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5日に亡くなった世界的デザイナー、三宅一生氏。その被爆体験

2022-08-10 08:17:59 | オスプレイ、安保、平和

【世界的デザイナー逝く】三宅一生氏今月5日に死去…晩年被爆体験明かす

広島市出身の世界的デザイナー三宅一生さんが今月5日がんで亡くなっていたことが分かった。84歳。「イッセイミヤケ」ブランドで知られ、2009年、アメリカの新聞に自らの被爆体験を寄稿。被爆者であることを明かしオバマ大統領の広島訪問を呼び掛けた。

(生前の読売新聞のインタビュー記事より)

三宅一生さん「ピカドンデザイナー」と呼ばれたくなかった…生前に明かした被爆体験

三宅一生さん「ピカドンデザイナー」と呼ばれたくなかった…生前に明かした被爆体験

三宅一生さん「ピカドンデザイナー」と呼ばれたくなかった…生前に明かした被爆体験

世界的ファッションデザイナーの三宅一生さんが8月5日に亡くなった。84歳だった。三宅さんは被爆70年を迎えた2015年に自身の被爆体験を読売新聞に語っていた。そ...

読売新聞オンライン

 

原爆の話はしないと決めていました

 原爆の話はしないと決めていました。「ピカドンデザイナー」なんて呼ばれたくなかった。原爆を言い訳にしたら情けないと思ったから。

でも今、僕みたいな被爆の症状もある人間が話したら、少しは世の中が違ってくるのかもしれない。

広島に原爆が投下された70年前の8月6日。僕は小学1年生でした。朝礼が終わって教室に入ったら突然、ドーンときた。衝撃で割れた窓ガラスの破片が頭に刺さって。びっくりしてね。

 母のいる自宅は爆心地から2・3キロ。「うちに行きたい」と疎開先の家の人に言ったら、乾パンをたくさん持たせてくれた。ひとりで母を捜しに向かいました。母は半身にやけどを負っていました。

 高校の時に通った平和大橋。欄干はイサム・ノグチさんのデザインでした。これがデザインなんだ。自分に才能があるかわからないけど、やってみよう。力をもらいました

「平和大橋」に感銘、デザイン界へ導かれ

 あの日、僕は広島市の隣、府中町に疎開していました。その日のうちに、母を捜しにひとりで市内へと向かいました。人々がおりかさなって焼け、水を求め小川に集まっている。半身を負傷した母に会えたのは、翌日。治療を受けている場所を聞いて、会いに行きました。

 「長男なんだから、安全な田舎に行きなさい」。母は私を見るとすぐに、そう言いました。僕を生き残らせるためでしょう。母は、気の強い、しっかりした人でした。近所の人や親戚からも慕われていました。

 被爆の影響で、4年生のときに骨膜炎を発症しました。この病気で亡くなる人もいましたが、ペニシリンのおかげで助かりました。看病してくれた母は、僕の病状が良くなって間もなく、亡くなりました。

 爆心地近くに架けられた平和大橋。県立広島国泰寺高校に進み、通学の電車から見て、絵画教室に通う時には自転車で渡りました。欄干はイサム・ノグチさんのデザインで、独特の世界がある。こんな風にシンプルに表現できるなんてすごい。彼はヒーローでした。
 これがデザインなんだ。自分に才能があるかわからないけど、やってみよう。力をもらいました。
 先輩たちが、イサム・ノグチという人がいることを教えてくれて、デザインの世界への扉を開いてくれた。デザインを学びたい。服飾の学校に行こうか悩んだ末、東京の多摩美術大学に進みました。先輩たちは進路の相談にも乗ってくれたのですが、その後、原爆症で亡くなってしまいました。
 自分も長くは生きられないだろうから、30歳か40歳までにできることをやろう。原爆を言い訳にしない。そう心に決めました。

一人一人がどう生きていくかを問い直す時代

 広島だけでなく、福島では原発事故で悲惨な思いをした人たちがいる。世界はこれからどうなっていくのか。吉永小百合さんは原爆詩を読み続けていて、本当に素晴らしい。僕もやむにやまれぬ気持ちで、2009年にオバマ大統領に広島訪問を呼びかける手紙を書いた。有名無名関係なく、発言されている方はすごい。一人一人がどう生きていくかを問い直す時代なのです。

 

(2009年7月「ニューヨークタイムズ」紙に掲載された三宅さんの書簡)

原爆は人間への失望に根拠を与えた犯罪 
三宅一生氏の英文書簡と日本語原文

閃光の記憶  

本年4月、オバマ米大統領がプラハで行った演説のなかで、核兵器のない世界を目指すと約束されたことは、私が心の奥深くに埋もれさせていたもの、今日に至るまで自ら語ろうとはしてこなかったものを、突き動かしました。

