住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

Narashino gender26 日本女性史koki版⑱ 中世Ⅸ  鎌倉殿のたくましい女たち

2023-10-26 07:49:09 | ジェンダー

鎌倉殿のたくましい女たち

  • 鎌倉殿の十三人 北条義時(小栗旬)BeforeAfter

私はほぼ毎年、NHKの大河ドラマを観ている。長丁場なので、途中でつまらなくなると止めてしまう。今年の「どうする家康」は松潤には狸オヤジが合っていない気がして、今は何時止めるかどうか状態。

去年の「鎌倉殿の13人」は、娯楽作品としては殺伐としたところがあって、視聴率はよくなかったみたいだが、脚本、脚色に魅せられた。ちょっと史実とは違うなと思ったら調べるようにしていたから、三谷幸喜のフィクションを楽しませてもらった。主役北条義時役の小栗旬は最後まで期待を裏切らなかったし、TVのアップを意識してか、心理描写なんかの繊細な表現が現代調のせりふでも表現できる卓越した俳優なんだなと再認識した。歌舞伎役者のキャスティングも彌十郎、猿之助、愛之助、獅童、松也、染五郎…、舞台の蓄積があって芸達者で、こんな濃い芝居がTVで観られるなんて~幸せだった。ミュージカル俳優たちもよかったね。舞台も観にいってください。

「鎌倉殿の十三人」キャストのミュージカル俳優(一部)

  • 柿澤勇人(源実朝) 堀内敬子(比企能員の妻) 新納慎也(阿野全成)※

※習志野市の鷺沼で兄頼朝との再会を果たした阿野全成(あのぜんじょう)については、このブログでも紹介されています。

習志野歴史散歩:鷺沼から頼朝が出陣! - 住みたい習志野

 

  • 宮澤エマ(実衣)シルビア・グラフ(藤原兼子)秋元才加(巴御前)

  • 横田栄司(和田義盛) 栗原英雄(大江広元) 小栗旬(おまけ)

さて、岸田首相も「鎌倉殿の13人」を毎回視聴していたとBSTVで明かしていた。平々凡々な田舎の若侍だった北条義時が裏切りや謀略の権力闘争をくぐりぬけて頂点に上り詰めるまでのストーリーだが、岸田首相は義時に自分を重ね合わせてみていたそうだ。(義時と古参の御家人の闘争のあたり?)。

「若い頃は純粋に善人だったが、同じ人間なのに変わってしまう」と指摘し、記者に「権力を握った首相自身も悪い人になっていく感じはあるか?」と質問され、「権力を握って、どう変わるかは人によるんじゃないか。私も消されないように注意しないといけない」と気色わるい笑いを誘った。

岸田がどれだけ永田町の権力闘争しかアタマにないかよくわかる。理念も政策もないのだ。

その場その場で、御家人(派閥)のどいつを消すか? だれを裏切るか? だれに取り入るか?などと判断することで政権をコントロール、消されないように維持し予算をつけるから、無茶苦茶なんだ。

自分が権力の座にいることだけが唯一の関心、いちばん内閣総理大臣にしてはいけない人間。大河ドラマは終わったが、岸田政権は続いている。

  • 岸田文雄 Before After

女性ぬきには成り立たない鎌倉

今回は、日本の中世、12世紀末からの鎌倉時代、武家政治と女性の関わりについてがテーマです。「十三人」を視聴した人はわかりやすいね。鎌倉幕府法(御成敗式目など)を紹介しながら、女性の活躍を紹介したいと思います。

古代国家の公地公民制という支配は、変更に変更を重ねて、共同体のカラを打ち破り、妻夫(めおと)を単位とするイエを成立させた。税制による支配は田地を対象とし、納税者を男性にした。

11世紀末から大田文(おおたぶみ・土地台帳。図田ともいう)が作られ、「十三人」では、伊豆の豪族の息子の北条小四郎(義時)が、台帳を元に年貢のチェックをしていたね。

  • 大隅国図田帳(おおすみのくにずでんちょう)

