(NHK NEWS WEBより)
台湾総統選挙 開票終了 民進党の頼清徳氏が当選
13日に投票が行われた台湾の総統選挙で、与党・民進党の頼清徳氏が550万票を超える票を獲得し、当選しました。
台湾で1996年に総統の直接選挙が始まってから初めて、同じ政党が3期続けて政権を担うことになります。
(産経新聞の記事より)
立法委員選は与党過半数割れ
日本の植民地支配とも、中国共産党の独裁とも、蒋介石独裁とも闘い、台湾民主化闘争(ひまわり学生運動)にも参加した革命家・史明
ところで皆さんは100歳で亡くなった台湾人革命家・史明(シーミン)をご存じでしょうか?
(現代ビジネスの記事より)
池袋西口の中華『新珍味』はなぜ台湾独立運動の聖地となったか(田中 淳) @gendai_biz
「台湾独立運動のゴットファーザー」の店
東京・池袋駅西口から徒歩3分。雑踏にたたずむ老舗の庶民派中華料理店『新珍味』が、最近、台湾人客の間で「聖地」としてクローズアップされていることをご存知だろうか。
店のオーナーは、昨年100歳となった現役の台湾人革命家・史明(しめい)。彼への再評価の気運が高まるとともに、『新珍味』を訪れる台湾人旅行客が増えているのだ。
(編集部注:史明さんは2019年、100歳で亡くなっています)
池袋西口の生き字引ともいうべき史明が語る、驚くべきエピソードの数々とは──。
なぜ、年季の入った“町中華”の『新珍味』が台湾人の熱視線を集めているのか。その理由は、革命家の史明が、約40年間にわたって、この店を台湾独立をめざす地下工作活動のアジトとしてきた点にあった。
生涯のすべてを台湾独立運動に捧げた史明の存在は、2014年の台湾民主化運動「ヒマワリ学生運動」や2016年の蔡英文総統誕生などに大きな影響を与えたことで再認識されるようになり、彼は今も「台湾独立運動のゴッドファーザー」として強烈な存在感を放っているのだ。
台湾独立運動の資金を蓄えるために店を開いた
史明は1918年、日本統治時代の台湾・台北で生まれた。
早稲田大学に進学し、マルクス主義に覚醒したことで「植民地支配からの台湾の解放」を希求するようになり、1942年、卒業と同時に中国へ渡り中国共産党のスパイとして暗躍する。
やがて鄧小平に引き立てられ中国人民解放軍幹部への道を歩むが、共産党の実態に絶望して台湾へ逃亡。折しも台湾では国民党政府による反体制派に対する弾圧の嵐が吹き荒れており、圧政を敷く蔣介石の暗殺を企てる。だが計画が露呈して指名手配され、1952年、バナナ輸送船に乗って命からがら日本へ亡命した──。
『新珍味』はその史明が、自活しつつ台湾独立運動の資金を蓄えるために開いた店だった。厨房で腕をふるうかたわら、階上の自室では台湾独立をめざす勉強会を開き、台湾通史の決定版として今も読み継がれている『台湾人四百年史』を執筆した。
同書は、庶民の視点に立って書かれた初めての台湾史のテキストで、台湾人が「自分は中国人ではなく、台湾人なのだ」と自覚する大きな原動力となった。
台湾を「事実上の独立国」とする見方もあるが、日本による植民地統治が敗戦で終了すると、入れ替わるように中国から、蔣介石と中国国民党政権が台湾に侵攻し、外省人(中国人)による台湾支配が21世紀まで続いたことを理解する必要がある。
いくら民主化が進み、民主進歩党(民進党)政権が誕生しても、国家のシステムは外来の「中華民国」を引き継いだまま。しかも「中華人民共和国」との政治的対立から、台湾が“国”として外交承認されず、国際社会から閉め出されている状態が今も続いている。
「このままではいずれ、狡猾な中国に呑み込まれる。『中華民国』という不正常な状態を是正して真の独立を果たさない限り、台湾の未来はない!」というのが史明の考えなのだ。
池袋の戦後復興マーケットのバラックで開店
史明は日本に亡命した1952年にまず、東京八丁堀で間借りのギョウザ店を営み、翌1953年に池袋西口のバラックへ移転。1954年に現在地で店をオープンした。
右翼も左翼も公安警察もヤクザも集う
史明は1975年まで「極左」と呼ばれ、武力革命も辞さないスタンスで台湾独立を目指していた。その影響で『新珍味』には彼の台湾独立運動に共鳴する若い台湾人たちが集い、日本赤軍や国鉄労働組合(国労)の幹部、東京大学教授の宗像誠也(むなかた・せいや)といった反権力の左翼人士がギョウザを食べながら、階上の大部屋で激論を交わしていた。
面白いことに、左翼だけでなく右翼も『新珍味』の常連だったという。史明は戦前、五・一五事件で犬養毅首相を暗殺した元海軍中尉で国家主義者の三上卓(みかみ・たく)と交流があった。三上は戦後、野村秋介ら弟子たちと『新珍味』を訪れては「彼らの面倒を見てやってくれ」「少し食わせてやってくれ」などと頼んだらしい。
警察にとっても、池袋西口の顔役で華人社会にも精通する史明は一目置くべき存在。池袋警察署長は就任のたびに史明のもとへ挨拶にやってきたという。
その一方で史明は、地元のヤクザとの義理も欠かさなかった。
池袋西口はテキ屋(露天商)系指定暴力団の極東関口会(現・極東会)が縄張りとしているが、史明は20年以上にわたって毎年正月に「松竹梅」(宝酒造)の樽酒を差し入れていた。店を守る手段でもあったのだが、同時に顔なじみのヤクザたちは『新珍味』の常連になっていく。史明は「うまい酒を飲み、うまいメシを食っているときは、左も右も警察ヤクザも関係ない。そこが面白いじゃないか」と屈託ない。
2階はバー、5階は本気の爆弾製造工場
多彩な交友を重ねながらも、史明は『新珍味』が台湾独立運動の拠点であることを片時も忘れない。身銭を切って在日台湾人や台湾在住の若者ら延べ1000人を『新珍味』で受け入れ、革命成就を目指す秘密の勉強会や、テロリストとして養成するための具体的な訓練を施していた。
特筆すべきなのは、史明が『新珍味』の5階で爆弾を自作していたことだ。
(四国新聞の記事より)
史 明氏(し・めい=台湾の独立運動家、本名施朝暉=し・ちょうき)台湾メディアによると20日夜、台北市内の病院で死去、100歳。台湾で独立運動を推進、亡命先の日本でも中華料理店を営みながら運動を続け、日本語で「台湾人四百年史」も著した。
18年、日本統治時代の台湾生まれ。早大政経学部卒。41年の太平洋戦争開始を受け抗日運動参加のため中国に渡り共産党の活動に加わったが、後に失望、49年に台湾に戻り独立運動を推進した。
国民党独裁政権下の52年、日本に亡命。戒厳令が解除された後の93年に台湾へ戻ってからも運動を続けた。
(最後の講演を終えた史明を観客が取り囲み、記念撮影。大役を終えた老革命家にも笑みが浮かぶ(2019年6月:この3か月後100歳で亡くなる))
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