半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

どこまで、民意をなき物にするのだ

2014年01月22日 08時00分00秒 | 日記
沖縄県名護市市長選挙は、いわば、県民の民意を反映した形で、
基地反対派の稲嶺氏が再選された。

政府による強引な札束による脅しには屈しなかったわけだ。しか
し、もう少し差がつくかと思われたが、沖縄県警を黙らせたうえ
での買収工作も影響したのか、はたまた、基地を必要とする市民
も多くいる証しでもあるということか。
とは言え、すでに、この選挙結果をあざ笑うかのように、政府に
よる一連の埋め立て工事の計画はシュクシュクと進められている。


基地の必要性というのは、おそらく、政府の常套句の中国の脅威
に対する備えとして国土防衛上からの基地の必要性。あるいは、
生活を豊かにする為の必要性などであろう。

国土防衛上必要だと考えに基づくと、永久に沖縄にある基地は無
くならないだろう。巷間、日米安保上、日米の約束に基づくもの
で、守らない分けにはいかないと言われる。しかし、いつまで、
米国の植民地のような立場に甘んじなければならないのだろうか。
日本と米国との利害は違うわけで、ただ、利用されているに過ぎ
ないのではないか。つまり、米国としては、自国の都合で、沖縄
基地が必要なわけで、軍人とその家族を合わせた47,000人を日本
政府が思いやりやらおもてなし予算とやらで、飯を喰わせてくれ
るわけだから、このうま味を手放すわけはないだろう。

また、普天間基地の固定化を避けるために、辺野古基地は必要だと
言うが、それでは、今度は、辺野古が固定化されてしまい沖縄の米
軍基地を減らし無くすという思いに逆行する。

お人好しと嘲笑されるのを覚悟で、思い切って、沖縄から米軍基地
の一切を無くしたことを想定してみた。楽観主義者で、性善説で生
きている小生にしてみれば、取り立てて脅威があるとは思えないの
だ。人間本等の慣らいからして、脅威を感じない相手に対して先制
攻撃をしないし、懇意にしている相手に一撃を食らわせることなど
ないと思うのだが。もちろん、普段から信頼関係を築くための努力
は必要だろう。それが、外交努力というものだし、それには、相手
の気持ちを逆なでするような、下品で浅はかな振る舞いは慎まなく
てはいけない。

信頼関係を築くということは、相手を認めるということで、今の政
権が過去の侵略行為を認めて誠意を現さないかぎり、反省も、相手
に対する誠意も生まれない。

おりしも、世界中の識者が、沖縄県民の人間と環境を犠牲にして沖
縄の軍事植民地状態を深化し拡大させるための取り決めに反対する
声明を出した。


政府は、今回の民意をこれまでのような、有無を言わせぬ屈服させ
るやり方は改め、少しでも、沖縄の人々が基地の脅威から解放され
るよう縮小する方向に真剣に向き合う時が来た。また、本土の人間
も我が事のように真剣に考えてみる時がきたと思う。

子どもの頃の思い出

2014年01月21日 05時33分05秒 | 日記
昨日は、大寒だった。
加齢と共に、寒さが、身に沁みる年齢に入ったことを実感する。
40代の頃には無かったことだ。

昭和30~40年代には、寒中休みというのがあって、一週間ほど、
学校が休みになった。
ともかくも、学校が休みになることが嬉しかった。
さすがに、家の畑仕事の手伝いも無くて、田んぼリンクでスケー
ト三昧の日々を過ごした。

今は、寒中休みは無いのだろうか、あの休暇は、どういう意図で、
設けられていたのだろうか。
当時は、教室の暖房と言ったら、だるまストーブで、燃料は、薪
や石炭だった。木造の隙間だらけの教室で、暖かいのは、ストー
ブの周りの席だけで、最後列の窓際など最悪だったのかも知れな
いが、それでも、手足がかじかむ程でもなかったような気がする。

