森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

ワクワクするような

2009年09月06日 23時52分55秒 | 過去ログ
今日は昼から今まで原稿を書いたり、横になったり。
横になるときは頻繁であり、頸OAの痛みとの話し合いのような感じである。

こうもレビューばかりだと、実験を組み立てることをしてみたくなるもんだ。
しばらく放置している(仮説が検証できない壁にぶつかり)「重量知覚」の研究を復活させる用意はできつつあるが、京大で開かれている「脳のセミナー」の議論を読むと、もはやレビューでいいじゃないかとも思う。

レビューとしてレビューできていない。
最近のジレンマはそこにあるのだろう。

ビートルズがサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドをしたときの気持ちになったようだ。

スタジオでじっくりと腰を据えたい(神聖なる研究室で腰をすえて打ち込みたい)。


院生も1ランク上の自分自身にであえるだろうか?
最近、心配になりつつある。

研究もトレーニングが必要だが、運動神経のように知的活動もあるラインで頭打ちになる。

「努力に勝る天才なし」というが、本当だろうか?とも世界的な研究者を見るとそう思う。
盗みとるのは感性に近い。

その感性は才能である。

感性は努力(時間)で得られるものでもない。

どこかで方向を180度変えないといけない場合もある。

頭のよさってあると思う。
ワーキングメモリというのか?
ワーキングメモリの定義も曖昧なので・・・そもそも何なのかで何時間も議論になるのは、まだ科学的にスマートではない。



そんなことを考えると教育はつくづく難しいと思う。
研究だけなら、あくまでも成果なので、簡単なんだが。




今この在ること自体が奇跡である。

2009年09月05日 22時56分06秒 | 過去ログ
今日明日はなんと空いている。
年末までスケジュールは満杯かと思っていたがなんのことはない。
この日を無意識にあけていた。
何を思ってかはわからないが、空いていたのである。

大学では就職セミナーというものが開催されていたようである。
少々無責任な表現かもしれないが、
役割がないものを敢えて自ら仕事をする必要はない。
協業とは大事なことであるが、生産性のある協業は意味を持つ。
概して、日本はそういう場合が多い。
越権行為的仕事は控えたほうがよいと最近つくづく思う。
これは己の仕事量が半端ない状態となると余計そう思う。

こうしたスケジュールの空白にささやかな喜びを感じる。
休みっていいものだと、当たり前に事実が当たり前でなくなっている昨今、
ささいなことが喜びに変わる人生こそ豊かだと思う。

今ここに、私が在ること自体が奇跡なのだから。
僕たちがこういう風に生きていること自体、奇跡なのである。

地球上に生命を与えられ、日本で育ち、そして平和の中生きている。
人生はある意味選べない。
日本に生まれたこと自体奇跡なのだから。
私の精神がこの地に存在しているとき、
そう見栄やわがままをいってられない。
仕事を与えられているということは実に幸せなことなのだから。

そういった平和がこれから先も続くのか?
それを当たり前と思ったとき、綻びはじめるのだろう。
もうスタートを切っている感がある。
循環は、何も体内だけでなく、社会も一緒である。
そうい循環を考えると人間の思考も回りまわって、
おろかな方向に行く可能性もある。
そういうことを、「よみがえる第二次世界大戦~カラー化された白黒フィルム~」を観ながら思う。
今の学生たちは、前を向いて人生を歩むことができるのか?
希望はある思うが、それは自らが彩りを与えられるように強いこころを持ちえているか?
などを思うと、今日の就職セミナーというものも「箱物」が与えられ、みに何不自由なく暮らしていると思う。

人生は自らが切り開き、栄光とは自らが勝ち取るものでもある。
他人の意見に惑わされず、自分がしたいことを具現化できるよう、切り開いてもらいたいもんだ。
概して、他人の意見を聴きたがり、それによって惑わされる人間が増えたようにも思える。
これも情報化の世の中の弊害なのかもしれない。


民主党に政権が変わりそうだ。
私は小学校のころからどちらかといえば右よりの考え方で。
ナショナリズムを強く持っていたほうである。
だから、中学校の先生方とはひどく意見がぶつかったもんだ。
特に「平和」の考え方が違っていた。

民主党の上層部は、菅さん以外(旧・社民連だったと思う)は旧・田中派のメンバー。
鳩山さんはなんか違う気がするが、弟に薦められてはいったという。

小沢さん、岡田さん(少しの間だが)は旧・田中派であった。

自民党内の角福戦争が党を別にして行われたようにも感じる。
旧・福田派は今の町村派である。
森、小泉、安部、福田さんらを出してきた派閥。


福田構想の都市一点集中型から、田中構想の日本列島改造論としての地方ばらまきへ。
有権者の選択は地方ばらまきを選択し、公共事業が進み、
今の日本を作った。
その理由で第1次産業は衰退し、第2次産業へ。
そのつけが今に回ったが、
池田、田中路線で景気は上向きに行った。

