「杳子(ようこ)・妻隠(つまごみ) 」古井由吉(ふるい よしきち)著(新潮社)を読みました。
山でであった不思議な女性「杳子」。主人公は彼女と再会し、彼女が神経を病む大学生であることを知ります。
若い夫婦の日常を描いた「妻隠」が同時収録されています。
読み始めは「偶然出会った美しくミステリアスな美女」、男性の理想(妄想)、ありがちな恋愛話と思いました。
でも読み進めていくうちに杳子が「確信犯的なふしぎちゃん」ではなく、本当に私たちが日々当たり前にこなすことが意識しないとできない、特別な感覚を持っている女性なのだとわかります。
毎日決まったやり方でないと過ごせず、突発的な出来事に対応できない。
目的地までの道順を部分部分でしかとらえられず、全体的なものとして感じ取れない。
ナイフとフォークで物が食べられない。
日常に感じるさまざまな異的感覚。
「ほら、床が少し傾いていたら落ち着かないでしょう。そんなところでお茶を飲んだり、ごはんを食べたりするのはイヤだと思って、ちゃんとした場所に出ようとずんずん歩いていくのだけれど、どこまで行っても地面が傾きあがっていくんです。皆どうしてこんなところで暮らしていられるのって叫びたくなるけれど、皆平気そうなので、困ってしまう」
病理学的にとらえれば「この症状は○○」と何らかの病名がでるのでしょうが、その病名を知れば杳子という人間がわかるのかといえば、もちろんそうではありません。
しかも読んでいるうちにその症状がむしろ個性として、彼女のかわいらしさとして感じられてきます。
「お姉さんは健康になったのだろう。今では一家の主婦で二児の母じゃないか。」
「それが厭なの。昔のことをすっかり忘れてしまって、それであたしの病気を気味悪そうに見るのよ」
杳子の症状は確かに日常に困難をもたらすけれど、「健康こそ正なること、目指すべきもの」なのかどうか・・・。
私が実際に杳子に出会ったとしたら彼女のことを「治すべき人」としてみてしまうのか、彼女と同じような症状の人たちのことも、もっと知って理解したいなぁと思いました。
山でであった不思議な女性「杳子」。主人公は彼女と再会し、彼女が神経を病む大学生であることを知ります。
若い夫婦の日常を描いた「妻隠」が同時収録されています。
読み始めは「偶然出会った美しくミステリアスな美女」、男性の理想(妄想)、ありがちな恋愛話と思いました。
でも読み進めていくうちに杳子が「確信犯的なふしぎちゃん」ではなく、本当に私たちが日々当たり前にこなすことが意識しないとできない、特別な感覚を持っている女性なのだとわかります。
毎日決まったやり方でないと過ごせず、突発的な出来事に対応できない。
目的地までの道順を部分部分でしかとらえられず、全体的なものとして感じ取れない。
ナイフとフォークで物が食べられない。
日常に感じるさまざまな異的感覚。
「ほら、床が少し傾いていたら落ち着かないでしょう。そんなところでお茶を飲んだり、ごはんを食べたりするのはイヤだと思って、ちゃんとした場所に出ようとずんずん歩いていくのだけれど、どこまで行っても地面が傾きあがっていくんです。皆どうしてこんなところで暮らしていられるのって叫びたくなるけれど、皆平気そうなので、困ってしまう」
病理学的にとらえれば「この症状は○○」と何らかの病名がでるのでしょうが、その病名を知れば杳子という人間がわかるのかといえば、もちろんそうではありません。
しかも読んでいるうちにその症状がむしろ個性として、彼女のかわいらしさとして感じられてきます。
「お姉さんは健康になったのだろう。今では一家の主婦で二児の母じゃないか。」
「それが厭なの。昔のことをすっかり忘れてしまって、それであたしの病気を気味悪そうに見るのよ」
杳子の症状は確かに日常に困難をもたらすけれど、「健康こそ正なること、目指すべきもの」なのかどうか・・・。
私が実際に杳子に出会ったとしたら彼女のことを「治すべき人」としてみてしまうのか、彼女と同じような症状の人たちのことも、もっと知って理解したいなぁと思いました。