だるまストーブと言えば、高校時代の思い出で、弁当を暖めるた
めにストーブの直ぐ傍に置いておくのだけれど、暖まって来ると、
中のたくあんの何とも言えない香りが、教室に漂い、男だけの殺
伐とした味気ない教室の雰囲気を和らげたものだ。
ある時など、弁当を包んでいる新聞紙が熱で燃えだして、教室が
騒然としたことがあったが、度々そんなことが続くと、慣れたも
ので近くのものは、坦々と火消しに努めていたことを昨日のこと
のように思い出される。

あの頃は、今のように、電子機器など夢想だにしない時代で、周
りのもの全てが、ゆっくり流れ、優しさに包まれた時代だった。
現代のように、少しでも、人より多く、良いものをと言った人を
け落としてでも、無機質な幸福感に浸って満足するような時代で
はなく、おしなべて、裕福でもないけれど、隣人を思いやるよう
な惻隠の情が残る気持ちが豊かな時代だった気がする。

一度大きくコケたらいい

2014年01月11日 06時34分26秒 | 日記
経済が、景気がよければそれが全てよいという変な空気が蔓延し、
それがあたかも、自分の暮らしの一大事のごとくに染まってしまっ
ている世の中であるが。

1%と99%とに鮮明に色分けされた今の世に果たして経世済民など
と言うことばが通じるのだろうか。

経済が、袖の下をちらつかせて政治に手を突っ込み、自分たちの思
い通りに労働ルールを創らせ、労働者の奴隷化を進め、本来、労働
者がてにすべき果実を内部留保として蓄財し、再配分には寄与する
ことは嫌う姿はの守銭奴では、まさにカネに餓えた餓鬼の様相であ
る。

ある、中小企業の経営者いわく、トヨタが2兆円の利益をあげる社会
より、2万社が1000万円の利益をあげる社会が住みよい社会であ
ると。まさにそのとおりである。

何遍も言うが、経済と引換にこの国の形を全く違うものにする勢力に
与してはならないのであって、それは、偏狭な個人の趣味的なナショ
ナリズムを支持することで、主権を自ら手放す事に繋がることに、早
く気づかないといけない。

選挙で、経済の好転に期待したかも知れないが、このような、悪法を
創ることまで、負託していない筈だ、そのことに早く気づき、声を出
して行かないと、たかが、一部の巨大企業の増益が景気の復活と信じ
込み全権委任を決め込んでいたら、本当に取り返しのつかない時が来
る。

一度、消費増税を機に一度大きくコケて、政権にダメージを与えるこ
とができたら、世の中の浮かれ気分も一掃されるかも知れない。

覚悟の年になる

2014年01月05日 17時15分48秒 | 日記
明けましておめでとうございます。
本年も、拙ブロクをよろしくお願いお願いいたします。

さて、仕事始めを翌日に控えての本年の最初の更新である。
相変わらず、書き出しの出足が悪く筆が遅いことにご容赦を。

今年は、自他共に覚悟の年になるだろう。

私ごとながら、この年末、年始に親に会ったが、超高齢の域に達し、
当然のことながら老衰が顕著になり、別れの時が来ることの覚悟は
しておくべきかと思った。
生者必滅、会者定離のたとえのとおり、これだけは、どんなにあが
いて見ても、別れの悲しみはやって来るだろうから、その時の心積
りはしておくべきだろう。


さて、世間を見ると、相変わらずの安倍のミクスとやらで、この間
の大納会に続き、大発会でも、ご祝儀相場で、市場は安倍を礼賛す
るのだろう。
彼の政治家は、涙と一緒にパンをあるいは、飯を食べたことのない
人間のようで、本当の悲しみ、ひもじさを味わったことの無い輩の
謂わば代表であろう。社会保障などは薄いものにしようとする魂胆
が見え見えで、弱い立場にある国民を護るどころか、ワケの分から
ない秘密を護ことに、血道を上げている。早々に失脚させたいのだ
が、影の最高権力者である、官僚を味方につけた、巨大政権は、磐
石な強さを誇り、戦前復古に彼の軽い命を懸けている。
そう言う意味では、今年は改憲、TPPなど、壊国・改国のためのメニ
ューが目白押しの一年であり、我々主権者国民は、それらの悪政を
覚悟・観念をして唯唯諾諾と受け入れるのか、それとも相当の決意
を以て、この政権に対峙する覚悟が必要な一年となる。

               
                   分岐点