森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

やってみないとわからない;皮質のきわみ

2008年12月08日 23時58分52秒 | 過去ログ
土曜日、岡山を出て大阪へ。
大阪南港近くのWTCホールへ向かう。
ATCには来たことがあるが、WTCは初めてだ。
いつも思うがニュートラムが面倒だ。
無人運転のために、以外に遅い。
受付にで案内される。
案内していただいた方は奈良東病院の方だ。
親近感が沸くということは自分も奈良県民になりつつあるということか。
5年の月日が流れてしまった。

44階の控え室に案内され、眺望に目が向くが、
すぐさま、2階の学会場へ。
1階ではイベントが開催されているようだ。
世間は週末である。

松田学会長による脳損傷者に対する理学療法の変遷、
そして彼女の思いである、「ヒト」から「人間」へ、という視点を提案された。
「認知的な治療介入」が今のもっとトピックであるが、
それもブームとならぬように!という彼女の意見がちりばめられた、
アットホームな講演だったと思う。

中山先生の特別講演を聴き、
部会長の吉尾先生、学会長の松田先生、準備委員長の桝田先生に挨拶をして、
一度ホテルに入る。
吉尾先生には私が学生時代「神経障害理学療法学」を教えていただいた。
ちょうど、宮本先生が留学中であり、大阪より2週に一度教えにきてもらっていた。
当時のホットなものは脳卒中患者の体力であったことを記憶している。
PTジャーナルにも特集があり、
それらをすみから隅まで読み、臨床実習に応用を考えた。
もちろん、関節トレーニングや運動プログラムの本も出たので、
2年生であったが、なんとか片麻痺の治療にとりいれくことができないか、
学生同士で議論した覚えがある。

そして、神経生理学的アプローチの是非にまで議論がすすんだ。
Bobath派の横内(現・石川病院科長)、
Hirshberg派の柳川瀬(現・三田温泉病院科長)、
それに林(現・愛徳医療センター主任)、野田(現・河上整形外科主任)、山本(現・兵庫県立総合リハビリテーションセンター)、梶原(現・三豊総合病院)、西山(現・大津市民病院)など(たぶん、みんな主任以上だと思う)が入り、飲みながら激論を交わした思い出がある。

自分は新たな台頭を求めた既存の治療アプローチでは満足していなかった。
しかし、横内はよく勉強し、片麻痺を治すためにPTになるんだ!と豪語していた。
今はその実践を行っており、
哲学や理論では異なるが、その精神には敬意をいつも表している。
私たちはセラピスト(療法士)であることを決して忘れてはいけないことをいつも学ぶ。

ホテルは隣接するハイアット・・・久しぶりに泊まったが、
高級ホテルは気持ちを優雅にする魔力をもっている。

ホテルに入り、1時間ほどで講演スライドを調整し、
会場に戻る。

17時50分ぐらいから1時間20分、講演を行う。
司会の桝田先生は私の母校の大先輩だ。

時間は10分減になったことで、
後半は超特急になったが、情報過多で分からない人も多かったと思うが、
講習会や研修会ではない(学会なので)で、それはそれでゆるしてもらおう。
メタ的に学会では少し難易度を上げて話している。
教育講演であるが、勉強をしているものに対して「教育講演」する意図が学会にはある。
研修会ではそうではない。

講演終了後、諏訪日赤の大槻先生よりお褒めのお言葉をいただく。
そのやさしさに触れることができた。
大槻先生は恩師・板場先生の同級生であり、
高知でお目にかかったことがある。

その後、講師、準備委員の方々と懇親会。
いろんな話をして、楽しい時間をすごす。
終了後、恩師・宮本先生とラウンジで今後の展望を確認しあう。

翌日、3名の講師の講義を聞き、
久しぶりに学会で演題を聞き、
質問をして、学会の感触を取り戻す。
1会場での発表・質問はいいもんだ。
こういう感覚はしばらくなかった。
小さい学会はいいもんだ。
地方学会は小さい学会で量的にはいいが、
質が伴わない。
しかし、神経系だけで全国規模となると、
ある程度演題の質が保たれている。
それがいい。

シンポジウムは「情動」が賦活したが、
これでいいんだと思う。
聞いている側が、何を感じ、
あすからどのように行動すべきかを布石を投げかけることができれば、シンポは成功したのだと思う。

