12月21日の日曜日は9月以来はじめての日曜日の休み。
その休日を何もしないですごした。
途中、家族のダンサーたちの仕事を拝見し、
普通の日曜日を過ごした。
月曜日、今年最後の授業。
教育学部の「コミュニケーション心理学」
最後の授業が理学療法学科でなく、
教育学部であるという点は、
月日の流れで自分が変化しているとも感じる。
来年度は、さらに理学療法学科の科目が減り、
その分、看護学科、そして大学院博士課程へのウエイトとなる。
最後の授業は「言語コミュニケーション」における、
携帯電話と携帯メールの諸問題について、
発達、脳、こころ、身体から討論した。
社会神経科学の一端が、ここでも垣間見ることができる。
最近の、という言葉を使うと、
年齢がいったように思うが、
「なぜ、友達同士なのに、あんなに、廊下で、大声になるのだろう?」
特に、以前より相対的に女子に顕著にみられる。
「孤独」に耐えられない精神であると、
「つながっていたい」という潜在的なこころから、
「出力」を強めてしまうのだろう。
その分、情報をとらえる脳への注意の配分がおろそかになり、
周りに気づくことができなくなる。
脳は相対的な活動であるために、
その問題が起こる。
公共と私的との使い分けが下手になっている。
ワーキングメモリ、ひいては前頭葉機能の問題ともいえよう。
もっと、落ち着いて、そして、あまり出し過ぎないように。
僕の講義も同じである。
授業が違った方向に行き、
学生の注意がそれると、
なんとか軌道修正し、
つながっていたいと思う反面、
その分、声が大きくなり、
出力を出しすぎてしまう場合もある。
余裕が大事である。
そのとき、つながっていなくても、
それでこころがつながっていないわけではない。
「孤独」に耐える精神を持つこともときに必要だと思う。
大学院生の修士論文が追い込みであり、
いくつかの論文の指摘を少しした。
修士なので、ほとんどそのままでよいでしょう。
自己での吟味を重ねることが大切である。
月曜日はいままで1ヶ月ほどためていたメールを
全部読み、多くの質問に不確実ながら、
返信した。
やっと肩の荷が下りた。
そして、原稿に向かわないといけないが、
久しぶりに、もう1年ぶりともいえるかもしれないが、
PubMed検索を楽しんだ。
原稿に向き合うのは帰省してからにする。
その前に、誠心書房からでる共著の原稿の校正や、
論文の査読を終わらせて、帰省し、次なる原稿に向き合いたい。
学生から聞いたけど、森岡ゼミは忙しいと・・・そんなことはないはずだが。
忙しいうちが花。
忙しいことに耐えることが、
脳に隙間を与え、
次なる忙しさが来たときも、
何とでも対応することができる。
それが「学習」である。
楽なほうに逃げてしまうと、
新しい自分には出会えない。
しかし、そんなにきつくはないですよ。
まったくもって、きつくないはずなんだが、
相対的な感じ方だと思うので、
それはご想像にお任せします。
「脳を学ぶ(2)」も作動しはじめました。
乞うご期待!
さて、さて、Joyeux Noel !
3年前は12月20日ごろから1月10日ごろまでパリにいて、
パリでクリスマスでした。
ここ数年は、日本ですが、
これもいいものです。
だんだん、余力というものを使わない自分がいる。
それを打破するために、また「精神道場」のために、
言葉があまり通じない土地で、暮らしてみたいものだ。
そうすれば、位相するであろうか。
これは修行ではなく、自己を高めるための不確実性を得るためである。
今年、出会った多くの方々に、すてきなクリスマスを!
その休日を何もしないですごした。
途中、家族のダンサーたちの仕事を拝見し、
普通の日曜日を過ごした。
月曜日、今年最後の授業。
教育学部の「コミュニケーション心理学」
最後の授業が理学療法学科でなく、
教育学部であるという点は、
月日の流れで自分が変化しているとも感じる。
来年度は、さらに理学療法学科の科目が減り、
その分、看護学科、そして大学院博士課程へのウエイトとなる。
最後の授業は「言語コミュニケーション」における、
携帯電話と携帯メールの諸問題について、
発達、脳、こころ、身体から討論した。
社会神経科学の一端が、ここでも垣間見ることができる。
最近の、という言葉を使うと、
年齢がいったように思うが、
「なぜ、友達同士なのに、あんなに、廊下で、大声になるのだろう?」
特に、以前より相対的に女子に顕著にみられる。
「孤独」に耐えられない精神であると、
「つながっていたい」という潜在的なこころから、
「出力」を強めてしまうのだろう。
その分、情報をとらえる脳への注意の配分がおろそかになり、
周りに気づくことができなくなる。
脳は相対的な活動であるために、
その問題が起こる。
公共と私的との使い分けが下手になっている。
ワーキングメモリ、ひいては前頭葉機能の問題ともいえよう。
もっと、落ち着いて、そして、あまり出し過ぎないように。
僕の講義も同じである。
授業が違った方向に行き、
学生の注意がそれると、
なんとか軌道修正し、
つながっていたいと思う反面、
その分、声が大きくなり、
出力を出しすぎてしまう場合もある。
余裕が大事である。
そのとき、つながっていなくても、
それでこころがつながっていないわけではない。
「孤独」に耐える精神を持つこともときに必要だと思う。
大学院生の修士論文が追い込みであり、
いくつかの論文の指摘を少しした。
修士なので、ほとんどそのままでよいでしょう。
自己での吟味を重ねることが大切である。
月曜日はいままで1ヶ月ほどためていたメールを
全部読み、多くの質問に不確実ながら、
返信した。
やっと肩の荷が下りた。
そして、原稿に向かわないといけないが、
久しぶりに、もう1年ぶりともいえるかもしれないが、
PubMed検索を楽しんだ。
原稿に向き合うのは帰省してからにする。
その前に、誠心書房からでる共著の原稿の校正や、
論文の査読を終わらせて、帰省し、次なる原稿に向き合いたい。
学生から聞いたけど、森岡ゼミは忙しいと・・・そんなことはないはずだが。
忙しいうちが花。
忙しいことに耐えることが、
脳に隙間を与え、
次なる忙しさが来たときも、
何とでも対応することができる。
それが「学習」である。
楽なほうに逃げてしまうと、
新しい自分には出会えない。
しかし、そんなにきつくはないですよ。
まったくもって、きつくないはずなんだが、
相対的な感じ方だと思うので、
それはご想像にお任せします。
「脳を学ぶ(2)」も作動しはじめました。
乞うご期待!
さて、さて、Joyeux Noel !
3年前は12月20日ごろから1月10日ごろまでパリにいて、
パリでクリスマスでした。
ここ数年は、日本ですが、
これもいいものです。
だんだん、余力というものを使わない自分がいる。
それを打破するために、また「精神道場」のために、
言葉があまり通じない土地で、暮らしてみたいものだ。
そうすれば、位相するであろうか。
これは修行ではなく、自己を高めるための不確実性を得るためである。
今年、出会った多くの方々に、すてきなクリスマスを!