一方、民主党は育児支援、教育負担の軽減、雇用改善、
高齢者支援に特化した形で政権をとった。
雇用改善とはいうものの、第3次産業の建て直しや、第4次産業や第5次産業を展開する知恵がないと、
これらの施策は埋没する危険性がある。
なぜなら、そういう産業の整備が先で、雇用が生まれ、雇用が生まれることで他に連鎖する。
それには景気回復が潤滑油のように入り込まないといけない。
このようなものだけで、今の日本を支えている大手企業の景気が回復するとは思えない。
日本を支えている基盤を意識せずに、目先のことだけで、動いてしまえば。
結果的には有権者の目は自民党に戻るだろう。

日本の有権者は風見鶏みたいなものが多く、そういうことにならざる展開が恐い。
これは日本批判というものでなく、無宗教な日本人の文化でもある。

日本の経済が頭打ちになった今。
産業のスタイルが大きく変わるときでもある。

いよいよ、自然とは遠い産業へと向かうのかもしれない。
人間の身体性なんか言っている時代でもなくなりそうである。
リハビリテーションの世界も、新たな方向性に向かうのだろう・・・か・・・?
それはもう機能や脳や、の時代でもないような気がする。

なんか、色々自分がやっていること、かいていることも時代遅れの感が否めないのも事実だ。

それでも原稿依頼・講演依頼はやってくる。
断る勇気がない自分がいやだが、
あるラインで断らないと、仕事の質がひどく落ちてしまう。
量と質は反比例する場合もある。

質を向上させたいというのが人間の本質的精神である。

劣化したそして推敲不十分な原稿を読まれるのがつらいが、
それはそれで、すべてには全力投球できないおゆるしをいただきたい。
そのメルクマールは、私自身の「思い」である。
私が書きたいのは3つある。
それを棚上げして、依頼原稿を仕上げる年間スケジュールは今年を最後にしたいものだ。
ミュージシャンのように、2年後にアルバム的著書を完成するよう自らの手綱を引きたい。

さて、今から「機能障害科学入門」の高次脳機能障害の原稿60枚をフィニッシュさせたい。
この週末のこの休みに原稿を仕上げないと、
私自身のスケジュールが終末をむかえそうだ。

とにかくかかないといけない。
「書きたがる脳」を作動させたい(作動させてくれ~)。




第3回畿央大学健康科学研究所シンポジウム

2009年09月05日 15時48分02秒 | 過去ログ




第3回畿央大学健康科学研究所シンポジウム

日時 平成21年10月10日(土) 
【受付】12:30 【開始】13:00~16:30

場所 畿央大学 冬木記念ホール

プログラム/
特別講演
「食べ物の香りを知覚する脳神経経路」
東京大学大学院医学系研究科・教授  森 憲作氏
 
「企業における食・健康への取り組み」
サントリーウエルネス株式会社健康科学センター所長・常務取締役  平島 隆行氏

プログラム/
学内研究
報告会 「大豆の新加工利用:健康スイーツの創製」
健康科学部健康栄養学科・教授 森 友彦氏

「元気塾ー機能回復に及ぼす食生活の影響ー」
健康科学部健康栄養学科・教授  浅野 恭代氏 

「骨を脆くする原因とその過程」
健康科学部理学療法学科・准教授 峯松 亮氏

「ビフィズス菌の機能性について」
健康科学部健康栄養学科・助教 松村 羊子氏

参加対象 一般、外部研究者、畿央大学教員、大学院生、学部生
注) 学術シンポジウムのため専門的な内容になります。
参加費 無料
申込期限 平成21年9月30日(必着)

<応募方法>




基礎に耐えられる自己を形成する

2009年09月04日 12時59分09秒 | 過去ログ
ロシアバレエはその名をクラシックバレエともいい,
その他のバレエと比べ基礎を大変重んじるものである.
筋肉をつけず,美しい姿・ふるまいを維持しながら,
バランスをとり回転する.
片足つま先立ちを繰り返すと自然に下腿三頭筋がついてくるはずだが,
それはない.
この精度はおそらく,イメージ・そして脳内コピー情報だと思うが,
それを怠ると末梢の器官で保持せざるをえないために末梢の器官が主に稼動するのだろう.
環境との相互作用であり,
脳のもちようによってプロポーションがかわる.

ロシアバレエはアメリカンバレエと違ってエンターテイナーではないが
玄人からみれば,その差は一目瞭然だという.
確かに素人目から見てもそれは感じる.

