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「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★整理記者は覚えている=「北海タイムス物語」を読む (126)

2016年06月21日 | 新聞

(6月19日付の続きです。写真は本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第126回。
*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼清國(きよくに)さん=北海タイムス制作局員、元・活版部職工


【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 467ページから 】
萬田さんが手に取ろうとすると「だめだめ」と引っ込めた。
「二個あったんだけど、このあいだ権藤の息子にやった❶から、もうこれしか残ってない」
「権藤にやったんですか。だったら俺にも——」
「だめだめ。これは絶対にやらん。俺が定年の日、最後の仕事が終わった日に❷持っていく」
題号を段ボールに戻し、別の大きな金属片を取り出した。
「これは札幌オリンピックだな」
机の上に置いた。
〈北の祭典、華やかに開幕〉という大きな横見出しが花模様をバックに浮いている❸。
「お、これ、俺がつけた見出しだ。一九七二年」
萬田さんが懐かしそうに凸版を手にした。
「へえ。そうか。これならやるぞ、記念にとっときな」
「え、ほんとですか。やった。大事にさせていただきます」
萬田さんがかしこまって腰を折り、僕の顔を見て嬉しそうに「むひひひ。貰っちゃったもんね」と、大切そうにハンカチに包み、ポケットに入れた。



❶権藤の息子にやった
「権藤の息子」は、小説の中で北タイ紙整理部在籍の権藤記者のことか=6月5日付No. 114参照。
つまり、清國さんの制作局同僚に権藤父がいて、編集局にはその権藤息子がいる、ということなのかしらん。

親子2代で勤務——これ、新聞社あるあるあるある。
小説当時の編集局や制作局はわりと緩かった(現在も?)時代なので、兄弟や父子で勤務している人が多かった(と思う)。
僕の周囲を見ても…………
開発室Kさんが副社長の長男だったり、
元整理部長長男が系列社整理部にいたり、
制作局Tさんが兄弟で組み版にいたり、
社会部Kさんの長男が校閲部にいたり。
(→いずれも同じ名字だったから、まさかぁと思ったんだけど)
もちろん試験入社のかたもいたのだろうけど、ムニャムニャかもしれない。
情実入社なのか、縁故入社なのか、ツルの一声入社なのか、そんな〝特別採用枠〟があったのかもしれない。

❷俺が定年の日、最後の仕事が終わった日に
当時の北海タイムスの定年は、60歳だったようだ。
〝生涯北海タイムス〟だった清國さんの職業人としての軌跡は、新聞社の製作システムの変革と新聞退潮期と重なる。
▽1960年以降=全国紙が次々札幌進出。
いち早く迎撃態勢を固めた道新に比べ、遅れた北タイは草刈り場→部数減→経営不安定化
▽1985年以降=活版組み版からコンピューター組み版・編集(CTS)に切り替え。
活版部消滅→制作局大幅異動と人員削減
▽1990年=活版部大組み職人だった清國さんは、まもなく定年……

❸〈北の祭典、華やかに開幕〉……花模様をバックに浮いている
萬田整理部長(45)が1972年の札幌オリンピックの凸版を見つけて、
「俺がつけた見出しだ」
と言っている。
整理は自分がつけた見出しは必ず覚えている(評判が良くても悪くても、ね)。
萬田部長は札幌五輪のとき27歳。仕事が楽しくて、一番ノッていたころか。
同部長がつけた札幌オリンピック見出しについては、後日かこうかな、と。

————というわけで、続く。

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