Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「落照の獄」小野不由美著(新潮社)

2009-10-12 | 日本の作家
雑誌「yomyom 2009年10月号」を読みました。
読みたかったのは小野不由美さん、十二国記の最新作「落照の獄」!
まだ雑誌のほかの記事は読んでないのですが、ひとまず上記作品の感想だけ先に。
内容について触れますので、未読の方はご注意ください。

舞台は北方の国・柳国。
司刑である瑛庚(えいこう)は連日思い悩んでいました。
8歳の男児・駿良(しゅんりょう)が狩獺(しゅだつ)という男に殺されます。
彼は16件の犯罪、計23人の人間を殺し、駿良を殺したのも小銭のためでした。
主上の意向によりながらく殺刑が行われていなかった柳国ですが、主上は今回の判断を司法に一任します。


フィクションの世界ではなく現実の世界でも、たとえば幼児を何人も無差別に殺害した男、自分は手をくださず信者たちに命令することで一般人を死にいたらしめた男。そのような人間に極刑は当たり前、と今まで私は特に疑問も覚えず「反射」として感じてきました。
でもそれは「人(司法)が犯人を殺すことに決めた」と認識していたのではなく、「天罰」というように感じていたように思います。

でも、もし自分が裁判員だったら?
非道な犯罪に対して、本当に死刑の判決をくだせるのだろうか・・・?

裁判員制度が始まった今、私にとっても本当にひとごとではない問題です。
審議をする瑛庚たち3人の議論にひとつひとつ頷きながら読みました。
作者である小野さんも、自問自答し、深く苦悩しながら書いたのではないでしょうか。

「殺罪には殺刑を、これが理屈ではない反射であるのと同様、殺刑は即ち殺人だと忌避する感情も理屈ではない反射なのでしょう。
どちらも理ではなく本能に近い主観に過ぎませんが、その重みはたぶん等しいのではないかと。」

最後、殺刑か否か、瑛庚ら、刑獄を担当する3人の意見が決まります。

悪と認識して悪に魅入られる。
人に嫌悪され、人を恐れさせることに生きがいを感じる人間がいる。
自らが長い時間をかけて自分自身をそう育ててきた。
悪行を働くことに微塵も疑問も、ましてや悔いなど感じない。

人々は狩獺を「けだもの」と呼びましたが、皮肉な言い方ですが彼は非常に人間的です。「けだもの」であれば自ら選んで不必要な悪を成すことはないからです。
そのように常には受け入れがたい「人間」の残忍さを、どう裁くのか。

判決がくだされて事件は終わり、ではありません。
裁いた者、裁かれた者、そしてそれを見守る市井の人々、狩獺のようなほかの人間、すべての者たちにつながっていく。

人が人を裁く。
それは本当に難しいことです・・・。
普段「感情」として見ている事件についても、深く「思考」させられる作品でした。


「酔郷譚」倉橋由美子著(河出書房新社)

2009-10-02 | 日本の作家
「酔郷譚(すいきょうたん)」倉橋由美子著(河出書房新社)を読みました。
著者が「サントリークォータリー」に連載していた連作小説。遺作です。
慧君がかたむけるグラスの向こうに広がる夢幻と幽玄の世界。
登場人物は「よもつひらさか往還」と同じだそうです。

バーテンダーの九鬼(くき)さんが出す色鮮やかな魔酒。
「途中は省略して」
桜の咲く山へ、月世界へ、石魚にのり湖へ。

「そういえばこの桜の下には山の上の冷気とは別の暖気がこもっている。無数に集まった満開の花が豆電球のようにかすかな熱を出しているのかもしれない。いや、熱だけではない。花は微弱な光を放っているようでもある。」

「街は月光にひたされている。そして夏とは違う風が冷たい水のように、しかし石のように乾いて、街をめぐっている。その風の流れのままに塀について塀を曲がり、壁について壁を曲がると、そこは秋風の溜まり場のような中庭になっていた。金木犀と銀木犀が対になってドーム形に葉を茂らせ、花の香りを放っている。」

美しく、幻想的でエロチックな体験の数々。
中国の故事や俳句、西行から一休僧正、思いはあちこちに漂います。

「薄い皮膜を隔ててあちらの世界に触れるところまで行って、そこをうろうろするのが酔郷に遊ぶということでしょう。ちょうど波長の長い波に乗って漂うように。」

異世界に迷い込む怖さはあるけれど・・・こんな風にお酒に、景色に酔ってみたい。

「悪人」吉田修一著(朝日新聞社)

