住みたい習志野

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戦前、日本人は中国を敵と見ていたか?(投稿)

2022-08-11 21:50:56 | 歴史

今「台湾有事」が問題になっていますが、台湾と日本の関係について、「ドイツ兵士の見たニッポン」(習志野ドイツ人捕虜収容所に関する基本文献)を執筆されたHさんから以下の投稿をいただきました。

戦前、日本人は中国を敵と見ていたか?

 

太平洋戦争中、東京には「中華民国大使館」があったし、日本と中華民国は敵ではなかった

太平洋戦争中、東京には「中華民国大使館」が存在しました(場所は現在の外務省飯倉公館)。“傀儡政権”とされる汪兆銘政権の大使がいたのです。

盧溝橋事件に始まった衝突において宣戦布告は行われず、中華民国との国交は断絶していませんでした。日本と中華民国は敵ではなかった。だから横浜や神戸の中国人も、押上のラーメン屋の王貞治さん一家も、別に強制収容所に送られたわけではない。アメリカで、日系人が強制収容所に入れられてしまったのとは対照的ですね。

「アンネの日記」のように、ゲシュタポの目を逃れて本棚の裏に隠れ住んでいた、などということも決してありませんでした。

(5番目のニュース 初代駐日中国大使着任)

ニュース映像 第36号|NHK 戦争証言アーカイブス

ニュース映像 第36号|NHK 戦争証言アーカイブス

NHKでは、戦争体験者の証言を中心に後世に戦争の実相を伝えていくために「戦争証言アーカイブス」を公開しています。

NHK戦争証言アーカイブス

 

ちなみに、王貞治さんは今の台湾とは何の関係もないそうです。

王貞治さんは中国人なの?台湾人なの?日本人なの? | 台湾で牛肉麺を喰らわない

王貞治さんは中華民国籍である。かつて中国大陸の政権与党は中国国民党であり、国号を中華民国としていた。中国国民党は第二次世界大戦後に中国共産党との覇権争いに敗れて中国大陸を脱出し、台湾・台北に事実上首都を遷すが、1971年には国連を脱退し、日本を含めた国際社会の多くの国々から国家承認を取り消された。

王は現在で日本や中華人民共和国ではなく中華民国籍である。

王を「台湾人」と誤って表現されることがあるが、これは国籍上中華民国籍であることに加えて台湾」「中華民国」が混同されがちであることが誤解の理由である。実際に王家の祖籍は中華人民共和国実効支配下の浙江省であり、台湾島とのゆかりは全くない

海外メディアから「あなたは日本人ですか?」と質問された王は、「父は中国人だが、母は日本人です。私は生まれたときより日本で育ち、日本の教育を受け、日本のプロ野球人として人生を送ってきました。疑うことなく日本人です」と答えている。

当時の日本人は「中華民国と戦争している」という意識ではなく、「中華民国(汪兆銘政権)」と蒋介石軍・共産党ゲリラとの「内戦」に介入しているつもりだった?

当時の日本人は中華民国と戦争しているという意識は持っていなかった。地方政権に転落した蒋介石(アフガニスタンの首都カブールを追われたタリバン、みたいなもの)、そして「共匪」(共産党ゲリラのこと)と戦っているつもりでいた。汪兆銘政権対これらの反政府勢力の「内戦」に介入しているつもりでいた。ちょうどアメリカが、南北ベトナムの内戦に介入したら足が抜けなくなったのと同じ構図だったわけです。

偽造文書「田中上奏文」というものまでが出回り、戦争の全容がわかりにくくなってしまった
 そして、「田中上奏文」という、出所が良くわからない、反日感情をあおるプロパガンダのための偽造文書まで出回った。

田中上奏文 - Wikipedia

「田中上奏文(たなかじょうそうぶん)は、昭和初期にアメリカ合衆国で英語で初出され、中国を中心に反日感情の推奨を目的として捏造・流布されたプロパガンダのための偽書、偽造文書

