子力規制委員会で、福島第一原発の海側トレンチ(電源ケーブルなどが通る地下道)からの高濃度の放射性物質の混じった汚染水抜き取りの凍結作業が難航し、セメントや粘土などの止水材を充填する追加策を示しました。政府は工事が3ヶ月を経過しても凍らず、凍結だけで止水する現在の手法を見直すそうですが、もともと批判のあった安上がりの選択に数百億円を投じて進めてきただけに首を傾げてしまいます。

昨夜は大地が震撼するほどの雷雨に驚き、パソコンの電源を切っていなかったので不安でした。そして広島市では局地的な豪雨により、多く人が巻き込まれ一瞬にして命が奪われるという痛ましい災害が発生です。人は自然災害には微力ですが、知恵を出し合いより万全な防災対策が求められています。


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黒姫山の無尽蔵の石灰岩で栄えてきたセメント工場の町、そのD社の社宅須沢アパートが老朽化で来月から取り壊されるという回覧板が町内に回りました。RC4階建て3棟72戸の社宅には娘たちが幼かった頃、多くの友だちが住み一緒に育ってきた思い出があります。今年の春から空き家となっており、長年見慣れただけに一抹の寂しさと変わゆく風景を収めました。

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また19日深夜はNHKスペシャル「狂気の戦場 ペリリュー~“忘れられた島”の記録~」を視聴、今年になって日米併せて約2万人が死傷したペリリュー島の激戦を記録した100本超のフィルムがアメリカで見つかりました。“狂気の戦場”と呼ばれた戦いの詳細がほとんど語られずに来ただけに、恐怖や憎悪、絶望の中で日米兵士が追い詰められていく記録から、硫黄島へとつながる戦いの全貌が伝わりました。
続く20日深夜のNスペ「知られざる衝撃波~長崎原爆・マッハステムの脅威~」では、爆心地から遠ざかるほど爆風が威力を増す「マッハステム」の破壊力をアメリカが事前に計算し意図的であったことを知りました。

明後日は学童疎開船の対馬丸沈没から70年目になります。以前視聴したNHKドキュメント「おじいちゃんからの宿題」をもう一度見ることにしました。戦争とは勝っても負けても双方の国には
残酷で、その悲惨さに大義などあるはずがないと痛感する8月です。それにしてもNHKはこんなよい番組放送を深夜ばかりに集中するのでしょうか、見たければ録画をしてと言わんばかりが続く終日です。


誕生会と孫と平和と集団的自衛権

2014年08月18日 | 日々思うこと

今日はお盆の休み明けのスタートで、曇り空が晴れて昼頃には30度を超す蒸し暑さです。昨夜は隣接する孫たちの新居で8月が誕生日の3人、下の娘と幼稚園児と満1歳になった孫らの誕生会で、家族が元気でこうして誕生日を迎えられることに、平和であればこそと感謝の思いです。

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8月に入って小学2年生の孫が原爆がきっかけで「いま、せんそうをしているところはどことどこ?」と、戦争についてしりきと聞いてくるのでしっかりと向き合って答えています。玄関のガラス戸にサッカーボールを真ん中に「レッドカード!集団的自衛権=戦争」をダウンロードしたチラシを貼っていることもあって、今日はアメリカを助けるための集団的自衛権のことや、自衛隊の募集と徴兵制にまで話しが進んだことで涙ぐんでいるので驚きました。

そういえば少し前に「ワンワンばばはどうしてアベさんがきらいなの?」と聞いてくるので、選挙と政治のことを話しながら「もう戦争をしないように、ばばは頑張っているんだよ」と・・・。孫は明日から根小屋のじじ夫婦に小豆島八十八ヶ所巡りへ連れて行ってもらうことで、私は「
いつまでも平和で戦争をしないようにとお参りしてきてね」と言うと「わかった!」と、そして「おみちよう」とハグです。(笑)

ところで先日のNHKスペシャルで熱くなったのは、集団的自衛権の行使に賛成反対の各3人の論客の議論が理由です。反対の立場にはジャーナリストの鳥越俊太郎さんと太平洋戦争に至る歴史研究の加藤陽子さん(東京大学大学院教授・歴史学者)、瀬谷ルミ子さん(日本紛争予防センター理事長)でした。賛成には岡本行夫さん(元外交官・元首相補佐官・外交評論家)、岩田温さん(拓殖大学客員教授)らで、彼らの机上の空論に本当にこの人たちは人が人を殺しあう戦争を分かっているのかと憤ってしまったからです。


