隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1080.第一阿房列車

2010年07月28日 | エッセイ
第一阿房列車
読了日 2010/7/12
著者 内田百閒
出版社 東京創元社
形態 文庫
ページ数 297
発行日 2009/7/24
ISBN 978-4-488-43906-4

 

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のカラの外れの所に蕁麻疹が出来て、痒くてたまらない。爪で押して窓の外の一所を見つめていると、景色の方がどんどん移って 行く。山系が隣からこんなことを云いだした。
「三人で宿屋に泊りましてね」
「いつの話」
「解り易いように簡単な数字で云いますけれどね、払いが三十円だったのです。それでみんなが十円ずつ出して、つけに添えて帳場に持って行かせたら」
蕁麻疹を掻きながら聞いていた。
「帳場でサーヴィスだと云うので五円まけてくれたのです。それを女中が三人の所へ持ってくる途中で、その中を二円胡麻化しましてね。三円だけ返してきました」
「それで」
「だからその三円を三人で分けたから、一人一円ずつ払い戻しがあったのです。十円出したところへ一円戻って来たから、一人分の負担は九円です」
「それがどうした」
「九円ずつ三人出したから三九、二十七円に女中が二円棒先を切ったので〆て二十九円、一円足りないじゃないですか」
蕁麻疹を押さえた儘、考えて見たがよく解らない。

 

 

これは本書の「特別阿房列車 東京 大阪」編の最後に出てくる文章だ。昔まだ若かったころ藤村幸三郎氏の「推理パズル」に魅せられて、確か3冊くらい出ていたと思うが、パズルの面白さにはまっていた。
その中で、このパズルが内田百閒氏のこの文章そのままで、紹介されていた。
パズルそのものは昔からある有名なものだそうだが、藤村氏は文章家の内閒氏の手にかかるとこのような名文になるといった旨の称賛をしていた。
藤村氏の推理パズルに書かれたパズルは、どれもがスマートな解答が添えられて、僕はその頃もう一つ数学者矢野健太郎氏の「エレガントな解答」とともに、愛読していたことも今となっては懐かしい思い出だ。
そうしたことが頭の片隅にあって、いつかはその元の百閒氏の文章も味わってみたいと思いながら、半世紀近くが過ぎた。

そして、最近テレビで、黒澤明監督の遺作である「まあだだよ」を見たことが、いよいよ本書を読むに至った理由の一つだ。この映画はもう何度も見ているのだが、見るたびに感動する名作で、黒澤作品の中でもスター俳優の出ない数少ない作品ではないかと思う。
主人公(内田百閒氏がモデル)を演じた松村達雄氏はすでに故人となってしまったが、飄々とした氏の演技は松村氏そのままではないかとも見える名演で、内田氏もかくやと思われる。話がそれるが、この映画で門下生の一人を演じた所ジョージ氏も、印象に残る演技だった。テレビのお笑いや、バラエティ番組に見られる人柄の想像できるはまり役だったのではないか。
この映画ではこれといった大きな事件が起きるわけでもない。主人公の人となり、日常生活の断面、妻とのかかわり、飼い猫のエピソードなどなど、そして、何より彼を取り巻く門下生との交流が事細かに描かれて、引き込まれる。現代では次第に学校教師と生徒の関係が、希薄になっていく中で、描かれる世界は懐かしく、好ましく、ほろ苦く、そして感動的で、監督がファンだったという主人公への思いが十二分に再現される。

 

 

ころで、百閒氏の云う「阿房列車」とは、もちろん列車の名称ではない。百閒氏が思い立ったときに用事もないのに、旅立つ際に乗る列車を指している。列車に乗ってどこそこまでいって、また引き返すことそのものが目的なのだ。



とかく忙しい日常に追われる日々を送っている人(僕も含めて)に、読んでもらいたいような本である。
文庫の帯に書かれた「用がなくても旅に出よ!」は、内容を端的にあらわした言葉だ。といってもなかなか旅には出られない身は、本書を読んで旅に出たつもりとなるか。

冒頭のパズルについての種明かしは、興ざめになるので、書かないでおこう。ミステリーにおけるミスディレクションが活かされたパズルの名作といえよう。


収録作(初出誌:小説新潮)
# タイトル 発行月・号
1 特別阿房列車 昭和26年1月号
2 区間阿房列車 昭和26年6月号
3 鹿児島阿房列車 前章 昭和26年11月号
4 鹿児島阿房列車 後章 昭和26年12月号
5 東北本線阿房列車 昭和27年2月号
6 奥羽本線阿房列車 前章 昭和27年3月号
7 奥羽本線阿房列車 後章 昭和27年6月号

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