この偽造文書は、The Battle of China(中国の戦闘)というアメリカのプロパガンダ映画にも使われています。

こうしたプロパガンダが独り歩きし、日華事変(日中戦争)の全容がよくわからなくなってしまった、とも言えるようです。

この映画について、Wikipediaには以下の説明がなされています。

『ザ・バトル・オブ・チャイナ』(The Battle of China, 「中国の戦闘」の意)は、フランク・キャプラが監督したプロパガンダ映画『我々はなぜ戦うのか』シリーズの6作目である。1944年にアメリカで、一般に劇場公開された。数人の評論家から問題点(内容に誇張が多い・中国人自身の問題に全く触れていない)を指摘されたことにより、一時的に回収されたが再度上映され、戦争終結までに約400万人が観ることになった。スタンフォード大学歴史学部長のデビッド・ケネディは南京大虐殺は反日プロパガンダの中核となり、この映画はその顕著な一例であるとしている。

蒋介石軍の大陸反攻計画を支援した旧日本軍将校たちと旧ドイツ軍将校たち

台湾海峡が緊迫していますが、昔「白団(パイダン)」という、蒋介石を支援する旧日本軍将校の組織があったのをご存知でしょうか?

白団 - Wikipedia

 陸軍少将・富田直亮(中国名:白鴻亮)を団長に83名にのぼる旧日本軍将校が秘密裏に台湾に渡り、中国共産党軍の台湾上陸を阻止するために蒋介石に協力した、というお話。

こんなドキュメンタリー映画にもなっています。

そして、旧日本軍ばかりでなく、西ドイツからも「明徳小組(Ming-teh-Gruppe)」という、旧ドイツ国防軍将校らによる軍事顧問団が参加していたということを最近知りました。

そもそも蒋介石はナチス・ドイツにあこがれており、ファルケンハウゼンにそそのかされて第二次上海事変を起した、という講演を以前したことがあります。
https://jdg-chiba.com/about/pdf/kouennroku_4.pdf

以下はその一部です。

昭和8年(1933)、ナチス政権が誕生しますが、ゼークト将軍は上海に招かれ、蒋介石の上級顧問となります。ドイツ製武器を装備した中国軍20個師団を新編し、上海周辺に外敵を迎え撃つ強固な防衛線、これを通称「ゼークト・ライン」といいますが、これを建設する計画が始められます。外敵というのは、当然日本を想定しているわけですが、ゼークトは昭和10年(1935)に病気で帰国します。彼は蒋介石に対し、国共内戦を止めて日本一国だけを敵とし、日本への敵愾心を養うことこそが肝要だと提言していました。
ゼークトから軍事顧問団を引き継いだのは、アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンという軍人でした。

彼は大正3年(1914)、日独戦争が起った時は、東京駐在のドイツ武官でした。目の前で青島の喪失という屈辱を味わっていたので、日本に対しては、いつの日か青島の復讐をしてやる、という固い意志を持っていたといいます。
昭和10年(1935)8月、このファルケンハウゼンが蒋介石に「対日戦略案」というものを提出します。その中で、日本が中国を攻撃すれば必ず英米と対立し、またソ連への防備が必要になる。日本にそのような、多面的国際戦争を長期に遂行できる能力はない。そこで中国が対日戦争に踏み切るとすれば、まず上海と漢口にいる日本軍を奇襲先制し、主導権を握った上で長期戦に持ち込み、できるだけ多くの外国に介入させれば日本は必ず敗北する、と、まったくその後の歴史を予言したようなことを主張しています。そして盛んに、だから今の内に対日先制攻撃に踏み切るべきであると、この戦略案の中で煽り立てているのです。

(編集部より)

ファルケンハウゼンが日本への復讐を誓った「青島(チンタオ)」の闘い。この戦闘に敗れたドイツ兵捕虜が習志野の捕虜収容所に収容されていた、という話はご存じの方も多いと思います。

8月2日にはアメリカのペロシ議長が米軍機と空母に守られながら台湾へ飛行機で飛び、中国政府のみならず、国際社会が、この危険な「戦争挑発」を非難しています。

「台湾有事」になれば日本が戦場になる、と言われる今、改めて日本と台湾の関係を考えるきっかけになる貴重な投稿でした。

 