2009-09-30 | 日本の作家
「悪人」吉田修一著(朝日新聞社)を読みました。
保険外交員の女・石橋佳乃が殺害されます。
彼女と携帯サイトで知り合った男が捜査線上に浮かびます。
そして彼と出会ったもう一人の女。
加害者と被害者、それぞれの家族たち。
なぜ、事件は起きたのか?悪人とはいったい誰なのか。
朝日新聞で連載されていた小説を単行本化した長編小説です。装丁からインパクト大。
内容について触れますので、未読の方はご注意ください。

無口な土木作業員の清水祐一。
彼は罪を犯しますが、作品を読んでいくと「善人が、運命の不幸なめぐりあわせで法に触れる行いをしてしまった」ように思えます。
母親に金をせびったり、最後に光代の首をしめたのも「本意ではない。けれどむしろ自分を「悪人」と憎んでくれ。自分に罪悪感を抱かないでくれ」という、彼の悲痛な願いであろうと。
そして結局法には問われなかったけど、一番の悪人は、佳乃を峠に置き去りにした増尾ではないか?・・・。
こういう読み方が、この作品で多くの人が抱く感想であろうと思います。

でも・・・ひんしゅく覚悟で言いますが、私は増尾という人物が完全に悪人とは思えないのです。
結局は小心者で、親の財力だけで皆の注目を浴びている、学生の仲間内の中だけのお山の大将ですから。

佳乃や彼女の父親を仲間内の笑いものにしたことは彼の、本当に唾棄すべき卑劣な面ですが、自分が罪から逃れようと狼狽し逃走したことや、警察で泣き喚いたことへの決まり悪さを自分で打ち消したくて、事件のことを笑いものにでもしないと自分のつまらないプライドが保てなかったのではないでしょうか。

それが彼が若かりし日の傲慢さであり、月日がたてば「あの時自分はなんて思いやりのない、ばかなことをしたのか。」と気づき、後悔するであろうことを願うばかりです。

そして一方、殺された佳乃について。
彼女もみえっぱりで嘘が多くて、あまり好感が持てる女性ではありません。まぁ、それぞれの嘘は誰もが日常的につきうる小さなものではありますが。

三瀬峠でのできごと。

増尾がした行為は暴力的で自分勝手で残酷なものであったけれど、佳乃を攻撃する「あんた、安っぽか。」というセリフに、私自身、読んでいて胸がすくものがあったことも事実。
増尾はこのほかにも観光客相手で高いだけのラーメン屋で「ごちそうさん、まずかった。」といって店の雰囲気を悪くするなどかなりの毒舌です。
でも彼の、人の事情を考慮しない言葉に鶴田が小気味よさを感じたことに私も共感してしまいます。

佳乃が増尾の自動車を下ろされた直後、祐一にぶつけた怒りはまさにやつあたり。
「レイプされたって言ってやる!」という言葉は本当は増尾にぶつけたかったものでしょう。自分がみじめで、恥ずかしくて悔しくて。

もし増尾にレイプの冤罪がかけられていたとしたら?
きっと学友たちは「さもありなん」という態度で彼から離れていっただけでしょう。そこで増尾は自分の傲慢さに気づくかもしれなかった。

または、あの三瀬峠で車を下ろされた佳乃が、そのまま自分で歩いて峠をくだってきていたら運命はどう変わったでしょう?
始めはくやしさでいっぱいだったとしても、増尾の言葉が自分の中に突き刺さり、自分の今までを恥ずかしく思い、彼女の何かが変わったかもしれません。

そんなふたりの小悪党たちのごたごたで終わるはずだった峠のできごと。
しかしそこにまきこまれてしまった祐一。
本当に可哀想です・・・。

それぞれの登場人物たちがみな嘘や隠し事を重ね、小さな悪を日々繰り返して生きている。そのひずみの中に祐一が落ち込んでしまった。
そんな運命の皮肉さを思った作品でした。



「ザ・万歩計」万城目学著(産業編集センター)

2009-09-29 | 日本の作家
「ザ・万歩計」万城目学著(産業編集センター)を読みました。
マキメさんの日々をつづった初のエッセイ集です。
CHAGE&MAKIME&ASKAになってしまわないよう邦楽アーチストをかけない執筆部屋。
「渡辺篤史の建もの探訪」への愛。(この番組を雑誌にしたムックにも、マキメさんが寄稿されてましたね。)
黒い稲妻(ゴキ)との闘い
など、爆笑必死のエッセイの数々!
ヴェネツィア映画祭にまつわるトラブルの話や、モンゴルのタイガで暮らした話など、興味深いエピソードも盛りだくさんです。
「Fantastic FactoryⅠ」はそれだけで一編の短篇小説のような、リアルな思い出なのに幻想的&叙情的で素敵なエッセイでした。

