Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「銀河鉄道の夜」宮澤賢治著(新潮社)

2009-12-22 | 日本の作家
「銀河鉄道の夜」宮澤賢治著(新潮社)を再読しました。
大好きな作品で何度も再読しているのですが、寒くなり空が澄んでくると読みたくなります。この作品の舞台自体は夏の夜なのですが。
今回の再読では、ジョバンニのセリフに対する解釈が少し変わりました。

ジョバンニが何度もカンパネルラに語りかける言葉。
「どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう」

以前はこの言葉を、ジョバンニの死者に対する片思い、かなえられない独占欲、乗り越えるべき想い、と私は感じていました。

列車に乗っている時点ではジョバンニははっきりとカンパネルラを死者とは認識していませんが、ほかの乗客たちは死者であり、カンパネルラも彼らと同じ切符を持っていたことで、ジョバンニも心の底ではうすうすと察していたのではないかと思います。

でもこのセリフは、カンパネルラが「本当はどこまでも生きてすすんでいきたかったけれど」という、口には出せない想いを、ジョバンニが代わりに言葉にしてあげたのではないかと。
たくさんの未来が待っていたはずの、幼い少年のカンパネルラが命を落とす。
ジョバンニの心の底には、カンパネルラの心の痛みを引き受け、「僕は君がいつまでも隣に一緒に生きていると思って、進んでいくよ」という思いがあったのではないでしょうか。

そう思うと、この言葉がジョバンニのエゴではなく、決して死者を忘れないという、彼の覚悟の言葉に思えてきました。

今まではこの作品を「ジョバンニの心の旅」と捉え、カンパネルラは善行を成して死んだのだから自身の死を納得している、と受け止めていました。
でも・・・再読するとまた別の読み方もできるのですから不思議です。
ひとつの扉の奥にいくつもの扉が隠れているのが「読み継がれていく本」なのでしょうね。

もし死者にもう一度だけ会えるとしたら、多くの人は何を伝えるでしょうか。
多分「ありがとう」。
もしくは、「ごめんね」。

宮澤賢治は「銀河鉄道の夜」の中で、彼にしか描けない美しく透明な空を走る幻想の列車を走らせることで、死者に想いを伝えようとしたのではないかと思います。


ブログに掲載した画像は新潮社文庫版ですが、私の読んだものは昔の角川文庫版、ブルカロニ博士が登場する版です。
でも個人的には博士が登場しない最終形の方がういろいろな解釈ができるので、私は好きです。次にこの本を開くのはいつかな。楽しみです。

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