半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

五輪のことなど

2012年07月31日 08時05分07秒 | 日記
ロンドンオリンピックが始まったらしく、TVでは連日、
メダルが取れた取れないと大騒ぎである。

勝手に金メダルを期待して、取れないとなると、まるで自分
のことのように悔しがり、金メダルが取れなかったのは、まだ
まだ努力が足りないがの如く宣うが大きなお世話と言うものだ
ろう。誰も負けたくてやっているわけでも無いだろうに。

そう言えば、アナウンサーの常套句に「○○選手やってくれ
ました」というのがある。いつもあれを聞くと違和感を覚え
そして、「別にあんたの為にやっているわけじゃ無いだろう」
と独り言を言ってみたりする。


はじめて五輪が身近になったのは、小学生のときの東京五輪
だろうか。
裕福でもない我が家にテレビがやって来たのは、当時でも遅い
方で、五輪を家族に見せてあげたいと父が無理したのか、多少
家計に余裕が出てきたのか、多分月賦だろうけれど、ある日突
然やってきたテレビが居間の片隅に鎮座し、家族の注目を集め
る生活の中心的存在となった。
たしか、ナショナルのテレビで取説に人工頭脳と書いてあって
随分とお利口さんのテレビなんだと感心した。

東京五輪開会式の日は、コバルトブルーの空が広がる雲一つ無
い秋晴れの日で急いで学校から帰りTVを観た。ファンファーレ、
一糸乱れぬ行進、階段を駆け上がる聖火の白い煙、そして、すり
鉢状の聖火台に点火された聖火が見事だった。
開会式は今のように、大仕掛けのこったものでは無く、実にシン
プルだったけれど、青空に放たれた風船や鳩など新鮮な感動を覚
えた。

競技は、今でも印象に残っているのは、柔道の無差別級で神永が
オランダのヘーシンクに寝技で、山のような巨体でのし掛かられ
て、為すすべもなく1本負けしたことは、お家芸と言われ、柔よく
剛を制すと言われ、負けるはずはないと思っていただけにショック
だった。

何れにしろ、今行われているロンドン五輪は、競技である以上、
1等賞を狙うのは当然のことだろうだろうけれど、例えそれが叶わ
なくても精一杯やった選手にこの4年間の努力に対して労りの気持
ちを持って、讃えてやったらどうだろう。勝った負けたとゲーム感覚
では無しに。
そして、負けた選手も、日本の為に金メダルを持って帰れないこと
は申し訳ないなどと、そんなに卑屈にならなくても精一杯やった結果
なのだから気持ちの切り替えは難しいかもしれないが胸を張って帰っ
て来て欲しい。


何より、気を付けなくてはいけないのは、感動だ勇気だとスポーツ
ドラマの陰で、国の重要事項が決まってしまうことではないか。
とかく、スポーツやお笑いは国民の目眩ましで利用されることが多
いし、マスコミはそのことに大いに協力していることも事実である。
そのことにも、国民として目配りをしないと。

ジャガイモ掘り

2012年07月29日 04時31分06秒 | 日記
週末、我が家の農作業の中でも一大イベントであるジャガイモ掘りをした。
炎天下での作業はつらいので、早朝5時から作業を行い1時間半ほどで終えた。

作業は、先ず、枯れかかった茎を抜き、手で土をほじくり返し土の中をまさ
ぐると何とも言えないジャガイモの感触・手応えがある。

         

収量は、平年並かそれ以上で、種芋5kgに対して、概ね150kgほどなので、約30倍
となっての大地の恵みである。
これを知人に分けたりしても、来年の収穫時期まで十分に我が家の食材の一部
を賄えるほどの優等生である。

ジャガイモを収穫した後は、少し休ませて8月末の秋風が立ち始める頃にには、
大根の種をを撒くことになる。


本日は、トウモロコシも食べごろなので、収穫をした後は、農作業はせずに、温泉
にでも浸かりビール片手に読書三昧の農休みでもしよう。
なにせ、この暑さである信州の我が家は冷房は不要とは言え、このところの
暑さはさすがにこたえる。
冷房のある場所で、炎暑休耕酷暑読(?)といきたい。