大統領の演説は、私も「閃光」を経験した一人として発言すべきであるということ、自身の道義的な責任ということを、かつてなく重く受け止めるきっかけとなりました。

1945年8月6日、私の故郷の広島に原爆が投下されました。当時、私は7歳。目を閉じれば今も、想像を絶する光景が浮かびます。炸裂した真っ赤な光、直後にわき上がった黒い雲、逃げまどう人々・・・。すべて覚えています。母はそれから3年もたたないうち、被爆の影響で亡くなりました。

私はこれまで、その日のことをあえて自分から話そうとはしてきませんでした。むしろ、それは後ろへ追いやり、壊すのではなくつくることへ、美や喜びを喚起してくれるものへ、目を向けようとしてきました。衣服デザインの道を志すようになったのも、この経験があったからかもしれません。デザインはモダンで、人々に希望と喜びを届けるものだからです。

服づくりのしごとを始めてからも、「原爆を経験したデザイナー」と安易にくくられてしまうことを避けようと、広島について聞かれることにはずっと抵抗がありました。

しかし今こそ、核兵器廃絶への声を一つに集める時だと思います。広島市内では現在、8月6日の平和祈念式へオバマ大統領をご招待したいという市民たちの声が高まっています。私もその日が来るのを心から願っています。

それは、過去にこだわっているからではありません。そうではなく、未来の核戦争の芽を摘むことが大統領の目標である、と世界中に伝えるには、それが、最上の方策と思うからです。
 
先週、ロシアと米国が核兵器の削減で合意しました。非常に重要なひとつのステップです。ただ、楽観してばかりもいられません。一個人の力、一国の力だけでは核戦争を止めることは不可能です。他にも、核のテクノロジーを手に入れている国々があると聞いています。世界中の人々が声をあげて、平和への望みを表明しなければなりません。

オバマ大統領が、広島の平和大橋(彫刻家イサム・ノグチが自身の東西のきずなへの証しとして、さらに人類が憎しみから行ったことを忘れないための証しとして、デザインした橋)を渡る時、それは核の脅威のない世界への、現実的でシンボリックな第一歩となることでしょう。そこから踏み出されるすべての歩みが、世界平和への着実な一歩となっていくと信じています。

(英語バージョン)

A Flash of Memory

By ISSEY MIYAKE
Published: July 13, 2009
Tokyo

IN April, President Obama pledged to seek peace and security in a world without nuclear weapons. He called for not simply a reduction, but elimination. His words awakened something buried deeply within me, something about which I have until now been reluctant to discuss.
I realized that I have, perhaps now more than ever, a personal and moral responsibility to speak out as one who survived what Mr. Obama called the “flash of light.”
On Aug. 6, 1945, the first atomic bomb was dropped on my hometown, Hiroshima. I was there, and only 7 years old. When I close my eyes, I still see things no one should ever experience: a bright red light, the black cloud soon after, people running in every direction trying desperately to escape — I remember it all. Within three years, my mother died from radiation exposure.
I have never chosen to share my memories or thoughts of that day. I have tried, albeit unsuccessfully, to put them behind me, preferring to think of things that can be created, not destroyed, and that bring beauty and joy. I gravitated toward the field of clothing design, partly because it is a creative format that is modern and optimistic.
I tried never to be defined by my past. I did not want to be labeled “the designer who survived the atomic bomb,” and therefore I have always avoided questions about Hiroshima. They made me uncomfortable.
But now I realize it is a subject that must be discussed if we are ever to rid the world of nuclear weapons. There is a movement in Hiroshima to invite Mr. Obama to Universal Peace Day on Aug. 6 — the annual commemoration of that fateful day. I hope he will accept. My wish is motivated by a desire not to dwell on the past, but rather to give a sign to the world that the American president’s goal is to work to eliminate nuclear wars in the future.
Last week, Russia and the United States signed an agreement to reduce nuclear arms. This was an important event. However, we are not naïve: no one person or country can stop nuclear warfare. In Japan, we live with the constant threat from our nuclear-armed neighbor North Korea. There are reports of other countries acquiring nuclear technology, too. For there to be any hope of peace, people around the world must add their voices to President Obama’s.
If Mr. Obama could walk across the Peace Bridge in Hiroshima — whose balustrades were designed by the Japanese-American sculptor Isamu Noguchi as a reminder both of his ties to East and West and of what humans do to one another out of hatred — it would be both a real and a symbolic step toward creating a world that knows no fear of nuclear threat. Every step taken is another step closer to world peace.


Issey Miyake is a clothing designer. This article was translated by members of his staff from the Japanese.

三宅さん、奇しくも原爆投下の日(8月6日)の前日、5日にお亡くなりになりました。

「いっせい」は通称で、本名は「かずなる」とお読みするそうです。

ご冥福をお祈りします。

 

 

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