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イラストは「マガジン9」HPからお借りしました。集団的自衛権について分かりやすいシリーズで、特に下記は現場をよく知るお二人の対談が参考になりました。

「集団的自衛権と自衛隊(その2)~柳澤協二さん×伊勢崎賢治さん対談レポート」http://www.magazine9.jp/article/shudanteki-jieiken/13144/


69年目の戦争証言と「憲法の魂」と・・・

2014年08月15日 | 日々思うこと

戦後69年の間、日本は一度も戦争をすることなく自衛隊も海外で血を流さなかったのは、平和憲法を遵守してきたことと何度も書き込んできました。安倍首相はいま「国民の暮らしを守るため」と憲法解釈を変え、戦争ができる国へと進んでいるこの現実にどう向き合っていくかが問われている終戦の日です。

毎年8月になるとマスコミは一斉に戦争特集を取り上げていますが、戦争を美化する内容には首を傾げてしまいます。戦争を知らない世代が大半で、戦争体験者の声を聞くことや近代史を学ぶ機会も少ない中で、その悲惨さをどのように伝えてゆくかも大きな課題です。そんなことで私もできるだけ戦争証言に耳を傾けるようにしていますが、昨夜のTBS系NEWS23では、元日本兵(94)の
中国での残虐行為の証言を取り上げ、「戦争は人を狂わせる・・・」と言う悲痛な声が耳に残りました。また今朝の糸魚川タイムス2面の終戦特集「証言 69年目の祈り(下)」では、シベリア抑留死亡者名簿に生涯をかけた故村山常雄さんを大きく取り上げていました。


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写真は日本母親大会で求めた岩波ブックレット「取り返しのつかないものを、取り返すために」と、「いま、憲法の魂を選びとる」で帰途の新幹線で一気に読みました。「いま、憲法の魂を・・・」の一編は、2年前に95歳で亡くなった三木睦子さんの7年前の「九条の会」の挨拶です。「新聞社は安倍首相の母方の岸家ばかり取り上げている」と、父方の祖父で帝国議会衆院議員の安倍寛(かん)氏と親しくしていたことで、「あの方は一生懸命こんな戦争をしてはいけないと、日本中で平和を説いていた」と語っていました。


東条英機らの軍閥政治を厳しく批判していた安倍寛氏は特高警察に跡をつけ回され、べったりと軍閥と手を結んだ岸信介氏とは対極の政治家だったそうです。
そして本日の政府主催の全国戦没者追悼式の安倍首相は、歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者への加害責任や「不戦の誓い」は昨年同様に触れませんでした。安倍首相はどうも岸家のDNAしか受け継がなかったようで、「憲法の魂」などは知る由もないようです。

夕方の日テレ系番組は、太平洋戦時中の元従軍看護婦の証言で、多くの日赤従軍看護婦の存在を知りました。また夜7時半からのNHKスペシャル「戦後69年 いま“ニッポンの平和”を考える」は
、戦争の惨禍を経験した日本が守るべき平和主義とは何かを考える番組で、視聴しているうちに熱くなってしまいました。続く9時からの渡辺謙主演の金曜ロードショー「硫黄島からの手紙」は、今まで見たいとは思わない映画でしたがあえて今夜は最後まで・・・。いったい誰のための戦争だったのかと考えされられ空しさが残る映画で、来年には終戦70年目を迎えようとしている終戦の日です。


お盆の墓参りと・・・

2014年08月13日 | 日々思うこと

台風11号が去った後は初秋を思わせるような肌寒さで、今朝は太陽が少し顔を出したので洗濯や布団干しです。昼過ぎにはどんより雲で蒸し暑い中を下の娘夫婦とお墓参りへ・・・、1歳になった孫は“お墓デビュー”です。我が家のお墓は青海駅近くの見晴らしのよい高台で、近年のお墓掃除は東京の弟家族が行ってくれるので助かっています。

