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「ママ」への感謝を込めて、京成駅の看板を「市川ママ」に(チバテレ)

2021-05-02 15:02:32 | 報道

「ママ」への感謝を込めて、「市川真間」を「市川ママ」に

「ママ」への感謝を込めて駅名を変更/千葉県市川市(チバテレ) - Yahoo!ニュース

 5月9日の「母の日」を前に市川市のある駅がお母さんへの感謝があふれるユニークな駅名に変更されました。  京成電鉄の市川真間駅では5月9日...

Yahoo!ニュース

 

  5月9日の「母の日」を前に市川市のある駅がお母さんへの感謝があふれるユニークな駅名に変更されました。
 京成電鉄の市川真間駅では5月9日の母の日にちなんで駅名の看板とバス停の表記をカーネーションに彩られた「市川ママ駅」に変更されました。
 お母さんに日頃の感謝を伝えてもらおうと、京成電鉄が企画したもので、駅構内には、地元の幼稚園児などが描いたお母さんの似顔絵300枚が飾られているほか、記念乗車券の発売なども行われています。

駅に訪れた人

「普段ここは通りすぎちゃうところだったのでママの日母の日ということで変わったということでチラッと見に来たんですけど非常に見たことのないところに降りられてよかったなと思います」

「駅の感じもかわいくなっていて、来てよかったなと思いました」

 駅名の変更は29日から5月10日まで行われます。

(以上、チバテレニュースより)

 

元の看板です。

今は、こう変わっています。

「市川真間」はアイヌ語から来た?

市川は「一の川」、真間はアイヌ語の「メェメェ⇒くずれた崖(がけ)地」
「市川(いちかわ)」の地名は、江戸川が坂東(関東の昔の呼び方)一の大きな川であったことから「一の川(いちのかわ)」と呼ばれたことから来たそうです。
「真間(まま)」はアイヌ語のメェメェ(くずれた崖地)から来ているそうです。
「江戸川のそばのくずれた崖地」ではイマイチですね。「市川ママ」の方がずっとカッコイイ。
駅の看板、ずっとこのママでもいいかも知れません。

真間(まま)の手児奈(てこな)の悲しい伝説。
「手児奈」はアイヌ語で「恋人よ」?


ところで、市川真間には「真間の手児奈」の伝説があります。(以下、市川市のホームページから)


 むかしむかしの、ずうっとむかしのことです。真間のあたりは、じめじめした低い土地で、しょうぶやアシがいっぱいにはえていました。そして、真間山のすぐ下まで海が入りこんでいて、その入江には、舟のつく港があったということです。

 そのころは、このあたりの井戸水は塩けをふくんでいて、のみ水にすることができないので困っていました。ところが、たった一つだけ、「真間の井」とよばれる井戸からは、きれいな水がこんこんとわきだしていました。だから、この里に住んでいる人びとは、この井戸に水をくみに集まりましたので、井戸のまわりは、いつも、にぎやかな話し声や笑い声がしていたといいます。

 この、水くみに集まる人びとの中で、とくべつに目立って美しい「手児奈」という娘がいました。手児奈は、青いえりのついた、麻のそまつな着物をきて、かみもとかさなければ、はき物もはかないのに、上品で、満月のようにかがやいた顔は、都の、どんなに着かざった姫よりも、清く、美しくみえました。

 井戸に集まった娘たちは、水をくむのを待つ間に、そばの「鏡が池」に顔やすがたを写してみますが、その娘たちも、口をそろえて手児奈の美しさをほめました。

 「手児奈が通る道のアシはね、手児奈のはだしや、白い手にきずがつかないようにと、葉を片方しか出さないということだよ。」
 「そうだろう。心のないアシでさえ、手児奈を美しいと思うのだね。」

 手児奈のうわさはつぎつぎと伝えられて、真間の台地におかれた国の役所にもひろまっていったのです。そして、里の若者だけでなく、国府の役人や、都からの旅人までやってきては、

 「手児奈よ、どうかわたしの妻になってくれないか。美しい着物も、かみにかざる玉も思いのままじゃ。」
 「いや、わしのむすこの嫁にきてくれ。」
 「わたしなら、おまえをしあわせにしてあげられる。洗い物など、もう、おまえにはさせまい。」
  「手児奈よ、わしといっしょに都で暮らそうぞ。」

などと、結婚をせまりました。そのようすは、夏の虫があかりをしたって集まるようだとか、舟が港に先をあらそってはいってくるようだったということです。

 手児奈は、どんな申し出もことわりました。そのために、手児奈のことを思って病気になるものや、兄と弟がみにくいけんかを起こすものもおりました。それをみた手児奈は、
「わたしの心は、いくらでも分けることはできます。でも、わたしの体は一つしかありません。もし、わたしがどなたかのお嫁さんになれば、ほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう。ああ、わたしはどうしたらいいのでしょうか。」
といいながら、真間の井戸からあふれて流れる小川にそって、とぼとぼと川下へ向かって歩きました。手児奈のなみだも小川に落ちて流れていきました。

 手児奈が真間の入江まできたとき、ちょうどまっ赤な夕日が海に落ちようとしていました。それを見て、
「どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。あの夕日のように、わたしも海へはいってしまいましょう。」
と、そのまま海へはいってしまったのです。

追いかけてきた男たちは、
 「ああ、わたしたちが手児奈を苦しめてしまった。もっと、手児奈の気持ちを考えてあげればよかったのに。」
と思いましたが、もう、どうしようもありません。

 翌日、浜にうちあげられた手児奈のなきがらを、かわいそうに思った里人は、井戸のそばに手厚くほうむりました。
 真間の「手児奈霊堂」は、この手児奈をまつったもので、いまでは、安産の神さまとして、人びとがおまいりにいきます。
 また、手児奈が水くみをしたという「真間の井」は、手児奈霊堂の道をへだてた向かいにある「亀井院」というお寺の庭に残っています。
(『市川のむかし話』 市川民話の会/編 より)

(真間の手児奈霊神堂)

手児奈(てこな)霊神堂 伝説の美女ゆかりのお堂 | 御朱印の森

弘法寺の大門通りをJR市川駅へ向かってちょっと歩くと、左手に手児奈霊神堂の正面入り口がありました。入口前には万葉歌人である高橋虫麻呂と山部赤...

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「テコナ」の「ナ」は上代日本語の愛称接尾辞。
アイヌ語では、「手」と「 腕」の両方をték と呼んでいる。 そして、アイヌ語には、o「入 れる、 乗 せる」と いう動詞がある。このように考えると、「手児」はアイヌ語 tek-o [ teg-o ] 「腕 に入れる、抱く」と解釈するのがよいと思われる。
 アイヌ語 tek-o [ teg-o ] 「 腕に入れる [ 者 ] 、抱く [者 ] 」は「恋人」の意味と合致する。

(猪木武徳著「萬葉集と風土記に見られる不思議な言葉 と上代日本列島に於けるアイヌ語の分布」より)

ずっと昔、今の北海道から関東あたりまで、アイヌの人たちが住んでいた名残りかも知れませんね。

こんな報道もありました。

千葉で生きるアイヌの古老が伝えるもの  80歳超え、各地で講演会 | 47NEWS

アイヌ民族って北海道に住んでるんでしょ? いえいえ、北海道だけじゃありません。 政府は2011年に、...

47NEWS

 

連休でもなかなか遠出はできない昨今、日ごろのお母さんへの感謝をこめて「市川ママ」駅の看板を見に行かれてはどうでしょうか?

 

 

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