夏休みの想い出

2012年07月25日 21時59分14秒 | 日記
小生が小中学生の頃は、夏休み期間は、せいぜい20日間程度で、
夏休みは7月28日頃からお盆明けの8月18日頃だったと記憶して
いる。
とにかく、お盆が終わる頃には慌てて宿題の工作などをやった
覚えがある。

貧農の我が家は、例え小学生と言えども、貴重な戦力として期待
されており、連日、半日は畑仕事にかり出され、草取り、果樹の
消毒など、仕事は絶えることなく待っていた。

近所で、非農家の友人が遊んでいるのを見るとうらやましくもあ
った。

それでも、午後はプールに友人達と行ったり、つかの間であるが
野良仕事から解放された。

何時だったか、5歳上の兄と、農作業をサボったら父から予科練
仕込みのケツバットを受けた。両手を握り水平に突きだし、上半身
を15°程度前傾し、尻を突き出すのである。
さほど痛くは無かったから、父は手加減してくれたのだろう。

そんな厳しい父であったが、お盆休みには、子どもたちを、バスで
1時間程離れた町まで、映画に連れて行ってくれたこともあった。
それは、母からのアドバイスがあって実行したと最近になって父
から聞いた。


子どもの頃の夏休みの思い出は、やはり、草いきれがする畑での農作
業と、お盆過ぎの膝にまとわりつくような、もの悲しい秋風だろうか。



カリスマの死

2012年07月24日 14時02分37秒 | 日記
勤務先の創業者が逝った。
齢87歳であった。

会社を興して50年弱、この業界と共に生きて来た人だった。
高度成長期以前の黎明期そして飛ぶ鳥を落とす勢いの高度成長期さら
にバブル崩壊から現在に至る長く続く低迷期の年月を経る中で、幾多
の困難を切り抜けて来たその決断力、リーダーシップは天賦だろう。

さらには、この信州の片田舎の経営者が、業界の全国のトップに座る
ほどの器の大きな人間的魅力を兼ね備えたカリスマ性のある人でもあ
った。一方で、ハンデキャップをもつ人を雇うなど、暖かみがある人
でもあった。

現在の2代目経営者は、非常に厳しい時代に経営を託されて、大変なが
らも、初代の陰になり日向になる存在があったから心強い面もあったと
思うが、これからは、これまで以上に大変だろうが自らの力で切り抜けて
いって欲しいと願う。


とにかく、生前に受けた故人の温情に感謝し、ご冥福を祈るのみである。
合掌

イベント終了

2012年07月22日 16時57分54秒 | 日記
自治会の一大イベントであり、公民館主催の納涼祭が無事終了した。
公民館の庭に模擬店等を出し、区民の皆様に楽しんでいただこうと
言う、この自治会の夏の一大行事である。

準備から運営、片付けまで全て公民館役員でやるのであるが、ぼんぼり
の飾り付け、休息所の設置、何より大変なのが模擬店に出す料理である。
全て手作りに近いので、手がかかる。メニューは焼きそば、おでん、焼
とり、フランクフルトなどで、あとは飲み物で生ビールがメインで、
料理の下ごしらえは、役員の奥様達にやってもらうこととなる。

当日は、これまでの猛暑とうって変わって、気温20度に満たない、およそ
夏祭り日和と呼べない、焼とりの炭火が心地よい程の涼しさであった。

開催時間は、夕方6時から9時までであり、主な目的は、普段近所づきあい
が希薄な区民にお酒を飲みながらの語らいの場を提供することにある。
その意味からも、雨にたたられることもなく楽しい一夜を提供することが
できたのかと思う。

無事に終了できたこと、肩の荷が下りた思いであると同時に公民館役員の
皆様には感謝する次第である。