年貢は米だけでなく、絹や麻、鉄、材木など色々で、田地面積あたり米以外の年貢ならそれぞれ田地の面積に換算し、決められていた。年貢は米以外のほうが多かった。繊維製品が多く、それらの生産は女性が担っていたから、女性は実質的な公的労働の担い手であった。農業も女性労働が不可欠。だから女性の社会的地位は低くなく、村の政策である掟の決定にも深く関与していた。

非農業的職種にある民衆に対しては、田地を媒介することなく、直接に支配した。桂女(かつらめ)は桂川の鮎などを京に売りに行くのを生業としていたが、供御人(くごにん・天皇の食物を提供する身分)と認定し、公的身分を獲得することができた。同業組合のトップに女性が就くことも珍しくなかったという。

  • 三十二番職人歌合 桂女

 

政治の舞台での女院と女房の活躍

支配層のなかの女性も力をもち、政治の舞台に登場する。

慈円は、武家が台頭し貴族が斜陽になるなかで「愚管抄」という歴史書を書き、時代の重要な節目には女性が時代を動かすという「女人入眼(にょにんじゅげん)」の道理を仏教の立場から主張した。

  • 「愚管抄」 写本 仮名交じり文

「女人入眼の日本国いよいよまこと也けり云うべきにや」。

仏教では女はケガレがあり成仏できない。成仏したければ男子に変身(変成男子)しろ。月経がある限り地獄に堕ちる(血盆経)と差別し放題だった時代に、女性が政治の最後の仕上げ(入眼)をするという。

慈円はクール。鎌倉時代初期には、北条政子と弟の義時が政治を行い、朝廷では後鳥羽上皇の女房の藤原兼子が権勢を誇り、朝廷に仕えていた慈円は、政策を決める(入眼)のは女性だと経験上知ってた?

  • 一条兼良

室町時代に関白だった一条兼良は「樵談治要(しょうだんちよう)」で、この日本は姫氏国(きしこく)で、天照大神は陰神。神功皇后は中興の女王、聖徳太子が摂政した推古天皇も女で、皇極・持統・元明・元正・孝謙の五代も皆女で政をおさめ給へり」。「鎌倉二代将軍の母の政子は承久のみだれの時も諸大名に廻文をまわして世を治めた。されば男女によらず政道の事は力を合わせ給はん事、わづらひ有べからずと覚侍り」。

中世社会は、女性が親の言うなりに結婚しない自由も、社会や政治に両性が参加することを当然視することも残っていた。

平安時代の藤原氏の摂関政治。藤原氏の娘たちは入内し、天皇の子ども(男子)を生み、幼帝の母后になり、実家の父や兄弟を摂関にする役割を担う。さらに天皇が退位すると母后として「院」を名乗った。(女院制)。摂政・関白の姉妹としての立場に母后の権力。尼の立場で壮大な荘園を所有し、富豪として気ままに暮らしていた。財産をバックに男たちの庇護をしたり匿ったりして政争に関係した。平氏や源氏の棟梁は、女院の御所勤めをしていたケースが多く、朝廷の「消息筋」として武家政権成立に一役買った。

また、中流階級の娘が「女房」として宮中に仕え、上皇の側近として、政治的な案件を取り扱い人事を掌握した。官房長官みたいだね。

慈円の「人の生命は母の腹に宿ってでてくる。母は苦しみを受けて人を生み出す。女性は母となるから尊く、母となって権力を持ち得る」。母后執政論と言われている。日本の三大悪女は、北条政子、日野富子、淀殿である。政治に関与し華々しい活躍をしたばかりに「悪女」にしたのは、後の時代のこと。

 

まず、鎌倉時代の女性を代表して、北条政子を簡単に紹介する。

北条政子

  • 北条政子像 肖像画はみつかっていない

まず、北条政子。伊豆の豪族、北条時政の長女で、実母が亡くなってから兄弟姉妹たちの世話をよくする面倒見のいい女性だったが、20歳を過ぎた頃に、伊豆に流されてきた源頼朝と恋愛をし、父時政の猛反対を押し切り、子どもをもうける。頼朝は女好きで、政子が妊娠をするたびに、女性問題を起こした。政子は正妻が妾に対して「後妻打ち(うわなりうち)」という制裁を加えるということがあると聞き、頼朝の愛妾の亀の前が匿われていた屋敷を襲撃し、家屋・家財道具を徹底的に破壊した。