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写真は高台から、左に青海総合文化会館の青海波の屋根が少し見え、東方向にJRの線路がどこまでも続いています。長い石段を下りるとお寺で、お御堂から離れた場所に「お不動さん」(不動明王)があり、渡り廊下に3枚の額がかけれています。毎年なるほどと暗記して帰るものの、すぐに忘れてしまうのでデジカメに収めました。

「強い心がないと生きていくのがむずかしい しかし 暖かい心がないと幸せにはなれない」と・・・。もう一枚は「本気ですれば大抵のことはできる 本気ですれば何でもおもしろい 本気でしていると誰かが助けてくれる」と、信州上田市の寺の刻印です。


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お墓参りから戻って買い物や親戚の家へお参りに出かけたりと、そして夕方には上の娘家族は根小屋の家の方へ・・・。弟家族4人は義妹の実家がある山梨経由で東京へ帰って、今夜は久しぶりに早めにパソコンに向かっています。
米軍は7日のイラク空爆から今度は地上作戦を検討しているという不穏な動きに、集団的自衛権の行使を重ねてしまう一日の終わりです。


長崎原爆の日の「平和への誓い」

2014年08月11日 | 日々思うこと

立秋を過ぎて、ご近所のヒマワリ畑の中にコスモスの花が咲いています。このところの多忙でパソコンに向き合う時間もないままですが、残暑お見舞い申し上げます。

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8月9日、長崎原爆の日は帰省した弟家族と黙祷でしたが、この日の式典を視聴する余裕がなく慌ただしく一日が過ぎてゆきました。ネットでも話題になっている被爆者代表・城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんの「平和の誓い」を動画サイトで聞きましたが、原稿になかった集団的自衛権行使容認を「憲法をふみにじる暴挙です」など心に響く言葉でした。城臺さんは6
歳の時に爆心地から2,4キロ所で被ばくし、戦後は教員として子どもたちに平和の大切さを教え、今も語り部として自らの体験を伝えているという方です。 ところが安倍首相の面前で集団的自衛権反対や原子力発電所の廃炉にも踏み込んだことでネットで物議をかもし出しているようですが、先の広島式典での首相のコピペ挨拶に呆れていただけに感動の「平和への誓い」でした。

※以下、NHKで放送されたものの全文です。

「平和への誓い」
1945年6月半ばになると、1日に何度も警戒警報や、空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時6歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。

8月9日の朝、ようやく目が覚めた頃、あのサイレンが鳴りました。「空襲警報よ、はよ山まで行かんば」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕へ登りました。
爆心地から2.4キロの地点、金比羅山中腹にある、現在の長崎中学校校舎の真裏でした。
しかし、敵機は来ず「空襲警報解除」の声で多くの市民や子どもたちは、「今のうち」と防空壕を飛び出しました。その頃、原爆搭載機B29が長崎上空へ深く侵入していたのです。
私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。おとなりの同級生、トミちゃんが、「みやちゃーん、遊ぼう」と外から呼びました。
その瞬間、キラッ!と光りました。
その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えておりません。暫く経って、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんは、その時何の怪我もしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。
たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなる。たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で、多くの被爆者が命を落としていきました。
私自身には何もなかったのですが、被曝三世である幼い孫娘を亡くしました。私が被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。
原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは、人間の力ではどうすることもできません。
今強く思うことは、この恐ろしい、非人道的な核兵器を、世界から一刻も早く、なくすことです。
そのためには核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。
しかし、現在の日本政府はその役割を果たしているのでしょうか。今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。
日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。一旦戦争が始まると、戦争が戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。
日本の未来を担う若者や、子どもたちを脅かさないで下さい。平和の保障をしてください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないで下さい。
福島には、原発事故の放射能汚染で、未だ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々が大勢おられます。小児甲状腺がんの宣告を受けて、怯え苦しんでいる親子もいます。
このような状況の中で、原発再稼働、原発輸出、行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討して下さい。
被爆者は、サバイバーとして残された時間を命がけで語り継ごうとしています。小学1年生も、保育園生さえも、私たちの言葉をじっと聞いてくれます。

