半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

父のっことなど2

2012年02月17日 08時01分42秒 | 日記
結婚の翌年、兄が生まれ、その5年後に私が、さらに5年後に弟が

生まれた。

父と母は、貧農の故にとにかく働きに働いた。


祖父は、ことある毎に戦死した長男と父を比較しては、「一郎(仮名)

が生きていればなあ」とあからさまに父の前でぼやいて見せたらしい。

それに加えてかなりショックキングなエピソードもあったと、この正月

に話して聞かせた。

ある日、祖父と植木屋との会話で、「二郎(仮名)よりも、この松の方

が大事だ」と祖父が臆面も無く話しているのを近くで聞いた父は、相当な

ショックを受けたらしい。

 それでも、父はそんなことをバネにさらに働いた。現金収入を得るため

に農耕用に飼っていた牛を泊まりがけで連れて、山奥の伐採した木を土場

まで引き出す土引きという仕事もやった。


弟が生まれた時は、父にそのことを伝えるために、近所の電話があるお宅

まで5歳の私が走ったことをおぼろげながら憶えている。


その後、我が家は農地を開墾したり、買い求めたりして、かなりの耕作面積

となった。作物は米から得られる収入は僅かなので、りんご、白菜、レタス、

花卉、薬用人参など様々な作物を試みたが最終的には、花卉と薬用人参に

しぼった。後に、農林大臣賞など数々の賞を受賞するまでに至った。

その間の研鑽、努力は並大抵では無かった筈だ。

その影には母の大きな内助の功があったことは言うまでもない。