生野銀山 2008年09月04日 | Weblog 当地から2時間ほどの姫路の北方にある生野銀山に行ってきました 1200年前「佐渡の金山・生野の銀山」と称され信長、秀吉の権力者に手厚く 管理されて、徳川幕府には江戸から代官が赴任していとある 明治には全国でも珍しい鉱山町と変化している 現在は一部が、坑道観光となり当時の生活ぶりを見ることができました 石見銀山(世界遺産)よりも見応えがあると思います 銀山なのに金貨:ホンモノの大判・小判が展示されてました 生きてるみたい « 禅寺の托鉢 | トップ | 岡山のタンチョウ鶴 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 こんばんはです^^v (musashi) 2008-09-04 22:34:48 こういった観光名所って、遊びでチャラチャラァ~っと見ればそれまでですが、すぎさんのように、一つ一つしっかりと当時の風を浴びながら拝見すると、本当に見応えがありますよねぇ~^▽^そんなことを改めて実感させられましたぁ~^^vいつか行ってみたいな、ココ・・・ 返信する Unknown (よこた) 2008-09-05 06:23:13 私も昨年9月に行きました。よくこんなに掘ったものだと感心させられると同時に、ここでの仕事は過酷だったんだろうなあと想像させられました。それはそうと中の気温は13℃、私は家内と半袖で入って寒かったのなんのって中は冬ですよね・・・(-_-;) 返信する お越し下さい (すぎ) 2008-09-05 11:52:47 おはようございますそうなんです す~と通ればそれまでですが一つずつ当時に思いをはせてみれば価値が増大しますね本州の行って見たい箇所のいれて置いて下さい 返信する 気温 13℃ (すぎ) 2008-09-05 11:59:27 よこたさんも行かれましたか。当時鉱山は機械化もなく過酷と想像されますね子供たちの教材としたいい観光地です坑内は四季を通じて13℃、やはりこの時期ではとても寒かったです 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
遊びでチャラチャラァ~っと見ればそれまでですが、
すぎさんのように、
一つ一つしっかりと当時の風を浴びながら拝見すると、
本当に見応えがありますよねぇ~^▽^
そんなことを改めて実感させられましたぁ~^^v
いつか行ってみたいな、ココ・・・
それはそうと中の気温は13℃、私は家内と半袖で入って寒かったのなんのって中は冬ですよね・・・(-_-;)
そうなんです す~と通ればそれまでですが
一つずつ当時に思いをはせてみれば価値が増大
しますね
本州の行って見たい箇所のいれて置いて下さい
当時鉱山は機械化もなく過酷と想像されますね
子供たちの教材としたいい観光地です
坑内は四季を通じて13℃、やはりこの時期では
とても寒かったです