マキメさんの大学時代の思い出を語った一文。
「おもしろいの、それ?と訊ねるとやはり、おもしろくない、と返ってきた。それでも最後まで読みたいから、と彼は言った。
おもしろくなくても読む。何はともあれ読む。
それが極めてぜいたくな時間の使い方であると知ったのは、私が三十歳になってからのことだ。
だが、そのときはそれがわからない。何も考えず、じゃっぶじゃぶ湯水のように貴重な時間を浪費する。それが若さの美しいところであり、憎たらしいところでもある。」

私もマキメさんと同年代なのでこの文章に共感しました。
私も学生時代は読んでいて「これ難解過ぎ・・・」な本でも最後まで読んでいたけれど、最近は途中で切り上げる決断を覚えてしまいました。

ただただ無為に時間を過ごす青春。
でも「『無駄』に時間を使う」という体験は学生の時しかできないよなぁとも実感します。
「若い私たちが今、やるべきことって何?」ともし聞かれたら、「勉強しろ」や「何かひとつ、夢中になれることを見つけろ」などの答えに並行して、「友達の家でつるんでとにかくだらだらしろ」もひじょ~に重要!
前者は社会人になってからでも自主的にできるけれど、後者は社会人2~3年目にもなるとそんなことにつきあってくれる友達がいなくなるし、自分自身も(物理的にも気分的にも)できなくなるので。

装画はいつも万城目さんの本の装丁でおなじみの石居麻耶さん。
エッシャーのだまし絵を下敷きにしており、いつもの色鉛筆風の素人的な絵とはまた違った感じで面白いです。そして万城目さんの似顔絵、激似。
黒猫や黄色い鳥、6とb、(森見さんからの?)おともだちパンチなどいろいろな仕掛けがあってふふふです。

「ドグラ・マグラ(上)」夢野久作著(角川書店)

2009-09-25 | 日本の作家
「ドグラ・マグラ(上)」夢野久作著(角川書店)を読みました。
昭和十年一月に書下し自費出版されたこの作品。
狂人の書いた推理小説という異常な状況設定の中に著者の思想、知識を集大成する、「日本一幻魔怪奇の本格探偵小説」とうたわれた、歴史的一大奇書だそうです。
舞台は大正15年頃の、九州帝国大学医学部精神病科の独房。
物語はそこに閉じ込められた若き精神病患者の「私」が目覚める場面で始まります。彼は記憶を失くしているのですが、過去に発生した凄惨な事件と何らかの関わりがあるらしく、物語が進むにつれて、謎に包まれた事件の概要が明らかになっていきます。
胎内で胎児が育つ十ヶ月は、数十億年の万有進化の大悪夢の内にあるという壮大な論文「胎児の夢」。
「脳髄は物を考える処に非ず」と主張する「脳髄論」。
入れられたら死ぬまで出られない精神病院の恐ろしさを歌った「キチガイ地獄外道祭文」などが作中作として登場します。

「ドグラ・マグラ」とは切支丹伴天連(キリシタンバテレン)の使う幻魔術のことを指した長崎地方の方言だそうで、「堂廻目眩(どうぐらみ めぐらみ)」という漢字を当ててもいいという話で、はっきりしたことは判明しない言葉とのことです。
米倉斉加年(まさかね)さんの装画もエロティックで不気味。

正木博士という人物が考案した「狂人の解放治療」が独特です。
「人類全部がキチガイといってもいい。だから我輩もその世の中の小さな模型をつくって、「無薬の解放治療」を試みる。」
そこにいるらしい「私」。そして隣室に眠る美少女モヨコ。(「私」が殺そうとした婚約者らしい)。
「私」は殺人者なのか?
それともそれは博士が植えつけようとした捏造の記憶なのか?

