隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1598.孤宿の人

2016年02月09日 | 時代ミステリー

                                             

孤宿の人
  
読了日 2016/01/20
著 者 宮部みゆき
出版社 新人物往来社
形 態 単行本
ページ数 (上)405
(下)423
発行日 2005/06/21
ISBN (上) 4-404-03257-9
(下) 4-404-03258-7

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

頃読書の進み具合が時々遅れる。と言うより集中できないことがあるのは、耳鳴りのせいかもしれない。普段あまり気にしてないのだが、昨夜読んでいる途中で、いつもより耳鳴りの音が大きいような気がして、読むのをやめてしばらく耳鳴りの音を聞いていた。
耳鳴りはふつう治らないといわれているが、僕の場合は昼間ほとんど気にならないくらいに、音が小さくなることもあり、それほど厄介なこととも思わないでいた。何時のころからか僕の読書スタイルは、数ページ、あるいは十数ページ読んでは一休みと言った風になった。それも多分耳鳴りのせいかと今になって思うのだが、そうであればやはり耳鳴りは歓迎できることではない。
何とか気にしないようにはしているが、もしかしたら血圧が高いのも、そうしたことがストレスになっているからか?ああ、そんな風に考えることもストレスの原因か?そうなら、どうすればいいのだろう?次の通院日の26日にドクターに聞いてみよう。

 

 

僕にとって特別な存在と言っていいほどの、著者の作品が積ン読になっているなど、許されないことだなどと言ってみても、仕方がない。僕の気まぐれは時として、そんなことを平気でする。
著者の作品は時代物であろうと、現代ミステリー、あるいはファンタジー、どんなジャンルのものであろうと、面白く読めるのに時によっては、敬遠と言うわけではないが、後回しになることもある。そんなことから幸か不幸か、まだ未読の著者の作品は結構な数があるだろう。せっせと読まなければ。
しかし、稀代のストーリーテラーともいわれるほどの著者は、全く驚くべき執筆活動を続けており、全作を読もうとすれば、膨大なエネルギーを必要とするほどだ。いや、これは経済的にも、体力的にも、あるいは残された時間の少なさにおいても、僕だけの問題といえるのだが・・・・。
特に昨年の暮れあたりから、急にと言っていいほど体力の衰えを感じている。頭で考えるほどに運動能力が追い付かないから、ちょっとした姿勢の変化で体のバランスを欠くといったことが、頻繁に起こるようになった。そんなところに年寄りになったことを実感する。全く歳は取りたくないもんだが、こればかりは避けられないことで、1年に1つずつ歳をとるのは万人に共通した悩みの一つ(ではないかな)。

 

 

分なことだが(僕の記事は大半が、その余分なことで占められているのだが)本書のタイトルを見る都度、『瓜につめあり、爪につめなし』と言う言葉を思い出す。孤宿の孤は子偏に瓜だから、このタイトル文字は間違っている、そんな思いが沸くのだが。しかしまあ、偉い書家の書いた文字だからこれで良いのか?
別にケチをつけるわけではないが、出版社とて見ているだろうから、やはりこれでもいいということにしておこう!?

役者の中には、子供や動物が出てくる話には出たくない、と言う人もいるくらいに、ドラマや映画、芝居などでは子供や動物の可愛さや純粋さに、主役が食われてしまうということが、往々にして有るようだ。 長編時代ミステリーの本書も、幼い女の子が登場して、その健気さや純粋さで周りの人間を取り込んでしまうのだ。この作品が将来ドラマ化されるかどうかは分からないが、もしドラマになるなら、どんな子役がキャスティングされるのか楽しみだ。

さて、四国は讃岐の丸海藩という地方の小藩が舞台だ。小藩とは言いながら、藩主の畠山長門守(ながとのかみ)の政(まつりごと)は行き届き、城下の民はおおむね平穏な暮らしを送っていた。そんな丸海藩にある時青天の霹靂とも言える出来事が襲う。
元は幕府の勘定奉行を務めていた、船井加賀守守利が罪びととなった。そして、丸海藩に流人として迎い入れるよう、幕府の命令が下ったのだ。罪人とはいえ幕府の中枢を担っていた方を、お迎えするにはどうしたらよいのか、平穏で静かだった城下町は、様相が一変する。
そんな中で、藩内の医療を担う井上家の娘・琴江が、何者かに毒殺されるという事件が起こる。そうした混沌とした町の中で、翻弄される孤児の女児・“ほう”は、加賀様を迎い入れた屋敷に、女中として勤めることになるのだが・・・・。
さまざまな人々が絡み合って、城下町は危機的な状況に向かって進むことになる。

 

 

そんな危機的な状況は、罪人とは言いながらも、大きな屋敷に迎い入れられた加賀守と、女中奉公のほうの身の回りにも、及ぼうとして行く。そこで、先に書いたように幼いほうの子供らしい純真さが、胸を打つ場面を作り出すのである。宮部女史の作品には、これ以外にも子供が主役を担う作品はいくつかあるが、子供を描くうまさには定評があり、本編においても生き生きと描かれる主人公に、僕以外の読者も肩入れしてしまうのだろう、多分。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