隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1599.ひとは化けもん、われも化けもん

2016年02月12日 | 時代ミステリー
ひとは化けもん、われも化けもん
読了日 2016/01/22
著 者 山本音也
出版社 文藝春秋
形 態 単行本
ページ数 246
発行日 2002/06/15
ISBN 4-16-321080-6

 

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―三年前から使っていたキヤノンのプリンター、MG6330の調子が悪く、サービスセンターに電話をしたところ、修理を要する症状だといわれた。どのくらいの費用が掛かるのか尋ねると、16,000円ほどかかるという。それでは少し足せば同様の、いやその上位機種の新品が買えるではないか。
昔、知人が「パソコンは金食い虫だ」と言っていたが、全くその通りだ。いっそのこともうパソコンを使うのは止めようか、などと言ったって今更そんなことはできようはずがない。
否、そんなことはない、気持ちの持ちようだ。いろいろ心は揺れ動く。
「パソコンなど無くたって、生活はできるよ」と、もう一人の僕は言うが、30数年も親しんできたパソコンは、もう僕の生活の一部となっている。キヤノンのサービスセンターには、修理するか買い替えるか、少し考えてから決めると言って電話を切った。

貧乏人にはどうしてこんな金のいることばかり起こるのだろう?そんな愚痴を言っても始まらない。まるっきり使えなくなったわけではないから、もう少しだましだまし使い続けてみるか。
不具合はブラックの部分が縞模様になるのだ。背景の暗い画像などではそれが目立つが、文書などのプリントでは支障がないように見える。しかし、画像のある文書では多少気になることがあるから、そうしたことはストレスのもとになり、血圧に影響するかも。困ったものだ。

 

 

歴史の発掘者としても多くの著作を残している松本清張氏だが、その偉大な功績をたたえる意味もあるのだろう松本清張賞は、さまざまなジャンルの作品が受賞している。僕はその賞の受賞作には従来それほど関心が深かったわけではなく、たまたま買った本が受賞作だったということもある。
だが、本書は第9回受賞作だということで、新刊を買ったものだった。2002年はまだ辛うじて僕もサラリーマン現役だったから、多少は懐に余裕があったのだろう。そんなことなのに10数年も積ン読にしておくのは、忘れっぽいのと気まぐれの僕の悪い癖なのだ。今頃になってせっせと積ン読本の消化に、精を出してもなまなかのことで、多く溜めた積ン読本を読み終えることは難しい。
だから、そうしたたくさんの本を持ち合わせていることを、これから読む本に不自由しないのは幸せなことだと思うようにしているのだ。

 

 

んなことで本書は、長らく積ン読本の底の方にあったから、ぱらっと開いてみることもなく、したがって内容もどんなものかも全く分からないでいた。読み始めて井原西鶴を主人公としたフィクションだということが分かった。実在の人物を登場させるのだから、ノンフィクションと思いがちだが、これはエンターテインメントで、これこそ「講釈師、見てきたような嘘を言い」と言ったところだろう。
しかし、そうは言っても史実に基づいて、それをドラマに仕立て上げているのだろうから、読んでいて多少オーバーな表現も、いかにも本当らしく思えるのだ。
僕は井原西鶴の代表作「好色一代男」も「好色五人女」も読んでない。それでもその一つである「世間胸算用」は、ある勘違いから読んでいる。まあ、その程度だから、特別この関西の俳諧師については詳しくない。
後の世まで長く読まれることになり、その作品が映像化までされることなど、全く考えが及びもしなかったで あろう作者の生活風景が、面白おかしく語られるのが、何かとても文字通り面白くも切ない感じだ。

西鶴は、矢数俳諧と言われる、一昼夜の間に発句を作る数を競うことを得意として、勇名をはせているが、そうした俳諧師の世界での地位が、なぜか危ういものに感じられて、気が気ではない。目の不自由な娘の行く末も気になるし、身体の弱い女房の治療代にも事欠く。そんな西鶴に草紙を書くことを勧められるが、自分は俳諧師であるということのプライドが、なかなかに筆を進めることができない。
さらには世間体も気にして、煮え切らぬ態度を続ける西鶴に、可笑しいやら呆れるやら、関西弁の語り口はそうした状況が目に浮かんで、あたかもその時代を映像のように映し出す。従来抱いていた井原西鶴と言う人物の、イメージを一変させる物語だ。

 

 

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