  • 歌川広重 「往古うはなり打の図」 箒やすりこ木など日用道具を持って争った。政子の場合はこの程度でなく、もっと過激

気性の激しさは、政子を「怖い女」と印象づけたが、母としては政争のなかで子どもを心配しつらい人生を送るはめになった。

長女大姫(おおひめ)は、義仲の息子吉高と政略結婚をさせられたが、義仲の没落で義高は頼朝の命で殺され、大姫は病になり、20歳で衰弱死。

長男の二代将軍頼家は、乳母を信頼し、北条氏追放を計画していたとして、伊豆修善寺に流され23歳で暗殺されてしまう。次男実朝は、政子の妹が乳母となり、3代将軍となったが、京風の文化を好み、妻も京都の女性を選んだ。1219年に右大臣となり鶴岡八幡宮に詣でたときに、頼家の息子の公暁(くぎょう・政子の孫)に暗殺。公暁も殺される。夫の頼朝も1199年に落馬が原因で亡くなっており、残された家族は弟の義時と孫(頼家の娘)だけ。

  • 北条政子の家系図

次々と家族を失いながらも、「後家」として頼朝と暮らした「大御所」に住み続け、頼朝の遺志を継ぐべく、政治力を発揮する。その存在感をいちばん発揮したのは、1221年の承久の乱のとき。実朝が暗殺されて、京都の後鳥羽上皇が北条をつぶすチャンスと、義時追放の院宣(いんぜん)をだした。朝廷と戦うことに逡巡する御家人を前にして、政子は「頼朝公の御恩を忘れたのか」と一世一代の大演説を打つ。「皆、心を一つにしてうけたまわるべし。これ最後の言葉なり。源氏3代の恩は山より高く、海より深い。3代が残した鎌倉を守りなさい。」。この叱咤激励に御家人たちは涙を流し、政子に従った。それは、普段から御家人が名実共に政子の政治力を認めていたということではないか。

悪女でなく守護神・政子

  • 北条政子像 政子が自分で彫ったと伝えられている

実朝の死から6年半、政子は亡くなるまで「二位殿御時(にいどのおんとき)」と呼ばれ、後の「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」は、将軍の御下知(命令)とともに二位殿の御下知を守るべきものと成文化された。政子は実質的な鎌倉幕府4代目将軍。義時と連携して政治にあたったが、カリスマ性は政子が圧倒的。頼朝の御台所(みだいどころ・妻)であったときも、後家として政治に関わるようになったときも、戦乱などで寄る辺のない女性や子どもの庇護者となり救済活動を行っている。困窮していた義仲の妹の宮菊姫を養女にしたり、義経の愛人の静御前に対してもさまざまな配慮をし、静御前が義経の子を生んだ時も、殺さないように頼朝に嘆願している。

激しい気性の持ち主だったかも知れないが、それは度胸があるということ。なかなかの人情家。悪女ではない。69歳で亡くなった。

 

鎌倉時代の武家政権によって立法された「鎌倉幕府法(御成敗式目など)」は、武士を対象とした法なのに、貴族や寺社、庶民にも適用されて社会全体に浸透していった。鎌倉幕府は「地頭」(武士身分)を創設し、警察、徴税も任されていた。中世の農民は、年貢だけでなく、公事(くじ・主に夫役労働)も押し付けられていた。

農民が納税や夫役の義務を怠ることは禁止だけで、処罰は必ずしも成文化されていないが、地頭は戸主である本人だけでなく、家族に対しても口頭とか訴状で恫喝する。

鎌倉後期、紀伊国で地頭が吐いた言葉。「おまえたち、麦を蒔け(公事にあたる)という私の命令に従わないのなら、お前たちの妻どもを獄舎に閉じ込め、耳を切り、鼻をそぎ、髪を切って尼にしてしまうぞ」。

夫が殺人や窃盗をした場合は、本人の処罰だけにとどめ、イエを潰さないが、税金の未納は大罪で、女性をこのような刑罰を課すことは日常的にあったらしい。はたしてその地頭の課税が正当なものだったかどうか?はわからないが、女性はイエに付属するモノ扱い。

