森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

nature & human

2008年12月16日 19時11分39秒 | 過去ログ
金曜日,高知に向かい,高知大で共同研究者と研究の打合せを行う。
この世界は,まさに人間としての知性の象徴であり,
そこの相互作用から突然に創発が生まれる場合があるが,
今回は,それは起こらなかった。
ある枠組みに落とし込もうとすると,それは生まれない。
学問の難しさはそこにある。
知らないうちに,目に見える,感じる,聞こえる事象を
自らの脳のなかにある記憶によって歪め,
自分の都合のようにトップダウンに解釈してしまう。
違う世界観を持つものとのデュエットが必要なのかもしれない。
それは狭い範囲の科学を超えたものになり,
批判もあろうかもしれないが,
そんなことはどうでもいい。
意外に私のハートはこの数カ月で強くなったと思う。


その後,19時より,スタジオ入り。
先週よりはのどの調子がよいようだが,
Hushのシャウトにより,喉から赤いものが。


明神と兵頭のステレオキャスターを堪能し,
23時前にスタジオを後にして,
義治と竹内とで,遅い夕食を「よこやま」で。
「よこやま」のおむすびは,
夜の店が終わり,深い夜に帰宅した母親からのささやかな土産であった。
その折のにおいが蘇る。


「よこやま」でビールを3本ほどあけ,
「ヨーク」へ。

のどの調子を心配してか,さわやか系のカクテルをいくつか注文する自分がいる。

午前2時に店を出て,明日の成功を祈り別れた。

翌日,高知大で研究に関するデータ解析の続きを行い,
スタジオ見学をして,
小藪に似たドラマーと遭遇し(サウスポー),

リハーサルのためx_ptに入った。




久しぶりに西岡さんのお顔を拝見し,
そして,これまた久しぶりに17期生の穴吹に出会い,

リハを行った。

モニターの音は良い。

クロマニョンズが来たばっかりだし,真心ブラザーズが今度来るところなので,
PAは良い。


18時開演し,ハモーンズ(ラモーンズ,レッドウォリアーズ,AC/DC,エアロ・スミスのコピー)からスタートした。

ギターのカッティングのぬけがよい。

義治のボーカルのうまさは健在である。

続いて,我が,The Cortex。
シャウト兼,ここでは言えないMCとなり,大いに盛り上がり(引き),
次のバンドへのバトンタッチはできたと思う。

意外にボーカルが当初の予想よりは,まずまずだった。
タバがむちゃくちゃ上手になっているので,心配無用。

当日の曲順は,20th century boy, Hush, Stand by me, Jumping jack flash, Come on everybodyとなった。



アドリブMCにより,メンバー紹介した時は,狂喜乱舞だった。

知性のかけらもなく,まさに身体を伴った感性で生きた瞬間である。
その感性から,他者の脳(感情)を揺さぶることができたなら,
アマチュアだが,パフォーマーとしては本望だ。

講演では聴けない,知性でなく感性のライブ。
まさに,そこに人間らしさがあると思う。

今生きている現代人は,どちらかといえば,
言葉により概念化が先行し,
それは本来の人間らしさをちっさな脳の中に封じ込めた生物のように思える。

脳だけ生物の風潮が大きい。
それでは,本来の豊かな人間としては生きていけない。
機械と変わらない世界がそこにある。
身体は自由だ。
何の束縛も受けない。


さてさて,そのあとは,穴吹達の香川組の演奏。
HM and HR.
マシンガンズとパープルの構成だった。
Sex Machineguns の BurnとDeep PurpleのBurn。
そのバンドは燃えるような演奏で,
燃えるようなハイトーンボーカルだった。
久しぶりの穴吹のその天にも昇るような2オクターブ上を聞いた。
それにしても,あんちゃんやグレン・ヒューズの音の領域とは恐れ入る.

