半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

父のことなど1

2012年02月16日 08時03分49秒 | 日記
 父は昭和元年に農家の次男坊として生まれた。上には10歳以上も離れている

姉、兄がいた。母親は、父が3歳の時に病死したらしい。

ただ、3歳までとは言え、とても優しい母親だったと憶えているらしい。

父の兄は、学生時代は級長を続けていたとても優秀な人だったらしい。

その兄も先の大戦で満州のハルビンで病戦死したので代わりに父が農家の

跡継ぎになった。


父は、義務教育を終えるとポンプで有名な荏原製作所に工員として就職した。

当時、東京の大田区には叔父が、月島には叔母がいたので、たいそう可愛がって

もらったり面倒を見てもらったらしい。

いよいよ、戦争も激化してきて、父は志願して予科練に入隊したが、幸いなことに

特攻隊員として、無駄な命を落とすこともなく敗戦を迎えた。


敗戦後、父は直ぐに実家に戻り、農業を継ぐと祖父と二人の寡婦暮らしをはじめた。

昭和23年に姉の嫁ぎ先の小姑を嫁として迎えた。3歳上の姉さん女房である。



久しぶりのボウリング

2012年02月13日 07時48分02秒 | 日記
 自治会の公民館行事で二十数年ぶりにボウリングをやった。

投げ方は忘れてないが、センスの無さは相変わらずでスコアーは100を

超える程度である。

ゴルフはやらないが、初心者はスコアが100を切ることが目標らしいから皮肉だ。


優勝は若奥様で、2ゲームで300だから小生の3ゲーム分だから大したものだ。

そういえば、ボウリングブームの頃は中山律子さん、並木恵美子さん、須田開代子

さんなどなど、連日TVのボウリング番組に活躍されていた事が懐かしい。

その後、皆さん相変わらず活躍されているのかな。



普段、使わない筋肉を使ったせいか今朝は、右腕が筋肉痛である。

暫く畑仕事をしていないせいか、身体が鈍っている。プロ野球のキャンプの

ように少しずつ体力作りをして、4月からのシーズンに備えなければいけない。


ところで、畑に生ゴミを捨てに行ったら、畑一面が烏で真っ黒であった。

思わず、ヒッチコックの映画の鳥を思い出した。

県の北部が大雪でエサが無いことに加え、あまりの寒さに避寒をして来たのだろうか。

烏にとっても、到来が待ち遠しい春である。

母に思うこと

2012年02月07日 08時06分37秒 | 日記
母親が認知症と宣告されてから10年が経った。
当時は、母の行く末をある程度想像はできた。それが、今まさに現実のものとなっている。

母はとにかく、しっかり者で、目配り、気配りができた人だった。
貧農に嫁いで来たから、野良では朝から晩まで牛や馬のように働き、家では、妻、母親、嫁として忙しさに明け暮れた。
それでも、本を読んだり新聞は隅々まで読むような忙しい農家の主婦にしては珍しく勉強家な一面もあった。

そんな母も今では、我が子の顔や名前は記憶の片隅にもない。全くの別人としてそこに居る。

先週末、施設に母を訪ねてみた、いつものとおり私の顔を見るなり「先生」と呼んだ。そして「先生は良くしてくれて有り難い」などと言った。私を施設の職員と思ったなのだろう。

いつものことながら、そこには母子としての愛情に満ちた会話はなく、ただ一方通行の親子関係しか存在しない。

認知症は新しい事から忘れる病気であるが、古い事は覚えていて母の過去の人生の取っ掛かりに辛うじてなっている。母は、子どもの頃の生家や近所の風景が頭に刻みこまれているらしく、そこの地名を呼びながら「帰るから連れていけ」と言う。
今度、行こうと言い納得させるが、暫くすると思い出したように行きたいと言う。
実際に生家に連れていったこともあったが、母の思い描いているその風景はある筈もなく、こんな所ではないと大いに機嫌を損ねている様子だった。

幸いにも母がお世話になっている施設は、入所者の身になってよく面倒をみてくれるので心底有り難い。以前に世話になっていたK園は、入所者を金づる同様にしか扱っていなかっただけに対応は雲泥の差である。

いつも思う、母の人生は果たして幸せだったのだろうか、今は幸せなのだろうかと。
子どもとしては、幸せだったと思うし、今も幸せであって欲しい。そして今を精一杯生きて欲しいと願うのみである。

禅に『安身立命』という言葉があるらしい。
それは、

人生に定年はありません
老後も 余生も ないのです
死を迎える その一瞬までは
人生の現役です
人生の現役とは
自らの人生を悔いなく生き切る人のことです
そこには「老い」や「死」への恐れはなく
「尊く美しい老い」と「安らかな死」があるばかりです
という意味らしい。


母には人生を全うしてもらいたい。人格(?)は変わったかも知れないが、母は母なのだから。

鬼はそと?

2012年02月03日 07時48分32秒 | 日記
 今日は節分。

小さい頃の節分と言えば、自宅で採れた大豆を焙烙で炒ったものを蒔いた。

「鬼は外、福は内、おいべす大黒目開け(?)」などど大きな声で蒔いたあと

歳の数だけ豆を食べた思い出がある。


 豆蒔きの豆もいつのころからか拾った豆も気にせず食べられるということなのか

落花生に代わった。


 最近では、東日本ではそのような習慣が無かったと思うが、どこぞのコンビニ

がブームに火を付けて、今では全国に広がったその年の恵方を向いて、太巻き

寿司の恵方巻を頬張る行事もある。

 
 今朝のニュースでは、最近は、節分の大豆を小児が誤って呑み込み、あわやと

いう事故もあるらしい。健康を願って行う節分で、命を落としたら元も子もない。


 ところで、岩手県のある地方では節分のかけ声の「鬼は外」を「鬼も内」と

いうところもあるらしい。絆の大切さが叫ばれるこの時、鬼さんとも仲良くし

ないといけない。



 自分は、福も鬼も自分の心にの中に居て、心が安泰の時は福が身体に宿り

自分の精神状態が攻撃的で心静かでは無いときには鬼の心が擡げて来ること

を例えているのだろう思う。善いことも、悪いことも、全ては自分が行った

ことの結果であり、何事も普段の自分の心掛けが大切だと。


明日は、立春、春一番は当分吹きそうもないけれど、週末は少しだけ暖かく

なるそうだ。久しぶりに畑へ行ってみよう。

犬とともに

2012年02月02日 08時12分27秒 | 日記
今が寒さのピークだろうか。

連日、日中でも最高気温が氷点下の厳冬である。

大雪に遭われている地域の方には心よりお見舞いを申し上げます。


毎朝、5時代には、老犬と散歩しているが、日課になっているせいか

例え、吸い込んだ息が肺に刺さるような寒さの日でも休むこともない。

犬も当たり前のように小屋から出て待っている。

そんな日が、この2月で16年も続いていることになる。


犬のために善かれとやっていた散歩であるが、結果として自分の多少の

運動不足解消に繋がっていたのかも知れない。


この犬も人間でみたら80歳代であろうか、まだまだ元気である。

吾がパートナーとして、まだまだ長生きをして欲しいものである。