森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:変化球勝負

2010年09月23日 06時58分27秒 | 日記
長期遠征より昨日深夜奈良に帰りました.
博多を月曜に離れ,一路東京,千葉へ.
火曜日はフルーティストの齊藤さんにインタビュー兼対談を行いました.
齊藤さんはBouquet des Tonsのアンサンブルのメンバーで,
ベルサイユ音楽院,パリ・エコール・ノルマン音楽院で室内楽とふるーとを学ばれたお方.
パリの話は封印し,履歴,教育,身体感覚,アンサンブルのこと,などについて話しました.
吹奏感に関して,指の体性感覚,聞こえる音,そして横隔膜などの内部感覚の統合,不一致の意味について,楽しく話すことができました.
また力を抜くことの意識の持ちよう,なんかはセラピストに聞いてもらいたいたく,
いかにリハビリテーションが単純に力を入れろ!という指示しか出していないと思うと,
とても情けなく思えました.
オリバーサックスもそれは嫌気がさすでしょう(左足をとりもどすまで).
彼は新著「ミュージコフィリア」でも才能あふれる著述をしています.

音が鳴らないというフィードバックがあるということは逆にうらやましく,
力を入れなくても入れすぎてもいい音がならないというフィードバックは教育する上で大変重要な戦力になると思いました.

翌日,水曜日は同じくBouquet des Tonsのメンバー,ピアニスト,チェンバロ奏者の猿渡さんにインタビュー・対談.
初めて,チェンバロを見て聴いて,その音の新鮮さに喜びの感情が生まれました.
チャンバロはピアノのように弦を打つのではなく,弦をはじく構造になっており,
弦楽器の音であり,鍵盤の構造は一緒でも音がこんなにも違うのかと初めて知りました.
それをたとえ,文章で見てもわからず,肌で感じるということはそういうことで,
いくらバーチャルな技術が発展して,身体感覚や五感に近づけたとしても,
このわたしにとっての第六感をくすぐることは絶対にないと断言できました.

基本的に芸術やスポーツは人間が行うものであり,
特に芸術活動においては,イメージ,創造性が重要であり,
この第六感なしでは,始まらないわけであって,
芸術は人間しか生み出せないものであり,
特に音楽は総合芸術であり,
ただ創作活動でなく,そこに道具,コミュニケーション,
そしてなによりも共鳴現象が起こるというのは,
まさにそのもの自体が人間の身体と脳そのものなのです.

今度の脳を学ぶ(3)~音楽家との対談~は,
音楽と脳という小さいテーマでなく,
音楽家自身をクローズアップすることで,人間に迫ろうとするものです.
小さい枠組みで,人間をとらえ治療している人は,
おそらくその意味が理解できないと思いますが,
人間を知る(知りたい)という大前提がないと,
高次な医療サービスであるリハビリテーションは展開できないと思うのです.