お二人のギターテクニックも見どころであった。

最後は,明神率いる?孔子の演奏。
竹内もなかなか頑張っていた。
Stereo casterを聴き,champagne supernovaを聴き,アジカンを聴いた。
ここでもお二人のギターのテクニックも健在である。

最後は,キャストでHushでしめた。

畿央からも学生が4名,そして大学院生がきていたが,
演出,演奏,音の激しさ,などに驚いていたようだ。
学園祭とは大きく違う。
ライブハウスという空間だけでなく,
演奏している人の多くはもうバンド歴が長い,おじさまに足をかけた者たちだから,
ヘビメタだろうが,ハードロックだろうか,ロックンロールだろうか,
演奏に幅がある。
余裕というものである。

「見せる」という意識に対して,
自らのこころの余裕が使える。


打ち上げは,「ぽおる」で,
バンドで,いろんなプロミュージシャンの話をして,
そして,先日行われたBay 5でのビデオを見て,
楽しんだ。

その後,学生の待つ,虚空へ。

そして,虚空を後にして,yorkへ
学生は,虚空で,本物の「かつおのたたき」を食べたようだ。

塩で食べる。

今度は黒尊でのあたたかい「かつおのたたき」を堪能してもらいたいもんだ。

隣のテーブルで飲んでいる皆様(お姉さま)に突然声をかけられ,
びっくりしたようだ。

高知人は隣で飲んでいても,どこで飲んでいても,
みんな友達になってしまうのが特徴だ。

人の背景なんかは,全く気にしない。
どんな職業についていようが,どんな人生を歩んでいようが,
その場でフィーリングがあえば,それでいい。

高知人の人情のあたたかさ,と,あつさに,4名とも感動したようだ。




1時に片岡,森垣,山崎が合流し,2時過ぎまで飲み,
自分は心身ともに疲労であり,お先に失礼した。
そのあと,屋台で3時過ぎまで,片岡らと学生らはやったらしい。
そこでもあつい話になったようだ。

自分を犠牲にしてでも,見知らぬ学生につくす。
まあ,土佐人の血が流れているようだ,彼にも。

翌日は,学生たちを桂浜に連れて行き,龍馬を見て,
どこまでも続く地平線を見て,
太平洋(海),そして地球の壮大さを感じて,
自分の小ささを思い,
自我とは何かと思ってもらったようだ。
自らは,ちっさい,ちっさい。
大きく構えず,自然に生きることだ。

それが一番難しいが,
高知旅行からはそれを学んでもらったようだ。
おれいのメールからそのような意見をもらった。

「えいろうがえ」

今度は「よさこい祭り」を堪能してください。

そこにも,自由がある。

以前にも書いたが,「自由は土佐の山間より」




奈良に日曜に帰り着き,
もぬけの殻状態になりながら,月曜日は教育学部の授業をして,
そして,奈良の研究仲間たち約30名と忘年会。
体調が芳しくなく,一次会でお暇させてもらい,
申し訳ありませんでした。
家にもほとんど帰ってないもので・・・

けれど,そこから共同研究が生まれればよい。
人と人とのつながりで,心がさらに飛翔する。

本日は,2回生の人間発達学の講義を行い,
やはり,スライドより,板書のよさを痛感し,
脱線しまくりのしゃべりが,自分には向いている。

実践的ではない講義かもしれないが,本質的な講義になってもらえればと思う。

高知の時は自分が若手教員であり,
評価学を中心に臨床的に教えていたが,
今は,その役割ではない。
1時間半の講義を実践の話をしなくて,学生の注意を持続させる,
それこそが,教員生活が長くなった自分への試練だと思い,
楽しんでいる。


穴吹はメタルは演奏者とオーディエンスとの戦いだといったが,


教員と学生もある意味,それが当てはまる。


ノーベル賞をとったお二人の母校は名古屋大学。


そこでは,教員と学生に垣根がなく,
学生も教員に対して,批評し,先生とは呼ばないらしい。
古きよき時代は,階層性ではなく,
自由な風潮があり,
だから,いろんな意見が出たのだと思う。

そのいろんな意見(突拍子もない,あるいは自意識過剰な)に意味性がある場合がある。

その芽を摘んでしまう,今の教育は,現実を生きる意味ではいいが,
未来を生きるためには,ちと厳しいとも感じる。

いずれにしても,難しく考えなくても,時間は過ぎていく。
私らしさで,生きればそれでいい。


しかし,おびや町の衰退が気になる。
「イオン」というものは,町を変えてしまった。
どこでも同じ店。

日本の文化はどこに行くのか?

そして,文化なき人間社会は,
みな同じ顔をもち,同じこころを持つのかもしれない。


現代社会は,今,まさに,すべての面で過渡期なように感じた。


19時半から大学院の授業である。




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