隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1610.本棚探偵の冒険

2016年03月16日 | エッセイ
本棚探偵の冒険
読了日 2016/03/09
著 者 喜国雅彦
出版社 双葉社
形 態 文庫
ページ数 453
発行日 2005/01/20
ISBN 4-575-82290-6

 

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日はお寺さんに予約してあった、母の3回忌の法要でいすみ市大原へと行ってきた。東京世田谷の弟が木更津を回ってくれて、娘と二人同乗しての往復だったから、大変助かった。
ところが予約してあったにもかかわらず、寺の住職が親戚のやはり寺での葬儀が発生して、急にそちらに行くことになったと、日曜日(13日)に電話があり、仕方なく読経なしで墓参りのみの法要?となった。
本堂での焼香後敷地内の墓に詣で、兄弟姉妹4人とうちの娘の合わせて5人で、焼香し手を合わせた。暗くなった空からは、時間を見計らったように雨が落ちてきて、雨中の墓参りは以前の葬儀の際と同じくで、父も母も雨が好きだったのかと、5人で笑いあった。
母が96歳で亡くなって早2年の歳月が過ぎた。両親の健在の間は、何かと兄弟姉妹が顔を合わせる機会はあったのだが、二人の亡くなった家は借家であったために、今は大原に行っても腰を落ち着ける場所もなく、これからは顔を合わせる機会もほとんどなくなる。

 

 

法要とも言えない寺の集いは早々に引き上げて、近くのファミリーレストランへと昼食に向かう。
1年ぶりでの顔合わせで、姉妹と娘は話が弾み、弟と僕もしばらくぶりの話は暫時盛り上がった。今や押しも押されぬ老人となった4人が、かつての少年少女時代に返ったかの如くの、話あいは1時間半にも及び、レストラン店員の顰蹙を買ったのではないかと、後になって思う。
個人タクシーを営業している弟の車で、1時間半のドライブで午後5時に帰宅。今年秋で73歳になる弟はまだまだ元気な様子だが、夜のタクシー営業はやはり疲れるとのことだ。安全運転での無事故を願いばかりだ。

 

 

て、こんな愉快な面白く読める本を積ン読にしておくのが、僕の仕方のないところなのだ。なんたってこのタイトルを見て、これは読まなければと思って買ったはずなのが、なぜ押し入れの奥の方にしまったままになったのかは、まるで記憶にない。
僕の蔵書(などと気取って言えるほどのものではないが)は、今のところ300冊くらいあるか?つまり買った
まま読まずにおいてある本のことだ。6畳の僕の部屋は、居間兼、書斎兼、寝室兼、その他諸々と言ったものだから、多くの本を保存しておける部屋ではない。
そこで、読み終わった本は十数冊になると、BOOKOFFなどの古書店に只みたいな価格で売り飛ばすので、蔵書と言うのは積ン読本と、後はパソコンのアプリケーションの参考書の類だ。
その参考書や解説本にしても、大半はExcelのVBA関連、HTMLやCSSのWeb関連の解説書で、ある程度の知識を得た今では、ほとんどが不要となったもので、場所をとるから処分した方がいいのだが、なぜかそちらは手放せないでいる。
近藤麻理恵氏の「人生がときめく片づけの魔法」でも読んで、部屋を片付ければいいのだが、「いずれそのうち」と、もう人生の残された時間もそれほど多くないのに、なかなか来ない「そのうち」を待っている始末だ。

 

 

本書の著者である喜国雅彦氏は漫画家であると同時に、ミステリーの挿絵なども手掛ける傍ら、本書のようなエッセイも発表して、意気軒高なところを見せている。
業界や漫画ファンの間では著名な著者らしく、ミステリー作家たちとも交流があり、そうした内容も本書に収められている。そして何より本書の内容の面白いところは、彼の古本の収集についての冒険譚である。タイトルのいわれはそこからきているのだ。
ずっと昔、オーディオファンがオーディオ機器を収納するため、あるいはいい音を聞くために部屋を改造するとか、あるいはそのために設計した家を建てるなどと言う話があった。
若い頃の僕はそうした究極のファン心理を、羨ましく思ったりしたものだが、そうしたことのできる人が世の中に入るのだということを知り、驚いたこともあった。そんな古い時代のことを思い起こさせるような、本棚探偵の冒険なのである。
先述のように僕には奇本、珍本、稀覯本等々の収集といった趣味はないものの、本好きとしての気持ちはよくわかる気がするのだ。

 

 

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