 

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ユダヤ人思想家ハンナ・アーレントの本、「人間の条件」を習志野市民が読み解く

2022-08-11 07:58:38 | 市民の声

(習志野市民、「あらかん」さんが、ユダヤ人思想家ハンナ・アーレントの著作「人間の条件」について書いた文章があります。ちょっとむずかしいけど、面白い内容ですので、一部ご紹介します。)

人間の条件①ヘビースモーカー

https://ameblo.jp/arakanganbaru/page-4.html

アーレントは「全体主義の起源」が断然おもしろい。人に薦めたら、けっこう好評。19世紀の秩序が解体して、20世紀に全体主義が現われる。反ユダヤ主義との関連が特に面白い。

そして、「人間の条件」

英語版ではないドイツ語版では「活動的生活(vita activa)という別名がつけられている。 この本のコンセプト。

アーレントは人間の活動力を3つに概念化した。労働(labor)、仕事(work)、活動(action)。それプラス思考(thought)ともう一つあるが、とりあえず3つの活動力について、いろいろ分析している。

今回は、アーレントの写真を紹介。考えて考え抜く人だったみたいです。それに、かなりのヘビースモーカー。残っている写真は片手タバコ…が多いです。もてない女の典型と思うかもしれないけど、ハイデガーとのメロドラマみたいなハナシもあるし、アメリカに住むようになってからも、2~3人の男からプロポーズされたみたいです。

人間の条件②労働と仕事

https://ameblo.jp/arakanganbaru/page-3.html

そんな人にアレントの考えた人間の活動の3つのカテゴリーの一番目、「労働」を紹介しよう。

労働してお金を稼ぎ、必要なものを購入して、それを消費することによって、私たちは生き続けることができる。だから、労働の人間的条件は生命それ自体である。

人間の活動その②は、「仕事」

はぁ~? 仕事も労働も同じでしょと思ってしまうが、西欧では、この二つは別物だと考えられてきたし、アレントは「仕事」をこのように定義する。

人間存在の非日常性に対する営み。…仕事はすべての自然環境と際立って異なる物の人工的世界を創り出す。…仕事の人間の条件は世界性である。

めんどっちいけど、わからないことは考えて自分で解釈をしてみよう。

生産物の違いに注目すれば、労働の生産物は消費財 仕事の生産物は使用対象物。 アレントは労働を台所、仕事をタイプライターと例えたよ。台所でつくられた食事は、すぐに食べられてしまって、また次の食事を作るというように循環する。一方、タイプライターで作品を書けば、それが時や空間を超えて読み継がれる。仕事の生産物には耐久性があり、労働のような生命の自然過程から外れた行為によって人工的な世界をつくる。

私は、野菜を作ってるし、手作りで服とか棚などを作るから、労働も仕事もやってるね。 家を出て賃仕事で稼いでなくても、何か役に立つものを製作したり、有用性がなくても芸術作品を生み出すのも「仕事」。それが仕事の世界性。

彼女はマルクスが西欧近代政治を覆した功績を評価し、これからの社会が労働者社会であることを理解しつつも、マルクスの労働思想を批判せずにはいられなかった。

彼女は、人間の活動における労働の概念が拡大し、仕事や活動が占めるべき領域まで侵犯してくるのに危機感を感じていた。

それは、全体主義の出現へと結びつくと、最終章で述べている。

人間の条件③アーレントの生きた時代

ハンナ・アーレントは、1906年にドイツで生まれた。両親ともにユダヤ人で、父は電気技師の中産階級。両親はユダヤ教を信仰してなくて、社会民主主義者であった。子どもの頃は政治には無関心だったという。

父は8歳の時に死亡。

母の教えで、反ユダヤ主義の教師の授業はボイコットし、退学処分になったというが、12歳でロシア革命。13歳で長引いていた第一次大戦が終り、皇帝退位、ドイツ共和国成立。スパルタクス団蜂起の共産主義革命、ローザ・ルクセンブルク殺害を経て、ワイマール憲法施行…という時代。