聞いている人の精神を揺さぶることができれば、それでいい。
認知的内容よりも、情動的動揺が起こる学会シンポが記憶に残る。

最後に思わぬ司会の吉尾先生からの振りがあり、
コメントを述べさせていただく。

それがシンポのまとめの言葉になってしまい、
先輩たちに恐悦してしまう。

みなさんにお礼を言って、WTCを後にする。

4泊のロードは終了し、奈良の家に帰宅する。
実に韓国から帰国し、火曜だけ奈良にいたことになる。

長らく9月から続いた土日の講演もこれで年明けまでない。
その喜びはひとしおであり、
疲れがふっとんだ。
気は大事なり。

メールのチェックをして、
大学の教育学部の講義をして、
そして、年度末に開催される学生交流会の脇さんを代表とする幹部の面々とお話をして、
その情熱に未来は明るい!と喜んだ。

彼ら、彼女らには「精神の自由」がある。
今の病院体制には「階層性」や「抑制」が多い。
病院のシステムにどっぷり使っている中年層を見ると、
そこには「精神の自由」がない。
そして「療法士」としての「夢」もない。
しかし、彼ら、彼女らにはある。
どうして、そういう「芽」が抓まれてしまうのか。
どうして、そうしう「灯」を消して、消されてしまうのか。


封書のチェックをして、
協同医書の中村さんからささやかな絵本「いちねんせい」を読んだ。
谷川俊太郎さんの詩は、
有名なところで「生きる」「朝のリレー」を読んだことがある。

確か、「生きる」では、こんなフレーズだったと覚えている。

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ


学会にもこれは言える。
誰かの真似事では本当の意味での「自由」とはいえない。


中村さんからは大きな宿題をいただいた。

 にじ    
わたしはめをつむる   
なのに あめのおとがする
わたしはみみをふさぐ
なのに ばらがにおう

わたしはいきをとめる
なのにときはすぎてゆく
わたしはじっとうごかない
なのにちきゅうはまわっている

わたしがいなくなっても
もうひとりのこが あそんでいる
わたしがいなくなっても
きっと そらににじがたつ    


この宿題をしたとき、
僕はきっと次なるステージに立っている。


前の段階にいる人(芽)に水をやること(講演・論文・想像の範疇の執筆本)、
同じ段階にいる人と相互作用する(シナプス結合)こと(研究・対談)、
そして次なるステージ(見えない頂みたいなもの)に向けて歩きはじめること(想像できない執筆本)

この3つを僕はメタ認知をきかせながら、
使い分けている。


僕は狭義の研究者、そしてセラピストにはならないことをこの最近決心した。

だから、良い意味で本当の意味での研究者(悪い意味で盲目の研究者)からは研究の質に批判をもらい、良い意味で今の臨床に一生懸命な療法士(悪い意味でいの中の蛙的療法士)からは、それは理学療法か!?と指摘を受けるであろう。

それは覚悟しているし、
それとは別の表現形を用いることで、
この業界が多方面から注目され、
そして、それらの風が入ることで多角的に、より学際的になれればそれで、
自分の仕事は成立すると思う。

生涯をまっとうするまでにできるかはわからないが、
その見えない層に向かってチャレンジしていく意義はあると思う。
相当の自己に向けたポイエーシスを生じささないとクリアできないと思うが、
そして、相当な自己実現(努力)が必要だが、
分かりきったことを系統立てる学問よりも面白いと思う。

やってみないとわからない。
これこそ、大脳皮質のきわみだと思う。
偶有性の世界観に私は生きている。
もし、理学療法の世界がEBMの名の下、
ノウハウしか教えない集団・教育になれば、
私はこの場所を去ろうと思う。


院生の高濱君の研究チェックを行い、
院生の熊谷さんに送ってもらった。

今日も遅い。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (中年層理学療法士です)
2008-12-13 17:54:16
「精神の自由」を求めて急性期循環器疾患専門自治体病院から民間回復期リハビリテーション病院へ。。。
しっかりどっぷり中年層だけれども自由を求めて出てきました。しばらく若いセラピストといっしょに歩いてみたい。。。
返信する