さて,猿渡さんとの対談は,奏法,特に右手ー左手の分離,
そして,指先1本1本への意識,
さらには読譜における視覚ー体性感覚,さらには右手,左手と譜面の上下の関係など,
それらが学習プロセスでどのように習熟していくのか,など,
運動―行為の学習において大変興味深いお話が聴けました.
運動学習の諸問題において,よく鍵盤の操作が取り上げられます.
その問題に迫ることができればと思います.
姿勢,そして聴覚フィードバック,
さらにはイメージをもって臨む,イメージの立ち上がり,など斎藤さんとの共通項もありますが,まさに奏法の獲得は,人間の身体行為において,情報処理の脳,感情の脳,そして実行の脳をまんべんなく使い,それが習熟するプロセスにおいて絶妙にかかわっていく基底核や小脳など,楽器を演奏するプロセスは,まさに運動学習を研究するものにとってはとてもためになり,おししい話を聞くことができました.
そこには報酬学習も必要なのですが,
まさに演奏するということは外部評価による報酬でなく,
自己報酬系の作動であると思い,
だからこそ,いろんな教育に音楽や創作活動が行われているのだと改めて知り得ました.
今の教育は,そういう面で,大きな間違いをしています.
客観性のなのもと,外部評価ばかりを報酬とする,
まさに人間の本質を失おうとする序章が来たのではないかと,
不安でたまりません.
だから,学校は面白くないんだと,これまた改めて納得し,
そもそも金銭欲にまみれたこの社会.
売れるために音楽をするという本末転倒なこの志向性.
音楽業界でなくでなく,教育にも同じ.
自己評価よりも,外部評価,そして,質よりも数.
何人入れたかが重要.
もはや大学は予備校なのかといろんな記事をみて目を疑い,耳を疑いますが,
競争社会を日本は選んだわけであって,それをどうのこうの言うつもりはないのですが,
日本人の良さ「まあまあ」というのがなくなり,
そもそも,このような競争社会は日本人の精神には向いていないのではないかと思うのです.
いじめ~自殺~犯罪など,日本が抱えている「結果」とししての問題は,
こうしたプロセスから生まれる結果ではないかと思い,
結果を見て修正するのは対症療法しかならない,あるいはそれにもなってないような気がします.
まさに,脳卒中後のまひの回復への,麻痺(結果)に対する物理的刺激でしかなく,
根本的な問題を封印してしまい,結局は10年後も同じなんだろうなと思うと,
もはやこの科学的問題は根深いと思い,
匙を投げたい気分にもなります.


寺子屋のような教育が復活することは?・・・もはや現代社会にはないと思い,
いよいよ人間はエピローグを迎える道を歩んでいくのかと思い,
身ぶるえしました.
映画「BECK」でもそのようなことを思いました.
(ストーリーは超ベタでしたが・・)

音楽はそもそも金をとらないものです.


いずれにしても,このように他の業界の方々と話すと,
私自身が相互作用することで,エマージェンスされる場が多々あります.
残念ながら同業種にはなくなりつつあり,
自分が成長するためには,少々背伸びしてでも,
そういう人から意見をもらい,
この社会について考え,
微力ながら,少し道を耕し続けないと,
どうにもならないと思っています.
私は,直球での勝負は好みませんので,
変化球を駆使しながら,意味を伝えることをしていこうと改めて思いました.

脳を学ぶ(3)スタートです.


追伸:昨日の帰りの新幹線でメールを昔の仲間に送信.来年,3月12日,13日のどっちかでライブをすると思います.しかし,移動移動の日々.肉体は重いが,精神は軽い,だから結構,いけてる.


日記:連休中に移動する情動

2010年09月21日 09時58分20秒 | 日記
日曜日は身体運動学セミナー講演のために福岡に向かいました。
本来ならば土曜日から入り、症例報告を聞いて、それに基づき自らの講演を構成するという役割でしたが、急きょ、土曜日に所用が入り、それまでに皆さんの症例報告の内容を見て、それで構成しました。
ただし、視覚の情報しか入れておらず、
その時のライブにおける相互作用を楽しむかのような感覚の情報のリアルタイムの変化がなく、少しずれてたかもしれませんが、ご容赦ください。
ある程度は皆さんの病態に合わせた脳科学の提供でした。
内容は、小脳の長期抑圧、内部モデル、
運動前野と頭頂連合野の働きに基づく上肢到達・把握・操作運動、
歩行の神経科学でした。


山本先生、樋口先生の講演が聴けずに残念でした。
またのコラボを楽しみにしています。
樋口先生とは四国理学療法士学会でのコラボがあるので
その時を楽しみにしています。

私のほうはその晩は博多に泊り、
翌日、博多から東京まで連休もあってか新幹線で来ました。
新幹線で博多‐東京は初めてです。

夜の入りで、少々疲れましたが、
京都駅から近藤真彦さんがグリーン車に乗ってきたため、
少しミーハー気分になり、情動が動きました。
常に人の視線を気にするという芸能人の脳は?と考えました。

