名古屋市電1400型の最後の生き残りとなった、豊橋鉄道3100形7両を紹介するシリーズも今回で4回目。
今日で折り返し点を迎えることになる。
今回は今夏「ビール電車」として走った3104を紹介する。
名古屋市電1468として1942年に製造され、先の3両と同じく1971年まで名古屋で活躍した後、豊橋へやってきた。
冷房化改造は1991年に実施されたが、角形尾灯への交換は実施されていない。
このため、豊橋にやってきた当時の姿を比較的残している。
今年の夏、二回豊橋入りして路面電車を撮っていたが、この3104は「ビール電車」として運行されていたため、昼間は全く運転されなかった。
近くで見る機会があったのは8月5日の撮影会の時ぐらいだった。
この日の3104は見学者に飲み物やおつまみを売る「売店」として使用されていた。
おかげで、「ビール電車」の車内を見ることができた。
そして8月28日にもう一度豊橋に行く機会があった。
この日が今年最後の「ビール電車」の運転日。
日も短くなり、撮影は段々厳しくなってきているが、出来るだけの事はやってみようと赤岩口へ向かった。
最初に、17時30分頃、赤岩口を出庫する3104を撮る。
「ビール電車」として走る時は、屋根の電飾が点灯する。
その「手作り感」が微笑ましくもあり、楽しい。
新川へ先回りして、電車を降り、駅前へ向かう「ビール電車」を撮影(トップの画像)。
撮影時刻は18時近く。
日が短くなりつつある状況では結構厳しい。
新川から駅前まで電車に乗るのも難なので、駅前まで歩いた。
歩くには丁度いい距離でもある。
そして、駅前のペデストリアンデッキから長時間停車する3104を俯瞰する形で撮影。
ここでの折り返し時間を長く設定することで「宴会」の時間を長くしている訳である。
この3104の広告主は「日の丸薬局」。
その名のとおり豊橋市内にチェーン店を展開する薬局だが、この本店に「とよはし市電を愛する会」の事務局が置かれている。
また、本店かどこか失念してしまったが、シャッターの絵柄がこの広告電車の正面イラストになっているという話を聞いたことがある。
そのぐらい、この店には豊橋の路面電車への思い入れがある事を物語っている。
ところで、今夏の「ビール電車」の運行を終えた3104は、その装飾を解いて再び昼間走りだしたようだ。
また、撮りに行けるといいなと思う。
今日で折り返し点を迎えることになる。
今回は今夏「ビール電車」として走った3104を紹介する。
名古屋市電1468として1942年に製造され、先の3両と同じく1971年まで名古屋で活躍した後、豊橋へやってきた。
冷房化改造は1991年に実施されたが、角形尾灯への交換は実施されていない。
このため、豊橋にやってきた当時の姿を比較的残している。
今年の夏、二回豊橋入りして路面電車を撮っていたが、この3104は「ビール電車」として運行されていたため、昼間は全く運転されなかった。
近くで見る機会があったのは8月5日の撮影会の時ぐらいだった。
この日の3104は見学者に飲み物やおつまみを売る「売店」として使用されていた。
おかげで、「ビール電車」の車内を見ることができた。
そして8月28日にもう一度豊橋に行く機会があった。
この日が今年最後の「ビール電車」の運転日。
日も短くなり、撮影は段々厳しくなってきているが、出来るだけの事はやってみようと赤岩口へ向かった。
最初に、17時30分頃、赤岩口を出庫する3104を撮る。
「ビール電車」として走る時は、屋根の電飾が点灯する。
その「手作り感」が微笑ましくもあり、楽しい。
新川へ先回りして、電車を降り、駅前へ向かう「ビール電車」を撮影(トップの画像)。
撮影時刻は18時近く。
日が短くなりつつある状況では結構厳しい。
新川から駅前まで電車に乗るのも難なので、駅前まで歩いた。
歩くには丁度いい距離でもある。
そして、駅前のペデストリアンデッキから長時間停車する3104を俯瞰する形で撮影。
ここでの折り返し時間を長く設定することで「宴会」の時間を長くしている訳である。
この3104の広告主は「日の丸薬局」。
その名のとおり豊橋市内にチェーン店を展開する薬局だが、この本店に「とよはし市電を愛する会」の事務局が置かれている。
また、本店かどこか失念してしまったが、シャッターの絵柄がこの広告電車の正面イラストになっているという話を聞いたことがある。
そのぐらい、この店には豊橋の路面電車への思い入れがある事を物語っている。
ところで、今夏の「ビール電車」の運行を終えた3104は、その装飾を解いて再び昼間走りだしたようだ。
また、撮りに行けるといいなと思う。