ハンナ・アーレントは14歳で、哲学に目覚め、大学の聴講生になった。

大学時代のアレント

17歳で、マールブルク大学、その後、20歳でフライブルク大学、ハイデルベルク大学でも聴講。哲学と神学、社会学などを学んだ。政治的問題への関心を高めるようになる。

マールブルク大学の師で恋愛関係にあったハイデガーは、後にナチ党員になる。

ハイデルベルク大学の師である、ヤスパースは、妻がユダヤ人だったため、教授の職から追われる。

 

そのころ、ソ連はスターリン時代。23歳でシュテルンと結婚してからも、反ナチ活動でゲシュタポに逮捕されて拘留されたりしている。

シュテルンとアーレント

 

ヒットラーが政権を取る前に、母親とフランスに亡命。ユダヤ人のパレスチナ移住支援に参加。夫シュテルンは入ヨークに去り、離婚。第二次大戦勃発。

25歳でハインリヒ・ブリュッヒャーと再婚。

フランス政府がドイツ人を集めた収容所に送られたが、パリ陥落で、収容所を脱出する。 友人のベンヤミンは逃げとおせることができなくてモルヒネで自殺する(他殺説も)。

ローザ・ルクセンブルクとハンナ・アーレント。ドイツの伝記映画があります。

人間の条件④活動

ハンナ・アーレントの考える人間の条件、労働、仕事につづき、活動? 活動ってなんだ?

活動って、生命を維持するための労働、作品を製作するための仕事ではない、一言でいえば、人と人の交流を行うこと。

この活動のモデルは古代ギリシャ、アテネのポリス。

ポリスは、家庭という私的な領域からでて、公共的な領域で、対等な立場で、他人を言葉で説得する。それを活動と呼んだ。

それじゃ、アレントが目指した活動という公的領域は、今日どのように復権できるのだろうか?

今日の日本では、議会制民主主義の行き詰まりだけでく、自治会とかPTAでの活動。そのような場でも、経験の長い人物が威張っていたり、勇気をもって発言しても、ちゃんとした議論にならなかったり…、ユニークな発言を嘲笑するような雰囲気があったり、なにより公開の場なのに、もう事前に閉ざされた場で決定されていることも多い。公共という場が不在なのだ。

人々が自由に発言し、認め合いながら、問題解決を図る。そうでなきゃ、無関心で中立的な大衆の一員として、あっという間に全体主義に巻き込まれる。政治権力によって事実が歪曲、隠蔽される。大学や司法の独立性すら疑わしい。日本も少なからずそんな状況であることは間違いない。

この夏、ハンナ・アーレントの世界を体験してみてください。

1975年 ニューヨークの自宅で心臓発作で死去。 享年69歳

 戦争の世紀を生きた。

 

 

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第2次岸田改造内閣。新たに7人が統一教会との関係を認め、結局「統一教会内閣」

2022-08-11 00:45:31 | 国政、県政

(毎日新聞の記事より)

第2次岸田改造内閣が発足 「旧統一教会と関係」閣僚に7人

(毎日新聞の記事)

第2次岸田改造内閣が発足 「旧統一教会と関係」閣僚に7人(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 岸田文雄首相は10日、19閣僚のうち14人を交代させ、第2次岸田改造内閣を発足させた。

 内閣改造で、宗教団体・世界平和統一家庭連合(旧統一教会)や関連団体との関わりを認めた7人は交代したが、第2次改造内閣では新たに、加藤氏、高市氏、林芳正外相(61)=岸田派、山際大志郎経済再生担当相(53)=麻生派、寺田稔総務相(64)=岸田派、西村明宏環境相(62)=安倍派、岡田直樹地方創生担当相(60)=安倍派=の7人が関係を認めた。

高市氏、旧統一教会系の月刊誌で対談 「関わり知らず」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

(日刊ゲンダイDIGITALの記事)

萩生田氏は“閣外逃亡”で旧統一教会癒着の追及逃れ 経産大臣続投希望はとんだ茶番だった(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

