山、大好き!

中期高齢者になっても、山歩きを楽しみましょうね。
自然は友達!

寺家ふるさと村から町田、三輪の森へ

2012-11-29 10:39:28 | 日記

  町田のウオーキングに参加する予定でしたが、寝坊してしまったので、一人でふるさと村を歩いてきた。

我が家から恩田町の苗万坂へ向かい、恩田の森~田奈高校裏~三菱の森~鴨志田公園~寺家ふるさと村「四季の家」(昼食)~水車小屋~

青葉区と町田市境の谷戸を越えて、町田市下三輪玉田谷戸~妙福寺~ログハウスのカフェ「シュルツ」~境の谷戸超え~ふるさとの森、むじな池

~鴨志田公園~青葉台~自宅。

三輪谷戸の農家が売っている野菜売り場には新鮮取立て野菜があり、売り場に出てきたおばあちゃんと話し込む。

京芋など仕入れたが、重いこと!

何度か訪れたログハウスレストランは、水曜日の定休日で閉店、ガッカリ・・・・。

出かけたのが遅かったが、日中でも気温は12度しか上がらず、山中は風が寒かった。代わりに紅葉が見事で、出会うひともほとんどいなかった。

3時を過ぎると山は薄暗くて、犬とお散歩のひとに出会うと、ホッとするのは勝手なものですね。

晩秋の里の原風景に心が温まる、一人ウオーキングでした。


大山に登ってきました。

2012-11-26 09:52:52 | 日記

  三連休の最後の日25日に、大山に行きました。

大山寺がライトアップされていると知って、ヘッドランプを持って夕暮れまで粘るつもりだったのですが・・・。

伊勢原駅からの臨時バスがどんどん出ていて、バス終点から石段の商店街を登る列も人人。

ロープウエイ駅の階段のはるか下の方から長蛇の列です。

で、ロープウエイには乗らずに下社を目指して女坂を登ると、家族連れがにぎやかで、静かに紅葉を眺めようなんて、無理。それでも大山寺の紅葉は今が盛りで、息を飲む輝きでした。

下社に付くと、トイレ行列が20分待ち。境内からの相模湾の眺めと紅葉はあいまって、みんな興奮気味にカメラを覗く。

カメラ、カメラも行列。

登山口の急階段は幼児もいるためか、なかなか進まない。1丁目から山頂の28丁目までの登りは小学生や幼児連れが多くて、校庭か、園庭に紛れ込んだ様です。

山頂での数珠繋ぎの列を回避してアンテナの立つ裏側に廻り、丹沢の山並みを眺めながら12時ジャストに昼食。

こちら側に来る人はごく希で、さっきの喧騒はウソみたいにまるで静か。

見晴らしの方へ下山しようと表に廻ると、足の踏み場も無いくらいの人、トイレも50人も行列でびっくり!

幼子が多いために、下山路も渋滞待ちで進まない。「見晴らし」も空いているベンチはなし。

下社に付くと、ロープウエイは50分待ちで、下のバス便は次々と臨時バスが来るが、乗車まで30分待ち。

こんな混雑に何で来ちゃったのかしら・・・と。しかし、高い空の青さと紅葉のグラデーションの見事さに良かったア!


マイ バースデイの会!

2012-11-23 14:29:09 | 日記

 19日の月曜日に私の誕生日を、息子夫婦と孫と娘が祝ってくれた。

40数年のフルタイム勤務を終えて、民生委員を4年半務めて、今は入院している義弟の援助をする生活です。

義弟が入院してからは援助も楽になり(金銭管理と親戚付き合いは厳しいが)、ボランティア、山歩き、ウオーキング、庭や花の整理など、気持ちが楽になってきている。

70歳になると忘れ物(事)が増えて、新しいことを履修するのに時間がかかる。

同世代に聞くと「そんなものよ!」といわれるが・・・。

まだつまずくことは余り無いが、15㌔くらいのウオーキングを月2回と、山歩きと、ストレッチが体を支えていると思っている。

ささやかなバースデイは、孫の成長を知る機会となって、ゼリー(ケーキは無理なので、孫のために薄味に作ったぜりー)を嬉しそうに食べてくれるのがほほえましく、私の喜びになる。プレゼントも大切にしよう。

年金生活になり、シングルになって7年目、あと何年生きるか?終い支度の本を読んだりするが、なかなか整理は出来ないもの。

中学時代、高校時代の同級生、山仲間、ボランティア仲間、それぞれの友人たちとの忘年会の企画をしたり、結構忙しい。

ここ2ヶ月に兄、姉たちの三回忌も三つも続くけれど、前を向いて歩くのみ。

とりあえず今は医者通いもなく、日々多忙なのが幸せなのですね!