今から、「脳を学ぶ(3)」に向けた対談を開始します。


第45回日本理学療法士協会全国学術研修大会in 愛媛

2010年09月20日 06時52分25秒 | インフォメーション
第45回日本理学療法士協会全国学術研修大会
日時:22年10月1日(金)~10月2日(土)
場所:愛媛県県民文化会館
愛媛県松山市道後町2丁目5-1
TEL:089-923-5111(代)

10月1日 8:40~9:40
教育セミナー① 「脳から見た動作分析」
講師:森岡 周(畿央大学)
司会:鶴埜 益巳(高知医療学院)

10月2日 10:20~11:50
疾患別セミナー 脳②「脳血管疾患急性期の基本的アプローチとその効果判定」
講師:吉尾 雅春(千里リハビリテーション病院)
司会:森岡 周(畿央大学)

教室が決まりました

2010年09月19日 06時31分32秒 | インフォメーション
1 ) 2010年度 畿央大学ニューロリハビリテーション 夏季セミナー

日 時:9月28日(火)18:30~20:00 
テーマ:脳波の概要とその解析方法
場 所:畿央大学(L棟102教室)
講 師:福岡和白リハビリテーション学院 教務部長 兒玉 隆之 先生
    (久留米大学高次脳疾患研究所)
受講費:無料



2) 2010年度 畿央大学ニューロリハビリテーション 秋季セミナー

日 時:10月19日(火)18:30~20:30 
テーマ:知覚・認知からみた身体運動学
場 所:畿央大学(L棟101教室)
講 師:首都大学東京人間健康科学研究科 准教授 樋口 貴広 先生
受講費:無料


受講希望者は下記までメール(所属先、職種、氏名を明記の上)をください。
なお、1)2)の両方参加か、片方 1)or2)だけかもお知らせください。
sssr_morimori@yahoo.co.jp


もうすでに締め切りました.
応募された方,全員の受講を認めます.

キャンパスマップ

こうむらに触発されて・・・

2010年09月18日 00時33分43秒 | 音楽
私の現在の使用モデルです.
20年以上の付き合いのフェンダー・プレベと2年のフェンダー・ジャズべ.
最初は25年近く前のフェルナンデスプレベ(黒)だった.
その後,フェンダー・プレベ(白),そして現在のべっ甲に渡り歩いてきた.
ピックアップと,ピックガードなどかなり傷んでおり,アンプにはジャズべをつなぐことも多くなってきましたが,プレベの方が相性はいいです.


日記:典型的というものの拡張

2010年09月17日 06時49分28秒 | 日記
昨日は午前中は2年生の見学実習報告会.
様々な様相の施設にいってもらっているが,
彼ら彼女らが就職するころには,予防医学や
株式会社も含めてフィットネス産業など,
バリエーションに富む就職先があってほしいと思います.
もう自分の好きなことをやるのは,古臭いしきたりの場所でないほうがいい.
専門性はあるものにある意味固執することでもあるが,
それは極めて根深い問題でもあります.
それ以上の発展はないのであれば,衰退をたどるのみです.
治療に生きるというのも,聞こえはよく,格好いいのですが,
そういう職人,つまり伝統を守り続けるには,
ある意味,驚異的な技術が必要です.
いっぽう,それだけでなく,新たな分野に事業拡大していかないと,
他が参入し,知らない間にとってかわられます.
古臭いしきたりだけに固執するセラピストは,
今後はお荷物になるのかもしれません.
私は最近もっとグローバリゼーションに考えないといけないと思っています.
医者のように特化してしまうのはリハビリテーションは危険です.
リハビリテーションはグローバリゼーションそのものなんですから.

午後は3年生のゼミ.
今日は,渡久地君が周期運動におけるリズム形成,小出さんが音楽と脳活動,
藤原さんが一次運動野は運動出力に関与するのではなく,
運動計画に関与するという論文を紹介してくれました.
ここでは,信頼のおける論文とはどういうものなのか,
彼ら彼女らに伝えました.
日本の雑誌の研究はある意味,なんとでも捉える事ができ,
つまり,こうも考えられる,こうも考えられるというのが多く,
結局は自分たちの主張を考察でしているのが多いのです.
それに対して,英語論文は査読が厳しく,ある意味統制がとれており,
非常にシンプルなのです.
シンプリイズベストという言葉はまさに科学に美しさを与えてくれます.
私は主張合戦はほとほと嫌気がさしています.
いくらそれがデータをとっていても結局はそれを主張するためのデータ収集ですから.