このこと、子どもたちを、戦場へ送ったり、戦火に巻き込ませてはならないという思い、いっぱいで語っています。
長崎市民の皆さん、いいえ、世界中のみなさん。再び、愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被曝の実相を語り継いで下さい。
日本の真の平和を求めて、共に歩きましょう。私も被爆者の一人として、力の続く限り、被爆体験を伝え残していく決意を、皆様にお伝えして、私の平和への誓と致します。
平成26年8月9日 被爆者代表 城臺美彌子

 


被ばくから69年、平和への道と原発と・・・

2014年08月07日 | 日々思うこと

8月6日、雨の広島は原爆投下から69年目を迎えました。孫とテレビ画面で平和記念式典を見ながらの黙祷で、二度と戦争をしてはいけないことを伝えました。


式典で
「平和への誓い」を述べる小学6年生の二人は・・・、

「わたしたちは、できることからはじめる勇気をもつことができました。

Welcome to Hiroshima.
みなさんをここ広島で待っています。
  平和について、これからについて
共に語り合い、話し合いましょう。
たくさんの違う考えが平和への大きな力となることを信じて。」と・・・。


さらに松井広島市長の日本政府に対し、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があるとし、名実ともに平和国家の道を歩み続けるよう求める「平和宣言」に感動です。安倍首相といえばいつも感じることですが「この人は何もわかっていない・・・」と、小学生以下の空々しい言葉並べが今年も伝わってきました。

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<広島市HPより、近年の原爆ドームを北上から望む>

 

同じ日に、福島第一原発3号機の核燃料の大部分が溶け落ちていたという東京電力の発表に猛暑の中で驚きと身震いです。これまで3号機では、核燃料の溶融は6割程度にとどまるとみられていましたが、放射線量がいまだに高く現場で詳しい調査をするのは難しいため、東電は当時のデータなどを改めて分析して事故の状況を詳しく調べた結果だそうです。原発事故前からの隠蔽体質の会社だけに今さら驚くこともないのでしょうが、それにしても世界で唯一の被爆国でありながらヒロシマ・ナガサキを忘れ、放射能汚染に麻痺している感覚が恐ろしいです。

また東京電力の資料によると、東日本大震災後の東電管内の電力供給実績の最大電力量は事故前から約1000万KWも減少していることがわかりました。節電意識が根付いた結果でもあり、原発が停止しても電力は確保できるという数字で、原発リスクを国民はしっかりと認識してゆかねば世界の笑いものになりかねない今年の広島原爆の日です。


忘れないうちに、分科会「原発・放射能から子どもを守ろう」と・・・

2014年08月05日 | 日々思うこと

今日は早朝から30度を超える暑さで、日中には36.3度(気象台発表)の今夏一番の猛暑です。一週間後にはお盆を迎えますが、東京の弟家族は今年は少し早めの週末に帰省することになり、布団干しや窓ガラスの掃除などに汗だくの一日です。

忘れないうちに、2日間で延1万4千人近くが参加した日本母親大会のことを書き込んでおきたいと思います。2011年7月の広島大会と翌年の新潟大会で私は、原発・放射能の分科会に参加して来ましたので、今回も「原発・放射能から子どもを守ろう」に参加です。分科会会場は大ホールに隣接する会議センターで、助言者は神奈川北央医療生協・さがみ病院の牛山元美内科医で、先ず医療被ばくについて資料をもとに各種検査の被ばく線量を詳細に教えてくださいました。被ばくの健康被害は幼い子どもほど健康障害を起こしやすいこと、放射能安全値はゼロ線量であることなど、牛山医師は2児の母親ならではの次世代をも見つめた鋭い観点で助言されとても参考になる内容でした。

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またこの分科会の司会は数年前から大会中央実行委員会に名を連ねている月刊「食べもの通信」編集の家庭栄養研究会が担当し、研究会事務局のFさんが感心するほどの進行ぶりでした。


そして会場の「パシフィコ横浜」周辺は海が近いとはいえ、木陰がないコンクリートからの暑さがジリジリ・・・、でも忘れてはならないのはこの猛暑でも原発ゼロで過ごしていることです。「原発がないと電力不足」と日本の国が成り立っていかないかのごとくのキャンペーンが繰り返されましたが、再エネルギーとスマート化による省エネで産業構造を転換することも可能であることを知る今年の夏です。