主ストーリーに入れ子になっている学術論文や遺言書などが難しくて私の頭脳では理解不能・・・。ごめんなさい、上巻でギブです・・・。

「きのうの世界」恩田陸著(講談社)

2009-09-25 | 日本の作家
「きのうの世界」恩田陸著(講談社)を読みました。
失踪した男は遠く離れた場所で殺されていた。
霜の降りるような寒い朝、町はずれの「水無月橋」。
一年前に失踪したはずの男は、なぜここで殺されたのか。
バス停に捨てられていた地図に残された赤い矢印は?
塔と水路の町で起こった事件と町の秘密が次第に明らかになります。
ネタバレありますので、未読の方はご注意ください。

驚異的な記憶力を持つ市川吾郎。
彼が最期を迎えた町の謎と、彼の能力がリンクして語られます。
地図が立体化して見える能力。
そしてそれが進んで実際の景色も地図のように見えるように。
そしてそれがさらに進んで・・・。

殺人事件の結末は『ネクロポリス』でも感じたことですが、ちょっと不満かな。
犯人や事件を異界のものごとにしてしまえば整合性という言葉の意味もなくなり、何でもアリになってしまうので。
このラストだったら、むしろ「謎解き」の要素はもっと薄くして、吾郎の不思議な能力と人生に絞った方がよかった気もします。
でも全体的に見たら、一気に読んでしまった面白い本でした。

「鹿男あをによし」万城目学著(幻冬舎)

2009-09-20 | 日本の作家
「鹿男あをによし」万城目学著(幻冬舎)を読みました。
「さあ、神無月だ 出番だよ、先生」。
二学期限定で奈良の女子高に赴任した「おれ」。ちょっぴり神経質な彼に下された、空前絶後の救国指令。
「鴨川ホルモー」は京都が舞台ですが、この作品の舞台は奈良。
「鴨川~」と同じく古くからの時代の歴史と現在が重なり合う荒唐無稽なお話です。著者自身が「法螺話」と言うのがよくわかる。
鹿がしゃべったり狐や鼠がでてきたり、顔が鹿になってしまったり!
奈良の歴史のほか、漱石の「坊ちゃん」のパロディのような場面もあり、楽しい仕掛けがたくさんあります。

玉木宏さん主演でドラマ化されていますが、綾瀬はるかさんが演じていた同僚の藤原先生(かりんとう)は原作では男性です。私は原作の方が好きかな。

鹿に命じられ「目」の運び番となった俺。
「目」の持つ意味とは?
生徒・堀田イトの秘密とは?
「俺」は無事日本を救えるのか?

万城目さんの作品、私には鬼門かも・・・面白すぎて夜更かししてしまう。
三都物語の最後、最新作の「プリンセス・トヨトミ」も早く読みたいです。


「ラッシュライフ」伊坂幸太郎著(新潮社)

2009-09-12 | 日本の作家
「ラッシュライフ」伊坂幸太郎著(新潮社)を読みました。
泥棒を生業とする男・黒澤は新たなカモを物色する。
父に自殺された青年・河原崎は神に憧れる。
女性カウンセラー・京子は不倫相手との再婚を企む。
職を失い家族に見捨てられた男・豊田は野良犬を拾う。
幕間には歩くバラバラ死体登場。
並走する四つの物語、交錯する十以上の人生、その果てに待つ意外な未来。
不思議な人物、先の読めない展開。
エッシャーの騙し絵のような凝った構成の物語です。

ある人物の話に出てくる脇役が、別の話の主役になったり、きっかけになったり。
犬や拳銃や宝くじ、金髪の女性がいろんな人の話に登場したり。
各話の時系列が一定ではないので「あのときのあの人が、この人か!」という驚きがいくつもあって面白かったです。
終盤はまさにジグソーパズルの残りピースがすぱすぱはまっていくような快感。
本人たちはそのつながりを知らないけれど、全体を見渡したらこれはまさに「神様のレシピ」。
自ら進んで罪を犯す者、犯さざるを得なかった者、犯すのをふみとどまる者。
窃盗、強盗、傷害、殺人・・・神は誰を選び誰を動かすのか、小説では興味深く面白いけれど、実際の世界もこのように神の見えざる手でつくりあげられているのだと思うと、なんだか怖ろしい。

いくつもの交差する人生の中でも、泥棒・黒澤の言葉はとりわけ印象的でした。

「考えるんだ。みんな考えてはいないんだ。思いついて終わりだ。激昂して終わり、あきらめて終わり、叫んで終わり、しかって終わり、お茶を濁して終わりだ。その次に考えなくてはいけないことを考えないんだ。テレビばっかり観ることに慣れて、思考停止だ。感じることはあっても考えない。」

「人生については誰もがアマチュアなんだよ。誰だって初参加なんだ。はじめて試合に出た新人が、失敗して落ち込むなよ。」

自分の生き方を見つめ、言動に余裕がある黒澤にも強く惹かれますが、実際には人生の苦難に振り回されやぶれかぶれになりながらも、人生に立ち向かっていこうとする豊田に共感してしまうかな。