(東日本放送)

第2次岸田内閣 7閣僚 旧統一教会との関係認める | khb東日本放送

(日テレNEWS)

 

(千葉2区選出の小林鷹之経済安全保障担当大臣も統一教会との関連を認め、大臣は高市氏に代わった)

(ABEMAニュースショーより)

霊感商法・献金…旧統一教会が資金集めに奔走する理由「霊感商法は日本だけ。稼ぐための国」

霊感商法は、「勝共連合」の資金作りのため

統一教会の関連組織「勝共連合」をつくったのは、岸信介(安倍元首相の祖父)、笹川良一、児玉誉士夫の3人で「右翼のドン」と言われていた。3人とも「A級戦犯」としてつかまっていた。

「戦後、共産主義をおさえるために、この3人は役に立つ」と、アメリカが釈放した。

これが、統一教会が日本で「勝共連合」をつくることに結びついた。

しかし、笹川氏は考え方の違いがあり、児玉氏も「ロッキード事件」で力を失い、離れて行った。しかし、この2人はお金を集める力を持っていた。

この2人が1970年代に「勝共連合」から手を引き、お金が無くなった。

そのため統一教会の信者が霊感商法をやったり、巨額の献金を行い、いろいろ事件を起こした。

日本会議、創価学会、統一教会の3つは共産主義と闘う団体。対「共産党」ということでは、それぞれが自分の役割を果たしながら自民党を助ける、という構造になっていた。

集めたお金は「勝共連合」の政治運動に使われた

「勝共連合」や「勝共連合」系の平和運動、と称する政治運動に使われた。大学では「世界平和教授アカデミー」という組織があって、ここがいろいろイベントをやったり、学者にお金を出して留学させる、とかの資金源に統一教会がなった。

霊感商法をやったのは日本だけ

霊感商法は、統一教会の教義とは違う。世界の統一教会グループを日本の金で支える、という位置づけになっていた。日本が、今と違って経済的に豊かだったから。

日本の「先祖の因縁が不幸をもたらす」という考え方を利用し、「壺や数珠を買えば解決する」と、いろいろなテクニックを使ってやった。

(以上、ABEMAニュースショーより)

「日本をぶっこわし」てきた、自民党とカルト宗教による「異様な」政治

 フィンランドなど海外ではとっくの昔に「自分で考え、判断する力」を育てる教育に切り替わったが、日本ではこれと逆。何十年も前と同じ「自分で考えない。お上や上の者に従う」という教育がずっと行われてきたため、世界からも取り残されてしまった。

 一方、自民党と勝共連合(統一教会)など右翼団体が連携して「新しい歴史教科書をつくる」運動をやったり、安保法制、秘密保護法など「戦争法制」を整備し、改憲で「戦争できる国」にしようとする動きを強めてきた。その運動の資金を統一教会など宗教団体が出し、山上容疑者のような家庭をたくさん生み出してきた。

 そんな政治が続き、モリカケ、桜を見る会、文書改ざん、河井 案里夫妻の不正選挙に1億5千万円、国会で118回もの「虚偽答弁」を繰り返す首相、など「何でもあり」の「化け物のような日本」に作り変えられてしまった。

 「日本をとりもどす=日本をぶっこわす」新自由主義、アベノミクスでとことん生活が破壊され、非正規・低賃金で「食っていけない」「結婚もできない」「子どもも作れない」社会にされてしまった。

「ジョーカーは何に絶望したのか」境遇重ねた山上容疑者、SNS空間でも「孤立」

 自民党とカルト宗教が手を組んだ選挙で、長い間国会の多数を維持し、「日本をぶっこわし」てきた「異様な」政治。民衆の生活苦をよそに、国葬に37億円も使おうとするおかしな政治。

 こうした「異形(いぎょう)の社会」が作られてきた背景に「異形の」カルト宗教があった。この事実が誰の目にも明らかになった今、こんな政治にはもう耐えられない、と多くの国民が思っているんじゃないでしょうか。

 

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