花巻市にあるの宮沢賢治先生が自ら耕した畑「下ノ畑」で、宮城県浦戸諸島の野ノ島の種から育てた白菜が収穫されました。
北上川の側にある下ノ畑は、宮沢賢治先生が、その当時大変珍しかった白菜も栽培されました。 1926年に発表された詩集「春と修羅場」には「白菜畑」と題された詩が含まれています。「千の芝罘(チーフー)白菜は、はじけるばかりに砲弾なり・・・」、千株の白菜が並ぶイーハトーブの白菜畑は、まさに理想郷の夢の光景だったかもしれませんね。現在は下ノ畑保存会のみなさんによって耕し続けられています。
明成高等学校調理科・・高橋信壮先生は、みやぎの伝統野菜「白菜」の食文化を紐解いていたら、なんと宮沢賢治先生の「白菜畑」が書かれた2年前の1924年(大正12年)に発表された白菜の品種は松島湾の浦戸諸島から誕生した松島系品種だったのです。
もともと白菜は、中国から日本に渡来しました。しかし、それを日本の地に播いて栽培、採種した種からは丸く結球する白菜は半分くらいしか育ちませんでした。そこで、大正時代に入り、宮城県内の研究者らは他の植物と交配を防ぐため、松島湾の島々の隔離した環境でタネ採りを思いついたとか・・・この試みは見事成功したのです。
宮城県美里町にある種苗会社 渡辺採種場の創業者が、浦戸諸島に暮らす人々や生産者の協力のもと「松島純ニ号」と名付けた良質なタネを全国に供給され、宮城県産の白菜は全国に出荷されたそうです。
大正時代の松島純2号の種が宮沢賢治先生の下の畑で育った時代にタイムスリップしました。 宮沢賢治先生の思いがツナガッタのではないでしょうかね・・・・そう妄想していたのはきっと私だけではなかったと思います。
その仕掛け人である、ふるさとの人と人、地域と人をツナゲル方・・・・高橋先生。
日本の白菜のふるさと「みやぎ」から多くを発信しています。
この日は、宮沢賢治先生の身内の方や、下ノ畑保存会のみなさん、花巻農業高等学校の生徒さん、花巻ロータリークラブの方、東京からは丸の内マルシェの方、明治大学の先生や農文協、JA花巻の職員の方、盛岡めんこいテレビ、盛岡NHKのみなさん、宮城からは明成高等学校の生徒さん、蜂屋食品の専務さん、松島白菜応援し隊としてワタシね。
花巻は雪がちらちらととても寒い日でした。手がまっかっかになるほど。
種別に白菜を置いていきました。味が微妙に違う白菜です。
収穫後、花巻農業高等学校で交流会がありました!
下ノ畑から車で10分くらいの花巻空港近くに学校があります。この花巻農業高等学校には・・・なんと・・・・
シャーロックホームズ???イエイエ・・・
宮沢賢治先生がおられます。・・・・・なんでもベートーベンが好きだったようですよ。なんか似てますかね
そして、学校敷地内には・・・・賢治先生のおうちまで。
ほらね、賢治先生は下ノ畑に行ってくるど~~~ってね。
偉いね・・・・ちゃんとわかるように書いてくれるのですから・・・
あとは、学校内には川も流れてましたよ・・・・びっくりですよ。
生徒さんによる「鹿踊り」でお出迎えされました。この鹿踊りは全国大会出場するほどの素晴らしいものでした。
女子の方がニ名いて、かぶりものだけでも13キロもあります。すごいです。全国大会頑張れ!!
さて、松島白菜の物語から、賢治ワールド、花巻白菜へとツナガッテの話を高橋先生から語られました。
宮沢賢治先生の弟・清六さんのお孫さんで、宮沢賢治先生にまつわるさまざまな取り組み をされている、林風舎代表取締役の宮澤和樹さんにもお話をきくことができました。笑顔の素敵な方です。蜂屋さんと月本先生です。
前日からの仕込みをし、朝早くから昼食準備をした調理科の三浦先生や生徒さん達が用意してくれた白菜フルコースをごちそうになりました。
こちらは、テレビ用に作ってくれました。白菜入りクリームシチューはバターは使わず、米粉入りヘルシーシチューと白菜入りトン汁、白菜漬けのご飯です。葉っぱは学校の裏にはから集めてきました。コーディネートばっちりですよね。
実際は、スキヤキや、白菜の漬物、デザートもつきました。もう満足なり!!
宮沢賢治先生のお店にも訪問!
素敵な空間でした・・・花巻駅からすぐですよ・・・・ぜひ行ってみてくださいね。
記念に・・・はい、は・く・さ・い~~~~!
縁あって・・・白菜のふるさと「みやぎ」から多くの「出会い」「ツナガリ」がありました。
郷土に伝わる古き良きものを「これから」に生かして発信してイキタイ・・・・ですね。
新たな出会いに感謝!アリガトウ。
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