無職で家族からも見放された中年男・豊田の言葉。

「これは手放してはいけない気がするんです。譲ってはいけないもの。そういうものってありますよね?」

「幸福」というだけではない。もちろん「成功」や「勝つ」人生ではない。
「芳醇な人生(ラッシュライフ)」。

それは人生の甘みも苦味も自分で味わい受け止める人生と、私には感じられました。

「杳子・妻隠 」古井由吉著(新潮社)

2009-09-08 | 日本の作家
「杳子(ようこ)・妻隠(つまごみ) 」古井由吉(ふるい よしきち)著(新潮社)を読みました。
山でであった不思議な女性「杳子」。主人公は彼女と再会し、彼女が神経を病む大学生であることを知ります。
若い夫婦の日常を描いた「妻隠」が同時収録されています。

読み始めは「偶然出会った美しくミステリアスな美女」、男性の理想(妄想)、ありがちな恋愛話と思いました。
でも読み進めていくうちに杳子が「確信犯的なふしぎちゃん」ではなく、本当に私たちが日々当たり前にこなすことが意識しないとできない、特別な感覚を持っている女性なのだとわかります。

毎日決まったやり方でないと過ごせず、突発的な出来事に対応できない。
目的地までの道順を部分部分でしかとらえられず、全体的なものとして感じ取れない。
ナイフとフォークで物が食べられない。
日常に感じるさまざまな異的感覚。

「ほら、床が少し傾いていたら落ち着かないでしょう。そんなところでお茶を飲んだり、ごはんを食べたりするのはイヤだと思って、ちゃんとした場所に出ようとずんずん歩いていくのだけれど、どこまで行っても地面が傾きあがっていくんです。皆どうしてこんなところで暮らしていられるのって叫びたくなるけれど、皆平気そうなので、困ってしまう」

病理学的にとらえれば「この症状は○○」と何らかの病名がでるのでしょうが、その病名を知れば杳子という人間がわかるのかといえば、もちろんそうではありません。
しかも読んでいるうちにその症状がむしろ個性として、彼女のかわいらしさとして感じられてきます。

「お姉さんは健康になったのだろう。今では一家の主婦で二児の母じゃないか。」
「それが厭なの。昔のことをすっかり忘れてしまって、それであたしの病気を気味悪そうに見るのよ」

杳子の症状は確かに日常に困難をもたらすけれど、「健康こそ正なること、目指すべきもの」なのかどうか・・・。
私が実際に杳子に出会ったとしたら彼女のことを「治すべき人」としてみてしまうのか、彼女と同じような症状の人たちのことも、もっと知って理解したいなぁと思いました。



「姑獲鳥の夏」京極夏彦著(講談社)

2009-09-06 | 日本の作家
「姑獲鳥(うぶめ)の夏」京極夏彦著(講談社)を読みました。
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
古書店主にして陰陽師(おんみょうじ)、京極堂こと中尊寺秋彦が憑物を落とし事件を解きほぐす。東京・雑司ヶ谷(ぞうしがや)の久遠寺医院に奇怪な噂が流れます。娘は20箇月も身籠ったままで、その夫は密室から失踪。文士・関口や探偵・榎木津(えのきづ)らの推理を超え、事件は意外な結末へ向かいます。
京極堂シリーズの第一弾。ラストについて少し触れます。ご注意ください。

文庫版表紙の荒井良さん作のうぶめの人形が美しく怪しい。
京極夏彦さんの作品を読むのはこれが初めてですが、時代設定や、怪異と現実が交差する物語から江戸川乱歩が連想されました。

異常な懐妊、蛙の顔をした赤ん坊、人の記憶が見える男、憑き物筋、ダチュラ、ホムンクルス、仮想現実、密室失踪(殺人?)・・・と不気味な要素が盛りだくさん。
恋文の謎などは小説を読んでいてかなり早い時期に「多分こういうことだろうな」と読者としての予測はたつのですが、当の語り手関口の記憶があいまいなので、謎解き小説に加えて、自身の不可思議な記憶の穴を埋めていく心理小説に近いような、いろいろな要素を持つ物語でした。

密室殺人の真相については正直「なんだそりゃ」という印象。
でも、今見えている事件は、当人がもっと幼少の頃からの、さらにもっと前の世代からの因縁をひきずっての悲劇である・・・ずるずると尻尾しか見えなかった化け物の体が現れるような感じは圧倒的でした。