その後,教授会,研究科委員会,学科会議と続き,大学院の応募が看護領域が入ったことで,順調.
会議後,急ぎ足でゼミの懇親会にでかけました.
今日が4年と3年の顔合わせ会です.
協力して実験に向かってもらいたいものです.


日記:6期生ゼミスタート

2010年09月16日 06時31分47秒 | 日記
昨日より,本年度配置された3年生のゼミがスタートしました.
今年配属されたのは6名.
筆保君,渡久地君,峯君,小出さん,田中さん,藤原さんで,
それぞれが独特の個性をもった6名です.
ゼミは仲良しクラブでもないので,
これでよいのですが,
これから,是非とも,「快」になっていくよう,
1年半のゼミ(間半年は実習)が進んでいくようにと思います.

昨日は筆保君が神経可塑性のバリエーション,
峯君が痛みの脳内機構,
田中さんがストレス反応に伴う脳内の分子機構について論文を取り上げました.
まだ,論文をどのように検索していいかわかってないようですが,
最初から機能的に検索するのを求めるのではなく,
いろんな横道にそれながら,自分で確かめていった方が
自分の検索方法となります.
近道を最初から求める者は,多様性を失います.
迷い,悩み,これでいいのか,と思い,
ダメな場合もあれば,それで背中を押してもらう場合もある.

それは「知の生成」への終わりなき旅のスタートである.
最初から舗装さえている道を歩くのではなく,
凸凹な見えない道を歩く方が体で感じることができる.
体がそうであるように,脳もそういう道を本当は求めているのです.
記憶が残っていくとは,そういう道を歩くからです.

社会で生きることは,形あるものでなく,形をつくっていくものです.

なぜ,龍馬伝がこの時期に放映されているのか?
なぜ,ゲゲゲの女房がこの時期に放映されているのか?
「形あるものへ機械的に入るのではなく,自分の信念を貫き,それを行動していく」
つまり,実習合格や就職内定という,小さい目先の目標でなく,
この世界を変えるという広く,強い志を若者は持つべきという,
意図があるのだと思います.

けれど,これも負のスパイラル.
音楽事情と似ている.
CDが売れないご時世.
売れないから,売れそうなものだけが世に出る感があります.
たとえば,Funky Monke Babyの歌をGReeeeNが歌っても,あまり違和感がないように,
脱個性が音楽事情でもあります.


個性が強いアーティストが,誰かの曲をコピーしても,その人の歌になるし,
一方,これはやっぱり,オリジナルやね(がいいね),となりますが,
最近は脱個性なために,誰が誰の歌を歌ってもそれなりに,同じように聞こえてします.
もっとすぐれたアーティストは完全コピーもやってのけるし,
そしてまったく独自の表現もできる.

売れない,儲けないというものは脱個性をつくってしまう.
これはセラピスト業界,つまり給与水準への不安が潜在的に反映しているのかもしれません.
この時代だからこそ,マジョリティだけに流されず,
マイノリティでどれだけ粘れるか,まさに「坂本龍馬」の郷士根性,「水木しげる」の貸本漫画精神が必要なのです.

そんなことをみんなを見ながら,強く思いましたが,
これも時代なんでしょう.

「この国はこのままでは滅んでしまう」という危機感を持てとは思えないでしょう.
「このままではリハビリテーション業界は衰退してしまう」とも.
衰退してから転職しようとするのは,情動脳ですし,
衰退したら,そこから逃げるでは反射脳です.
皮質脳,すなわち,あらゆるケースを予期して生きていく,
皮質の動員をすることで,世の中は良い方法に動き始めます.


これは研究仮説も同じです.




1年後,どのような研究ができているか楽しみです.