お寿司屋さんで、落語を楽しむ!

2012-11-20 12:32:25 | 日記

  半年に1度の、「三笑亭可龍師匠の落語を聴く会」を立ち上げている先輩のお誘いで、11月18日(日曜日)商店街にあるお寿司屋さんに出向いた。

 可龍さんが高校生でまだ未熟だったころに、コミュニティーハウスでの出演を聴いた先輩が、その後も毎年機会を作っては支援していた。

 あるとき終演後にお寿司屋さんに入ったら、彼もお寿司屋さんに入っていて、「このお店でも演じられないか?」と、板さんからも話が進んで、この会が立ち上がり、もうすでに10数回になっている。

 会場では真打になる前から、暖かいカンパが寄せられていた。

 1昨年真打に昇進して、ホテルオークラでの真打披露パーティーも盛況だったのを思い出す。

 今日の演しものは、可龍さんの出囃子「吉原すずめ」にのって「真田小僧」、「弥次郎」、中入り後は「岸流島」の三話でした。

 4時開演で終了後に師匠を交えて、お寿司屋の弁当と缶ビールがつく。日曜日だったため開演時間が早くて、終演後はゆっくりと飲みながらの談笑が続いた。常連さんには「私たちが育てている」の想いが強い。

 師匠の噺もゆとりが出てきて、じっくり味わえる感じです。今回は師匠のご両親も始めて来店されて、総勢50人になる客たちに、お礼の挨拶をされた。

 9時ちかくにほろ酔いの足取りで、三々五々散会となった。 

 


戦没者追悼式に参列して来ました

2012-11-16 12:28:21 | 日記

  11月15日(木)、居住区の戦没者遺族会と社会福祉協議会が開催した、「戦没者追悼式」に、従妹(彼女も戦没者遺児です)と一緒に参列してきました。

 毎年この時期に行われていて、いつも従妹と参列している。

 遺族の参加は年々減少するばかりで、地域の県会議員や市会議員、民生・児童委員、社会福祉協議会の役員、各自治会役員、商店会の役員などなどが、多数をしめているのが現実です。

 式次第に沿って開式のことばから君が代斉唱(起立拒否とは行かない・・・)、黙祷、式辞、追悼の辞、電文披露、献花と進む。

 献花の順は、開催区の遺族代表の後は、遺族会会長、来賓(議員や地域の役員)が続き、参列者が最後に献花する。

 些細なことだが、参列者が先に献花できれば、「戦没家族が大事にされているんだなア~」と、ねぎらわれた心地がするのに・・・。

 最後に、地域のママさん音楽グループによる「トーンチャイム演奏」があり、閉式のことばで終わりました。

 知人が何人もいて、「遺族も高齢化していて、代替わりも進んで参列者も少なくなり、あと何年つづくのかしらね~」などと話しながら、「式がある限り、毎年参加しようね!」と確認しあった。

 「このような式典は形骸化している」、というそしりは免れないが、「憲法を変える」「集団的自衛権を行使できるように」などと、きな臭い発言を堂々とする政治家がテレビ画面に目立ってきたこの時期、「不戦の誓い」、「憲法9条を守らなくては・・・」と、思いをあらたにする。

 それは戦死者に向けた「私たちの義務」ではないでしょうか?

 戦没者の家族も戦災者も、戦後どれほどの辛酸をなめてきたことか。学齢にも達しない幼児だった私でも、「戦争のためにこんなに苦しい生活をしなくてはならないんだ!」と、子ども心に身にしみていました。

 私は日本国憲法を、世界遺産にしたいくらいに大切に思っています。