そのエクササイズはいたって基本に忠実であり,
基礎をすっとばして応用には入らない.
基礎の期間が大変長い.
すぐにでも応用を考えてしまうスクールは概して身体を破壊させてしまう.

基礎を重んじる.
初心に帰るとはこのことであるが,研究においてもそうい基本的手続きを習得しないまま,データをとってしまっている日常である.
専門性の前に今一度,基礎とは何かを考えるべきであると,昨日の院生発表を聞いた.

飛躍しないで,解明する.
そういう科学者としての忠実さが,自然科学系の原著論文には求められる.
一方,人文科学系では飛躍していいのかと思うが,
そういうわけでない.
自らの脳内の論理を鍛え,いかようにでも解釈していくという知性が必要だ.

どちらでもない,研究が多すぎるのが気になる.


さて,話は変わるが,PTの一人が国政デビューする.
協会や連盟での目標でもあったが,この事実で終わりでない.

私たちセラピストはサポーターでもファンでもない.
投票行動を促すだけの後方援助ではないということである.
私たちはプレーヤーである.
今からが勝負である.
このゲームに勝つことができるか,戦略的ゲーム脳を鍛え,
セラピストとして,効果・結果を残すことである.


今こそ,基礎に立ち返り,信頼を得ることが必要であろう.

基礎に始まり基礎に終わる




Human Movemet Science 掲載!

2009年09月03日 17時18分11秒 | 過去ログ
下記の学術論文が国際学術雑誌Human Movement Science(Impact Factor: 1.725
5-Year Impact Factor: 2.249 )に掲載されました.

現在,PubMedなどonline掲載です.



竹林先生おめでとう!
執念ともいえるこの研究は人間の動きを運動学的に知る上で意味あるものとなるでしょう.
一緒に運動学的かつ神経科学的の両面から継続していきましょう.


理学療法学掲載!

2009年09月03日 17時14分05秒 | 過去ログ
下記の論文が掲載されました.

山田 実, 樋口貴広, 森岡 周, 河内 崇 : 肩関節周囲炎患者における機能改善とメンタルローテーション能力の関連性.理学療法学 36: 281-286, 2009

山田先生おめでとう!
対象者数が半端ない先生との臨床研究は時代を動かす原動力になります.
これからも継続研究しましょう.

樋口先生紹介してくれています.



観察するという基本

2009年09月03日 12時33分14秒 | 過去ログ
大学は大学院入試・AO入試の準備や,大学院博士修了基準の検討,
そして,2年生の見学実習など,系統講義外の流れにのっている.
学部学生の卒論もみんな真摯に取り組んでいる.
時間的猶予がないなかの実験なので満足いくものとはなかなかいかないが,
この手続きを知ることだけでもよき経験となる.
自分のやりたいことを探し,そして,疑問に思い,
そして疑問を解決するための手順を考え,実行する.
そして生まれた情報に基づき考える.
この循環性は人生そのものである.
臨床がパスの導入など,考える必要がないロボット人間を生産している中,
そうでない演繹的かつ常にdecision makingが求められるこのプロセスはかけがえのないいプロセスになる.

小さな冒険というべき,こうした経験が
人生ず~と継続する人は若い.
冒険者になること.
大人になればなるほど忘れるが,
山あり谷あり冒険人生こそ,
自分を振り返る経験になる.
それをはなからしない防御線をはってしまえば,
大きな外的な山がせってきたとき,沈黙あるいはキレる.
大人でもそういう人は多い.

沈黙者や無茶な攻撃者にならないよう,
この論理的かつ情熱的プロセスを大事にしてもらいたい.

森岡研究室の合言葉は「自立」「自律」である.
手取り足取りな人生をいつまでも続けることはできないので.
担当教員が適当であれえば,子は育つ(と思う).
子がしっかりしないといけないと思えば,教育は成功である.
親が優れすぎても子は委縮してしまう.
ただでさえ威圧感のある私は,介入しすぎると委縮させてしまうことが多々ある.
経験則でしかないが,心のなかを振り返るとそういう客観的な事実に出会うだろう.




昨日は,院生の中間報告で,
河村民平君が「ワーキングメモリ容量の違いが音声情報処理およびその聴覚ラテラリティに及ぼす影響」そして平松祐一君が「言語情報の付与が上肢の運動制御に及ぼす影響」について自身の研究成果を報告してもらった.

テレビ会議で岐阜のこうむら君,名古屋の吉田君が入って意見交換した.

頂上が少し見えてきた6合目あたりかな.
徐々に良くなっている.
自分自身で成長が見え始めてきたときかもしれない.


今日は,残りM2の2名の院生報告会である.