写真の「食べもの通信」、7月号特集は「肉食の過食リスクを考える」、8月号は「市販のお菓子チェック」で、8月号のコラムは私が担当で「“武力行使”容認は戦争への道 戦後守り通した平和憲法を次世代へ」と綴りました。本誌をご希望の方には当方から郵送しますのでご一報の程。(無料)


「青い空は青いままで・・・♪」

2014年08月04日 | 日々思うこと

小森陽一さんは講演で、“生命を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます”を掲げ60回目を迎えた日本母親大会の歩みを、自衛隊発足60年と重ねながら意義ある大会だと話されました。また「母親が変われば社会が変わり、子どもも変わる」と、ご自身の体験と母、小森香子さんを熱く語られ、私は今まで何気なく口ずさんでいた「青い空は青いままで・・・」の作詞者が小森香子さんであることを知りました。そしてこの歌詞から伝わる非核非戦に、この母にして陽一さんありと感じました。

「青い空は」 【作詞】小森 香子 【作曲】大西 進
 


1.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  燃える八月の朝 
  影まで燃え尽きた
  父の母の 兄弟たちの
  命の重みを 肩に背負って 胸に抱いて


2.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  あの夜 星は黙って
  連れ去って行った
  父の母の 兄弟たちの
  命の重みを 今流す灯篭の 光に込めて


3.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  全ての国から
  戦(いくさ)の火を消して
  平和と愛と 友情の
  命の輝きを この堅い握手と 
  うたごえに込めて
  うたごえに込めて


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副題が「鳥たちへの歌」で、1971年第17回原水爆禁止世界大会に発表された、第二の「原爆を許すまじ」だそうです。

ネットで偶然、小森香子さんのコメントを見つけました。

 「青い空は 青いままで 子どもらにつたえたい」と核兵器廃絶の歌を書き、平和運動をつづけて来た私は、55年体制のもと「核の平和利用」をかかげて国民をだまし、アメリカ資本と結んで原発を導入しつづけた日本政府と電力資本、及びその宣伝の先頭に立ったマスコミを許すことはできません。子や孫に青い空と海、生命すこやかな日本列島を残すために、今こそ眞実を語り、原発に頼らない、太陽や風力発電を、と声を上げましょう。
 


記念すべき「第60回 日本母親大会in神奈川」へ

2014年08月03日 | 日々思うこと

今年60回目を迎える「日本母親大会in神奈川」に参加のため、昨土曜日の朝に家を出発です。こんな暑い季節はあまりムリな行動をせず、じっ~と(?)しているのが賢明のようですが、東京大学大学院教授の小森陽一さんの講演に引き寄せられての上京です。

JR東京駅から会場の横浜市「パシフィコ
横浜」までは、10年前に開通した横浜高速鉄道のみなとみらい線を利用し猛暑の中を急ぎました。途中で家から持参した麦茶を干してしまい、熱中症予防にと飲み物を求めましたが、さすがに新しい路線駅だけに自販機はどこにも見当たりません。やっと会場に到着で、あまりにも広大で移動にも汗だく・・・、実行委員会ブースの書籍売り場で月刊「食べもの通信」を販売している家庭栄養研究会のお仲間と合流することができました。

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大会第1日目の全体会は、小森陽一さんの講演「子どもたちに憲法が輝く明日を」とあって、約5千席収容の
東日本唯一の「国立」の大ホールはすでに全国から集まった参加者らで埋め尽くされていました。案内係りの指示でホールに入れない多くの人たちは5階の大会議室へ移動・・・、モニター大画面で視聴することになりました。

小森陽一さんは先ずご自身の生い立ちにふれ、8歳からチェコスロバキアのプラハで4年間過ごしたことや、母親の小森香子さん(詩人)のこと
などを話され親近感が増しました。そして演題の憲法と集団的自衛権の行使容認については、「9条の会」事務局長ならではの多岐にわたるお話しで、再び戦争ができる国への道を分かりやすく聴衆を惹き付けました。また1945年7月17日のポツダム会談の前日、米国はメキシコで世界初の核実験に成功したことや、広島原爆投下と3日後の長崎投下の経緯など等、今まで知りえなかった戦中戦後史などがしっかりと伝わりました。(続く)