今「台湾有事」が問題になっていますが、台湾と日本の関係について、「ドイツ兵士の見たニッポン」(習志野ドイツ人捕虜収容所に関する基本文献)を執筆されたHさんから以下の投稿をいただきました。
戦前、日本人は中国を敵と見ていたか?
太平洋戦争中、東京には「中華民国大使館」があったし、日本と中華民国は敵ではなかった
太平洋戦争中、東京には「中華民国大使館」が存在しました(場所は現在の外務省飯倉公館)。“傀儡政権”とされる汪兆銘政権の大使がいたのです。
盧溝橋事件に始まった衝突において宣戦布告は行われず、中華民国との国交は断絶していませんでした。日本と中華民国は敵ではなかった。だから横浜や神戸の中国人も、押上のラーメン屋の王貞治さん一家も、別に強制収容所に送られたわけではない。アメリカで、日系人が強制収容所に入れられてしまったのとは対照的ですね。
「アンネの日記」のように、ゲシュタポの目を逃れて本棚の裏に隠れ住んでいた、などということも決してありませんでした。
(5番目のニュース 初代駐日中国大使着任)
ちなみに、王貞治さんは今の台湾とは何の関係もないそうです。
王貞治さんは中国人なの?台湾人なの?日本人なの? | 台湾で牛肉麺を喰らわない
王貞治さんは中華民国籍である。かつて中国大陸の政権与党は中国国民党であり、国号を中華民国としていた。中国国民党は第二次世界大戦後に中国共産党との覇権争いに敗れて中国大陸を脱出し、台湾・台北に事実上首都を遷すが、1971年には国連を脱退し、日本を含めた国際社会の多くの国々から国家承認を取り消された。
王は現在でも日本や中華人民共和国ではなく中華民国籍である。
王を「台湾人」と誤って表現されることがあるが、これは国籍上中華民国籍であることに加えて「台湾」と「中華民国」が混同されがちであることが誤解の理由である。実際に王家の祖籍は中華人民共和国実効支配下の浙江省であり、台湾島とのゆかりは全くない。
海外メディアから「あなたは日本人ですか?」と質問された王は、「父は中国人だが、母は日本人です。私は生まれたときより日本で育ち、日本の教育を受け、日本のプロ野球人として人生を送ってきました。疑うことなく日本人です」と答えている。
当時の日本人は「中華民国と戦争している」という意識ではなく、「中華民国(汪兆銘政権)」と蒋介石軍・共産党ゲリラとの「内戦」に介入しているつもりだった?
当時の日本人は中華民国と戦争しているという意識は持っていなかった。地方政権に転落した蒋介石(アフガニスタンの首都カブールを追われたタリバン、みたいなもの)、そして「共匪」(共産党ゲリラのこと)と戦っているつもりでいた。汪兆銘政権対これらの反政府勢力の「内戦」に介入しているつもりでいた。ちょうどアメリカが、南北ベトナムの内戦に介入したら足が抜けなくなったのと同じ構図だったわけです。
偽造文書「田中上奏文」というものまでが出回り、戦争の全容がわかりにくくなってしまった
そして、「田中上奏文」という、出所が良くわからない、反日感情をあおるプロパガンダのための偽造文書まで出回った。
「田中上奏文(たなかじょうそうぶん)は、昭和初期にアメリカ合衆国で英語で初出され、中国を中心に反日感情の推奨を目的として捏造・流布されたプロパガンダのための偽書、偽造文書」
この偽造文書は、The Battle of China(中国の戦闘)というアメリカのプロパガンダ映画にも使われています。
こうしたプロパガンダが独り歩きし、日華事変(日中戦争)の全容がよくわからなくなってしまった、とも言えるようです。
この映画について、Wikipediaには以下の説明がなされています。
『ザ・バトル・オブ・チャイナ』(The Battle of China, 「中国の戦闘」の意)は、フランク・キャプラが監督したプロパガンダ映画『我々はなぜ戦うのか』シリーズの6作目である。1944年にアメリカで、一般に劇場公開された。数人の評論家から問題点(内容に誇張が多い・中国人自身の問題に全く触れていない)を指摘されたことにより、一時的に回収されたが再度上映され、戦争終結までに約400万人が観ることになった。スタンフォード大学歴史学部長のデビッド・ケネディは南京大虐殺は反日プロパガンダの中核となり、この映画はその顕著な一例であるとしている。
蒋介石軍の大陸反攻計画を支援した旧日本軍将校たちと旧ドイツ軍将校たち
台湾海峡が緊迫していますが、昔「白団(パイダン)」という、蒋介石を支援する旧日本軍将校の組織があったのをご存知でしょうか?
陸軍少将・富田直亮(中国名:白鴻亮)を団長に83名にのぼる旧日本軍将校が秘密裏に台湾に渡り、中国共産党軍の台湾上陸を阻止するために蒋介石に協力した、というお話。
こんなドキュメンタリー映画にもなっています。
そして、旧日本軍ばかりでなく、西ドイツからも「明徳小組(Ming-teh-Gruppe)」という、旧ドイツ国防軍将校らによる軍事顧問団が参加していたということを最近知りました。
そもそも蒋介石はナチス・ドイツにあこがれており、ファルケンハウゼンにそそのかされて第二次上海事変を起した、という講演を以前したことがあります。
https://jdg-chiba.com/about/pdf/kouennroku_4.pdf
以下はその一部です。
昭和8年(1933)、ナチス政権が誕生しますが、ゼークト将軍は上海に招かれ、蒋介石の上級顧問となります。ドイツ製武器を装備した中国軍20個師団を新編し、上海周辺に外敵を迎え撃つ強固な防衛線、これを通称「ゼークト・ライン」といいますが、これを建設する計画が始められます。外敵というのは、当然日本を想定しているわけですが、ゼークトは昭和10年(1935)に病気で帰国します。彼は蒋介石に対し、国共内戦を止めて日本一国だけを敵とし、日本への敵愾心を養うことこそが肝要だと提言していました。
ゼークトから軍事顧問団を引き継いだのは、アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンという軍人でした。
彼は大正3年(1914)、日独戦争が起った時は、東京駐在のドイツ武官でした。目の前で青島の喪失という屈辱を味わっていたので、日本に対しては、いつの日か青島の復讐をしてやる、という固い意志を持っていたといいます。
昭和10年(1935)8月、このファルケンハウゼンが蒋介石に「対日戦略案」というものを提出します。その中で、日本が中国を攻撃すれば必ず英米と対立し、またソ連への防備が必要になる。日本にそのような、多面的国際戦争を長期に遂行できる能力はない。そこで中国が対日戦争に踏み切るとすれば、まず上海と漢口にいる日本軍を奇襲先制し、主導権を握った上で長期戦に持ち込み、できるだけ多くの外国に介入させれば日本は必ず敗北する、と、まったくその後の歴史を予言したようなことを主張しています。そして盛んに、だから今の内に対日先制攻撃に踏み切るべきであると、この戦略案の中で煽り立てているのです。
(編集部より)
ファルケンハウゼンが日本への復讐を誓った「青島(チンタオ)」の闘い。この戦闘に敗れたドイツ兵捕虜が習志野の捕虜収容所に収容されていた、という話はご存じの方も多いと思います。
8月2日にはアメリカのペロシ議長が米軍機と空母に守られながら台湾へ飛行機で飛び、中国政府のみならず、国際社会が、この危険な「戦争挑発」を非難しています。
「台湾有事」になれば日本が戦場になる、と言われる今、改めて日本と台湾の関係を考えるきっかけになる貴重な投稿でした。
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