隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1747.漱石先生、探偵ぞなもし

2017年06月08日 | エッセイ
漱石先生、探偵ぞなもし
読 了 日 2017/06/08
著  者 半藤一利
出 版 社 PHP研究所
形  態 文庫
ページ数 284
発 行 日 2016/11/15
ISBN 978-4-569-76659-1

 

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原市立図書館からのメールで、「予約資料が用意できました。」という知らせがあって、受取館に指定してある姉崎公民館に行ったら、中央図書館だという。「こちらに取り寄せできますよ」という館員の言葉に甘えて、そうしてもらうことにした。またくる必要があるが五井の中央図書館まで行くのは、億劫なので頼んでおいた。
それでえも、せっかくここまで来たのだからと、新着図書の棚にあった本書を借りてきた。
タイトルに惹かれたのだ。著者の半藤氏については、映画にもなった「日本の一番長い日」などで有名だが、僕は詳しくはなく、以前BSイレブンの「宮崎美子のすずらん本屋堂」にゲストで出演していたことがあって、太平洋戦争についての話が面白く、というより貴重な体験談といった興味を引く語りだった。そんなことからいずれ著作を、と思ったこともあったのだ。
僕は幼かった時ではあったが、今では数少なくなった太平洋戦争の末期を体験している。

 

 

昭和20年当時は墨田区駒形に住んでいたから、東京大空襲のど真ん中を赤子だった弟を背にしたお袋に手を惹かれて、隅田公園に避難した。真夜中にも関わらず一面の火の海に空は昼間のように明るかったことが、鮮明に思い出される。
防空壕にしまわれた家財道具はすべてが蒸し焼き状態になって、使い物ならない状態だったから捨ておいて、着の身着のままでお袋の実家、茨城県稲敷郡牛久町(現在の牛久市)に疎開した。父は出征しており幼い子二人を抱えたお袋は、そのころまだ28歳だったはずだ。
ずいぶんと心細かったのではないだろうか、と今になって思うがそれでも当時の人々は我慢強く、いや我慢を強いられてきたものだと、誰に対してでもない怒りさえ感じる。空襲が収まってから、住んでいた自宅付近まで戻ると借家だった家は燃えて跡形もなく、近くの企業の炊き出しのお握りをもらって食べたことが、数少ない記憶の一つだ。
70年以上も前のことが記憶から消えないことが、凄まじい状況だったことを物語っているようだ。戦争に駆り出された父も、銃後の守りを貫いた母も既にこの世の人ではない。語り継ぐ人も亡くなり昭和も遠くなりつつあることが、少し寂しい。

 

 

んな戦争の語り手の一人である半藤一利氏が、夏目漱石の義理ではあるが孫だということを、初めて知って驚いた。この文庫が発行されたのが2016年で、漱石没後100年、そして本年2017年は生誕150年ということだ。
時々ではあるが中学生の頃夢中で読んだ、漱石文学は「吾輩は猫である」をはじめ、「坊ちゃん」、「明暗」等々いくつかあるが、もちろん記憶の底からは漏れてしまっていて、全く覚えてはいないがもう一度読みたいという気持ちがあったから、本書のタイトルも目に入ったものだろう。
いや、本書を読んでいると、ますます読まなければという気にさせるほど、漱石文学の魅力が所狭しという状態で、描かれている。僕は本好きにも関わらず、他人の書いた本の解説や批評はめったなことで読まない。
「本くらい好きなように読ませろ」という思いがあるからだ。
しかし、本書は実に淡々と漱石文学に表れるところの、文学性や漱石自身の人となりなどが、余すことなく書かれており、それが自然と読むものに浸み込んでくるかのような表現で、いやらしくなく全く「参った!」というしかない。

 

収録作
# タイトル
第一話 『吾輩は猫』と遊び戯れる
第二話 『坊ちゃん』『草枕』の周辺散歩
第三話 「小説家たらん」とした秋(とき)
第四話 ある日の「漱石山房」
第五話 漱石文学を楽しんで語る

 

 

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