武士層では結婚(妻妾とも)によって妻妾は夫から所領を所有することができる(御成敗式目18~24条)。これは妻の家政権や納税の対価を認めていることであり、離婚したら、妻妾側に重罪がない場合はそのまま所領を継承・保有できた。後家になれば尼となり仏事に励むべきで、すぐに再婚するなら所領は夫の子息に譲ることもきめられている。

 

性の管理と支配のはじまり

  • 御成敗式目 写本

御成敗式目34条「道路の辻において女を捕らふることの禁止」。女を捕えることは強姦とし、違反者は御家人なら100日の停職。郎従以下の一般武士なら頭髪を半分だけ剃る」。

中世の「辻」は、さまざまな縁を切ることができる特別の空間で、逃げ込めば下人なら主人との縁を切ることができるし、「辻取り」でそこで自由結婚をすることもできた空間。この自由結婚を幕府は男が女を自由に捕える行為と決めつけて、未婚の女性を支配しようとした。また、同じ34条「人妻と密懐(びっかい・密通)することの禁止」。これは9世紀から10世紀に、単婚が成立すると夫以外の男性と性関係をもつこと(不倫)が禁止になり、鎌倉時代に成文化したもの。成文化しなくとも武家社会では、夫は密通の現場を家の中でとらえれば奸夫を殺害することが許されていた。この時代は密通した妻に対する制裁はない。

  • 藤原定家 

     
  • 国宝「明月記」断簡 定家筆

藤原定家「明月記」によれば、源雅行は息子と藤原氏の妻で尼となっていた娘の密通を知り、家の中で青侍(若い侍)に命じ殺させ、六条朱雀に遺骸を裸にして遺棄したという。雅行は朝廷から殺人罪として所領没収、出仕停止、洛中から追放して決着した。武家の子どもの性愛を管理する夫権と父の成敗権が公卿にも及んでいた。

不義密通は江戸時代に厳しく禁じられる。その対象は妻であり死をもって償わなければならないとされた。そのルーツが鎌倉幕府法。

公文書偽造は死罪に次ぐ重罪

女性史から外れるが、御成敗式目が成立したのが1232年。それまで公家の法律であった律令を武士の習慣や慣習に合わせて作った。江戸時代まで武士の法律の手本とされました。

習志野市の公文書偽造のびっくりニュース、公文書偽造に対する罰が戒告と給料カットが1か月だけ10分の1?、車の一旦停止見逃しで警官に止められて罰金を払うくらい並み? なぜこんなに軽い処分なんだろう? こりゃ組織ぐるみでこのような偽造、隠蔽などの不正な文書管理が横行しているのだと私は思った。

習志野市役所公文書偽造事件、でもほとんど処分なし!宮本市長に市民から抗議殺到 - 住みたい習志野

ほぼ800年前ではこのような犯罪はどのように裁かれていたのだろう。御成敗式目第15条 謀書(文書の偽造)は所領没収。所領没収がない場合は流罪。流罪は3種あり近流(こんる)、中流(ちゅうる)、遠流(おんる)のうち、遠流に処せられる。遠流の流刑地は伊豆、佐渡、隠岐、土佐など。遠流は死罪に次ぐ重罪。

ちなみに凡下(一般庶民)の私文書偽造は、関わった者は顔面に焼印を押された。

公文書偽造は重罪。懲戒免職が妥当だろう。市長が偽造を認めているのにこのままで済ますなら、市民が市長失格の烙印を押して市長の座から追放しよう。抗議の声を市役所に。(総務部人事課 電話047-453-9216 FAX047-453-1547)

  • 御成敗式目を制定した北条泰時と宮本たいすけ習志野市長

次回は室町から戦国にかけて、3大悪女はあと2人。日野富子と淀殿。女性は政治権力を目ざさなくても、表舞台にでてしまうと「悪女」呼ばわり。女の活躍を認めたくないか、男の失政や悪事の責任転嫁のためか?(koki)

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2023年ドイツ軍人慰霊祭、11... | トップ | 大型トレーラーが炎上 「こ... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2023-10-26 10:55:31
江東区長辞任
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。