半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

沖縄の土人発言問題に思うこと

2016年10月21日 18時02分27秒 | 日記
土人、支那人の漢字変換は、一回ではでてこなかった。おそらく差別用語であることから
忌避されている固有名詞なのだろう。当然といえば当然であるが。

この土人発言について、肯定的な発言が、ネトウヨどころか閣僚や公党の党首に見られる
ことは何とも腹立たしい限りだ。
彼等は、差別しかない沖縄の歴史を学んでいるのだろうか。
ここで、あえて沖縄の成り立ちや棄民としか言えない差別的扱いを述べる気はない。

沖縄基地村に巣くう日米軍産の強欲、官僚の忖度、土建屋の都合で要りもしない基地を造ろ
うとしている沖縄の民意を一顧だにしない横暴な政権の為すことすべてを良しとし、それに
異を唱える沖縄県民を悪とする冷酷な本土の国民達。

強者の論理に加担する決して強い側にいない人間のなんと多いことか。
やはり、この国はどこかでボタンの掛け違い(故意)をしてからというもの、外して掛け直
すにはあまるにも遠くまで来てしまったようだ。

沖縄の構造的差別に対しては、今に始まったことではない。沖縄の悲惨の歴史に一旦でも触れ
れば今の沖縄の成り立ちを知れば知るほど、憤り以外の感情は湧かない。

差別は、障がい者、弱者、マイノリテイーに対して行われる。あるいは出自に対しても行われる。
経済力が劣る国、文明的に劣っている国の者に対しても行われる。かつて植民地だった国の者に
対しても行われる。それはほとんどが先入観など、自らの裏付けのない価値観の中で差別者を選
択する。
差別する者は、強者の立場に身をおいてみて被差別者に対して優越感を味わうのだろうか。。
人として違う立場の人間を理解することもしないし、受け入れることを否定する不寛容な時代が
益々色濃くなっている気がする。

今回の機動隊員達の土人やシナ人発言は、彼等の精神の深層に、生まれながらにしてあったもの
だとは思わない。成長の過程や周りの環境、或いは組織の上意下達なるものかも知れない。

いずれにしても、沖縄県民に寄り添う真の気持ちを安倍晋三等にまかせるのではなく、本土の国民
(日本人)に少しでも欲しい気がする。

落花生

2016年10月11日 15時39分06秒 | 日記
今年も落花生の収穫時期になり、暇を見つけては収穫にいそしんでいる。
今年は、春に種を播くときにマルチを使用したので、子房柄の土に入る隙間が
無いことに最近になって気づき、収量の激減が予想された。
それでも自然はうまくできているもので、根の部分にしっかりとした実をつけ
ており、収量の単純比較はできないものの概ね2割減程度で済みそうだ。

       

とは言え、作付けを昨年の倍近くにしたので、未収穫のものが半分ほどあり、
既にご近所に配っているので、自家用にしてもかなりの量である。
今は、収穫後の処分に頭を悩ませていて、道の駅や直売所などに出そうか、
真剣に考えているところだ。

タイムカプセル

2016年10月06日 08時52分25秒 | 日記
30年前に埋めた市のタイムカプセルが、この度、掘り出されたことは知っていた。
昨日、帰宅するとタイムカプセルと記された封書が届いており、開封してみると
小生と妻が書いた当時2歳と0歳の子どもに宛てて書いた手紙と四人で撮った写真、
それに当時の千円札(今も同じ)が出てきて、一気に30年前にタイムスリップした。
子どもに宛てた手紙を読むと気恥ずかしさと同時に随分としっかりしていることを
書いており、安堵した。

光陰矢の如しとは言え、30年が過ぎ去るのはあっという間だった。
頭髪は当時のヘアスタイルは保てるものの、白いものが多くなり、人相も明らかに
変貌している。今風の下衆な言葉でいうと劣化している。

はたして、当時、30年後の子ども達に残した言葉を現状に照らしてみると子ども達
も何とかそれに近い形で凡人でも生き生きと日々生活し、人様に必要とされる人間と
して活躍してくれていることは、我ら夫婦に対する30年後のご褒美であろうか。
また、自分が歩んできた半生を省みたときに、紆余曲折があったが、それなりに充実
したものであったことは確かだ。

人は一人では生きられないと言われるが、家族はもとよりいろんな人との関わりの中
で生きているのだと改めて感じた1日であった。