降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★丸谷才一さん遺稿を読んだ。

2012年11月17日 | 新聞
「文藝春秋」12月号
「丸谷才一さん遺稿独占掲載『思へば遠く来たもんだ3/茶色い戦争ありました』」(写真)を読んだ。
『女ざかり』もそうだけど、丸谷さんは新聞が好きなのだ(以下、丸谷さんを悼み、旧仮名遣ひです、笑)。

【「茶色い戦争ありました」ストーリー】
1945年8月15日。20歳前後の「君」が上京する列車シーン。
混雑する車輛の端、四人掛け一区劃に、「君」と、十七か八、小柄で仔猫のやうな顔立ちの娘がゐた。
娘は浜松までゆくと言ひ突然、ズボンのポケットから新聞数枚を出し、乗客に向つて叫んだ。
「みなさん! 今日の新聞読んだ方、いらつしやひますか? どなたも読んでないでせう。ええ、当局の命令ね。正午に天皇陛下の放送があつて、国民に何かおつしやる。
その放送で何をおつしやるか、今日の午後に出る新聞には詳しく載つてます。朝刊がなくて夕刊だけがあるのね。久しぶりの夕刊復活。三時か四時にその新聞が配られます」
娘は声を張りあげる。
「その新聞をあたしはいまここに持つてゐます。ほしい方にはお分けします。ただし、一部五十円!」
娘は、明日の新聞を売る女だつた。
――それから数十年、老人となつた「君」は秋の夜ふけの銀座で、ある老女と出会つた……。


去る10月7日倒れる直前まで執筆していたといふ、200字詰め原稿用紙約50枚の遺稿短篇(最終的に4篇構成で200枚程度の連作小説になる予定だつたといふ)。
毎日新聞書評欄「今週の本棚」をつくり、『女ざかり』(1993年)がベストセラーになり、「明日の新聞を売る女」をしたためて生涯を終へた丸谷才一さん。
活字と新聞がお好きだつたのだなあ、と思つた。
(嗚呼、旧仮名遣ひは疲れる……)


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