山、大好き!

中期高齢者になっても、山歩きを楽しみましょうね。
自然は友達!

早く、山歩きを再開したいから、、、、!

2012-03-30 21:49:07 | 日記

 今日は風が強いけど気温があがり、桜の蕾は一気に膨らんだ様子。
木々もうっすらと白じんで、芽吹きの準備がすすんでいるらしい。
山歩きの季節が始まった。
腹痛続きの日々から脱出するため、明日は大腸の精密検査をする。
息子夫婦と孫が激励?に来てくれて、勇気100倍のイメージ。
春の山々が待っている。


30年ぶりのヨーガ。

2012-03-28 22:27:42 | 日記
 2月後半から体調が思わしくないため、検査を受ける日が続いている。
それでも、運動機能の退化を看過するわけにはいかない、、、なあんてカッコウつける訳ではないけれど、かつての同僚から誘いを受けて、30数年ぶりにヨーガ教室に参加した。
 若い女性の先生と、中年(失礼!)女性3人の生徒さんの中に、前期高齢者の私が加わり4人の生徒。
 柔軟性を維持するストレッチなどは、ときどき励んで(?)いた程度なので、まず、ふかーい呼吸が出来ないことが判明。
 さすがに1年以上継続している方たちは、倍以上の長いブレッスだった。
肩や首の力の抜き方、自然体で背筋を伸ばす姿勢、左右アンバランスな手と足。自由にならないわが身のもどかしさ。
力を入れない自然体って、こんなに難しいなんて。ショックは無いけど現状を悟らされました。
 これは週1回でも、続ける価値ありかな?
 まあ、肩肘はらずに、ゆっくり ゆっくりやっていければ。。。。。と言う1日でした。

秦野駅から渋沢丘陵を経て、頭高山へ

2012-03-27 21:58:13 | 日記
 今日3月27日、小田急線秦野駅から今泉湧水池(池畔の桜は固い蕾だった)を眺めてから、白笹稲荷(関東の三大稲荷という)にお参りをして、畑が続くゆるいのぼりを震生湖へ向かった。
 震生湖は、関東大震災で川が堰きとめられてできたらしい。遊歩道があり、少し登るとベンチとテーブルもあって、ここで早めの昼食にした。気分が良いので、小1時間くつろぐ。
 再度畑の中の丘陵の道に出ると、大山から西側へ二の塔三の塔、塔の岳、鍋割山、、、と、その景観に圧倒される。
 この農道のような丘陵の道を頭高山(303メートル)に向かった。
 起伏が少ないうえ、桃、梅、菜の花が楽しめて、爽快!
 山頂には一人のハイカーが下山したので、もうだれもいない。鳥居と祠が奉ってあり、あずま屋があったので、コーヒータイムを楽しむ。
静寂だが、この山に対する土地の人の思いが伝わる(桜の植樹や山名の説明碑など)。
 展望はあまりないが、西側に少しだけ松田町が開けていた。
 まだ2時なのに、少し寒くなってきたので、山頂を後にした。
 林道を下って渋沢駅までは、3回も道を尋ねながら、1時間あまりの厳しい街歩きとなった。
 桜の蕾はどこもまだまだ固ったけれど、すみれ、ヒメオドリコソウ、ホトケノザ、水仙、オオイヌフグリ、などが里道を和ませ、
梅の花と香りが、春を満喫させていた。

ひめ踊り子草とビール、のウオーキング

2012-03-22 13:51:17 | 日記
 昨日3月21日、ぽかぽか陽気に誘われて、私にとって2回目となる町田ウオーキング協会の例会に参加してきた。
よみうりランド前から多摩自然遊歩道に入り、急なのぼりを菅さくら公園へ、その後寿福禅寺(源義経が奥州に逃れる際に立ち寄って、書いた大般若経があるという)、小沢城址(頼朝の御家人の子、小沢小太郎の居城跡)、穴澤天神社(元禄7年、1694年に改修されたとの記録があると言う)へ。                                            
稲城市第2文化センターを経て、多摩川原橋から川沿いのアカシヤ並木を、強い川風の中を、稲城市北緑地公園に11時30分着。
川に沿って細長い運動公園である。ここで昼食。
 このあとさらに強風の中、川沿いを是政橋まで。この是政橋を府中へわたり、郷土の森公園から、大東京綜合卸売りセンターを経て、この日のハイライト、サントリー武蔵野ビール工場見学、ザ・プレミア・モルツの試飲で、「お疲れさん」となった。
 梅の花が色を増して、オオイヌフグリ、ヒメオドリコソウ、タネツケバナ、ハナニラ、ムスカリ。
遅い春を実感した14㌔のコース。
 今回は従妹と二人参加、総勢、160人くらい。
 ほろ酔いで、南武線分倍河原から登戸、登戸から小田急線に乗り換えて、充実のウオークをしめくくった。

タバコ病裁判訴訟人、水野さんご逝去。

2012-03-13 12:30:55 | 日記
タバコ病裁判の控訴人だった 水野雅信さんが3月7日に肺気腫で亡くなった。70歳の若さで。
30回に及ぶ入退院で、力尽きたのでしょう。
東京高裁で、明日14日判決を前にしての「無念の死」に思えてなりません。
タバコ病で、年間20万人が亡くなっているという。
タバコ病で苦しむ人のないことを願って、ずっと支援してきたので、辛い日々です。
水野さんは長男で家計をたすけながら、夜間高校で学び、昼の中央大学法学部に入学された。
貧しい人や働くものの力になれる弁護士をめざしたからでしたが、司法試験浪人中に横浜市に入庁。
中で、組合役員に推されてからは、優しい言葉と笑顔で信頼をあつめて、歴史的な「青春と安保}の運動を組織した。
いつも「学習」する大切さを自他共に推進して、学び、行動するひとで、女性の支持者が多い方でした。
愚痴は言わない、笑顔と握手、ソフトだが力強い語りとがトレードマークで惹きつけました。
タバコ病に活かせて欲しいと解剖された遺体の寝顔は、微笑むように穏やかで、なお涙を誘われました。
40数年の水野さんとのお付き合いを宝に、裁判の支援を誓いながら、12日の告別式から帰宅しました。
お通夜から告別式まであふれる参列者の、嗚咽が聞こえた。
水野さん、ゆっくりお休みください!